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第六章
第二話
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そうして智香は麻由里を残して、購買の外に出た。すれ違う生徒や、廊下の隅で話している生徒たちは、みんな昼休みを楽しんでいた。その状況は智香も同じはずなのに、そうでない自分に苛立ちが積み重なっていく。
智香は、生徒たちの顔を、一つ一つ確かめるように見ていった。たくさんの生徒と目が合って、見られた生徒たちは落ち着かなくなるか、勘違いをして智香に話しかけてくる男子生徒もいた。その度に智香は見ていたことを詫び、時には無遠慮になって、話を中断させた。
しかしいくら探せども鬼平の姿は見つからなかった。彼は今日も教室の隅に一人で――智香が探しているなんて知りもせず、あの後もまだまとわりついてくる六条に、どうやって断ったらいいかということに、悩まされて――座っている。
智香は鬼平を探すのを諦め、教室に帰ろうとした。その途中、三国修司の次に校内で会いたくない人物に出くわした。その人物は智香を見ると(汚いものを見るように)、顔をしかめた。智香は、その相手とは話さないと決めていた。だから、すれ違っても感情を動かさず、表情を変えず、無視を貫いていた。それが、それまで智香を守っていた何よりの、唯一の対処法だった。
「無視? あっそう。あんたにはあたしは眼中にもないってこと?」
何を言われても反応しないつもりだった。言わせておけばいい。どんな悪口を言ってきても、品性を下げているのは、相手で、だからこっちから立ち去ればいい。――その時まで、智香はそう思っていた。
「あれ? 今日はいつもあんたにくっついてるあのブスはいないんだ」
だが、その言葉を聞いた瞬間、智香は足に力を込めて、踵を返した。百川のにやけた顔が見えた。でも、どうでもよかった。怒りにかられた智香は、百川に向かって微笑み、
「ねえ百川さん、よかったね。あなたが探しているブスは、ここにいるよ。私の目の前にね」
と、間髪入れずに言い放った。百川は、突然思いもしなかった反撃を受けて、口をぱっくり開けて間抜けな顔をしていた。だが、すぐにその表情は意地悪いものに切り替わった。
「へえ。どこにいるの? あたしには、口の悪い女しか見えないけど?」
それを受けて智香は不敵に笑った。
「ああ、それならよかった。その女も、同じ女だから。私の目の前にいるよ」
百川もすかさずやり返す。
「へえ、誰のこと? はっきり言ってみなよ」
そうして言い合い、にらみ合った後、一瞬だけ間が生まれた。智香は休まず、百川に迫った。
「いい? 百川さん。あなたがいくら私の悪口を言っても、私は気にしない。でも、私