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第七章
第一話
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鬼平は今日も、教室の隅の自分の席に座っていた。
そして、いつまでも変わらないと思っていた自分の日常が変わってしまったことを痛感していた。変化してしまった後で、それまでの日常をそれなりに気に入ってことを気付いた。
例えば、昼休み。以前は誰とも会話ができなくて、苦痛に思っていたこともあった。だがそれは、言い換えれば自由に使える時間があったということであり、好き勝手に寝たり、忘れていた課題をやったり、適当なサイトを気ままに巡ったり、ゲームをしたり、時には散歩をしてベンチに座って何も考えずに、雲が動いていく空でも眺めていられたのだ。
何よりその時間には、
「……だからこの間はさ、僕が間違っていたんじゃなくて、僕らがびんを手に入れると困る人の誰かが偽の噂を流したんじゃないかな」
こんな世迷言を延々聞かされることもなかったわけだ。鬼平は、六条の話をずっと聞かされ続けて、凝り固まった首元をほぐした。だが、それが何かを変えることはない。相変わらず六条はそんなことを気にもかけずに、自分の喋りたいことを喋り倒している。
――あのことがあってから、あんな行動に出たのだから、鬼平は自分と六条の仲が決裂したものだとばかり思っていた。
あんなに六条を笑ったんだから、もう関係は壊れて当然だと。
だが、そう思っていたのは鬼平だけだったらしい。むしろあの出来事を経て、――どうしてそうなったのかまるでわからなかったが、どんどん六条は馴れ馴れしくなってしまっていた。
鬼平はそんな六条をますます疎ましいと思いながら、どうすることもできなかった。その状況のまま、自分が六条という人物に徐々に慣れていき、適応しているのが情けなかった。
それに、慣れた、といっても、相変わらず六条に対する嫌悪感は消えなかったし、未だにまともに喋ることすらできていなかった。それでも少しずつ、良いか悪いか、イエスかノーかくらいの意思表示はできるようになっていたけども。
「僕がこんなミスをするはずがない。他に考えられない。酷いやつだよな。そんな噂を流すなんて。それでさ、実は他の噂を手にしてさ……」
六条は、奇妙なほど「びんの悪魔」執着していた。それが鬼平には不思議だった。その病的な執着心もそうだが、そもそも、鬼平は誰にも「びんの悪魔」のことを話していないのだ。
それが、どうしてこうも噂が広がっているのがずっと疑問だった。
確かに、それを広めている人がいるのだ。だとすればそれは誰か、その人は「びんの悪魔」について何か知っているのか興味があった。
それとももっと別の、「びんの悪魔」にはそこに目に見えない、例えば匂いのようなものがあるのか、それを突き止めることが、必要だと思っていた。でなければたとえ無理に六条を遠ざけたとしても、びんを持っているだけで安心できないだろう。
その答えは、教室の隅で一人で過ごし、誰にも喋りかけられないような以前の鬼平には知り様がないことだった。といっても、一人増えた喋り相手が六条という現状が、幸運だとはまったく思っていなかったが。
「おい。鬼木くん。聞いてる?」
鬼平は考え事を悟られないように、頭をこくこくと動かした。それを見て六条は鬼平を馬鹿にするように笑った。
「死んだかと思ったぞ。それで実はさ、びんがサッカー部にあるんじゃないかって、思ったんだよな。あいつら、なんか調子乗っていると思ったんだよな。これは何としても取り戻さないとな」
そう熱弁する六条の様子はやはりどこか異常な熱量があった。と同時に、卑屈な印象も受けた。鬼平は六条の勘が、一発目で成功をした後、悉く外れているのを、身をもって知っていたので、きっと今度の勘も、勘違いの方だろうと思った。いや、できればそうであってほしかった。もしそうやって勘違いが続いてくれれば、鬼平に声をかけたのもただの偶然だと考えられるからだ。
「よし。それでだな、放課後、サッカー部の部室に忍び込み、持ち物をチェックしようよ。あいつら、きっとびんの悪魔以外も、持ってきちゃいけないもの隠してるだろうし」
六条はまたしても無茶苦茶な提案をした。彼はいつもこういう感じで、口だけは勇ましかったが、その迷惑な思い付きを実際に行動に移すのは、いつも鬼平の方だった。鬼平は、もちろんそんなことは御免だったが、そういった彼のやり方を咎める方法を知らなかった。
鬼平は、六条が自分の言っていることの意味をよく分かっていないのだと感じていた。彼は、他人に対するアンテナは何時も張っていて、休まることがないのに、自分に対しては全然その鋭敏なアンテナが機能していないのだ。
彼は四六時中話題を探し、ひとたび都合のいいものを見つけると、これが悪だ、だからこれを滅ぼさないといけないと熱弁し、それで終わる。別にそんなことはどうでもいいのだろう。ただ、怒りを発散させたいだけなのだ。鬼平にはそう見えた。
そして、そういう話を聞かされるのに心底うんざりしていた。サッカー部についても、鬼平は彼らのことを好きでもなければ、嫌いでもなかったが、六条は違う。
彼らがいるから自分たちは苦しんでいると言って、――そうは言っていないが、まるで滅べばいいと言っているみたいだった。
だから放課後になって、サッカー部の人が部室に集まり、全員がそこから出払うのを待っている間、本当に死にたい気分だった。
「これから、ついにびんが手に入るわけか……」
捕らぬ狸の皮算用をしている六条をよそに、鬼平は、それこそ、こういう時に「びんの悪魔」を使えばよかったのではないか、と考えた。あれから、恐ろしくて一切手をつけていなかったわけだが……。
「そろそろだな」
六条が鬼平に合図を送る。何食わぬ顔で六条は部室に向かって行く。鬼平には彼を止める術がなかった。こうなったらもうしょうがない、どうにか誤魔化すしかない、と鬼平は覚悟を決めた。
が、その時だった。突然六条は前を歩いていたのに、振りむいて、鬼平を無視して走り去った。鬼平は呆気にとられた。声は出なかった。でもそれはいつものことだった。豆粒みたいになっていく六条の後ろ姿を見ながら思った。なんだかこの展開は見たことがあるような……。
違っていたのは、あの時と違って怒鳴り声がなかったこと。それがあまり視界のよくない鬼平に不利に働いたのは間違いないだろう。
振り返って、見覚えのあるジャージ姿の先生が見えた時、鬼平の逃げる隙はもう残されていなかった。
そして、いつまでも変わらないと思っていた自分の日常が変わってしまったことを痛感していた。変化してしまった後で、それまでの日常をそれなりに気に入ってことを気付いた。
例えば、昼休み。以前は誰とも会話ができなくて、苦痛に思っていたこともあった。だがそれは、言い換えれば自由に使える時間があったということであり、好き勝手に寝たり、忘れていた課題をやったり、適当なサイトを気ままに巡ったり、ゲームをしたり、時には散歩をしてベンチに座って何も考えずに、雲が動いていく空でも眺めていられたのだ。
何よりその時間には、
「……だからこの間はさ、僕が間違っていたんじゃなくて、僕らがびんを手に入れると困る人の誰かが偽の噂を流したんじゃないかな」
こんな世迷言を延々聞かされることもなかったわけだ。鬼平は、六条の話をずっと聞かされ続けて、凝り固まった首元をほぐした。だが、それが何かを変えることはない。相変わらず六条はそんなことを気にもかけずに、自分の喋りたいことを喋り倒している。
――あのことがあってから、あんな行動に出たのだから、鬼平は自分と六条の仲が決裂したものだとばかり思っていた。
あんなに六条を笑ったんだから、もう関係は壊れて当然だと。
だが、そう思っていたのは鬼平だけだったらしい。むしろあの出来事を経て、――どうしてそうなったのかまるでわからなかったが、どんどん六条は馴れ馴れしくなってしまっていた。
鬼平はそんな六条をますます疎ましいと思いながら、どうすることもできなかった。その状況のまま、自分が六条という人物に徐々に慣れていき、適応しているのが情けなかった。
それに、慣れた、といっても、相変わらず六条に対する嫌悪感は消えなかったし、未だにまともに喋ることすらできていなかった。それでも少しずつ、良いか悪いか、イエスかノーかくらいの意思表示はできるようになっていたけども。
「僕がこんなミスをするはずがない。他に考えられない。酷いやつだよな。そんな噂を流すなんて。それでさ、実は他の噂を手にしてさ……」
六条は、奇妙なほど「びんの悪魔」執着していた。それが鬼平には不思議だった。その病的な執着心もそうだが、そもそも、鬼平は誰にも「びんの悪魔」のことを話していないのだ。
それが、どうしてこうも噂が広がっているのがずっと疑問だった。
確かに、それを広めている人がいるのだ。だとすればそれは誰か、その人は「びんの悪魔」について何か知っているのか興味があった。
それとももっと別の、「びんの悪魔」にはそこに目に見えない、例えば匂いのようなものがあるのか、それを突き止めることが、必要だと思っていた。でなければたとえ無理に六条を遠ざけたとしても、びんを持っているだけで安心できないだろう。
その答えは、教室の隅で一人で過ごし、誰にも喋りかけられないような以前の鬼平には知り様がないことだった。といっても、一人増えた喋り相手が六条という現状が、幸運だとはまったく思っていなかったが。
「おい。鬼木くん。聞いてる?」
鬼平は考え事を悟られないように、頭をこくこくと動かした。それを見て六条は鬼平を馬鹿にするように笑った。
「死んだかと思ったぞ。それで実はさ、びんがサッカー部にあるんじゃないかって、思ったんだよな。あいつら、なんか調子乗っていると思ったんだよな。これは何としても取り戻さないとな」
そう熱弁する六条の様子はやはりどこか異常な熱量があった。と同時に、卑屈な印象も受けた。鬼平は六条の勘が、一発目で成功をした後、悉く外れているのを、身をもって知っていたので、きっと今度の勘も、勘違いの方だろうと思った。いや、できればそうであってほしかった。もしそうやって勘違いが続いてくれれば、鬼平に声をかけたのもただの偶然だと考えられるからだ。
「よし。それでだな、放課後、サッカー部の部室に忍び込み、持ち物をチェックしようよ。あいつら、きっとびんの悪魔以外も、持ってきちゃいけないもの隠してるだろうし」
六条はまたしても無茶苦茶な提案をした。彼はいつもこういう感じで、口だけは勇ましかったが、その迷惑な思い付きを実際に行動に移すのは、いつも鬼平の方だった。鬼平は、もちろんそんなことは御免だったが、そういった彼のやり方を咎める方法を知らなかった。
鬼平は、六条が自分の言っていることの意味をよく分かっていないのだと感じていた。彼は、他人に対するアンテナは何時も張っていて、休まることがないのに、自分に対しては全然その鋭敏なアンテナが機能していないのだ。
彼は四六時中話題を探し、ひとたび都合のいいものを見つけると、これが悪だ、だからこれを滅ぼさないといけないと熱弁し、それで終わる。別にそんなことはどうでもいいのだろう。ただ、怒りを発散させたいだけなのだ。鬼平にはそう見えた。
そして、そういう話を聞かされるのに心底うんざりしていた。サッカー部についても、鬼平は彼らのことを好きでもなければ、嫌いでもなかったが、六条は違う。
彼らがいるから自分たちは苦しんでいると言って、――そうは言っていないが、まるで滅べばいいと言っているみたいだった。
だから放課後になって、サッカー部の人が部室に集まり、全員がそこから出払うのを待っている間、本当に死にたい気分だった。
「これから、ついにびんが手に入るわけか……」
捕らぬ狸の皮算用をしている六条をよそに、鬼平は、それこそ、こういう時に「びんの悪魔」を使えばよかったのではないか、と考えた。あれから、恐ろしくて一切手をつけていなかったわけだが……。
「そろそろだな」
六条が鬼平に合図を送る。何食わぬ顔で六条は部室に向かって行く。鬼平には彼を止める術がなかった。こうなったらもうしょうがない、どうにか誤魔化すしかない、と鬼平は覚悟を決めた。
が、その時だった。突然六条は前を歩いていたのに、振りむいて、鬼平を無視して走り去った。鬼平は呆気にとられた。声は出なかった。でもそれはいつものことだった。豆粒みたいになっていく六条の後ろ姿を見ながら思った。なんだかこの展開は見たことがあるような……。
違っていたのは、あの時と違って怒鳴り声がなかったこと。それがあまり視界のよくない鬼平に不利に働いたのは間違いないだろう。
振り返って、見覚えのあるジャージ姿の先生が見えた時、鬼平の逃げる隙はもう残されていなかった。
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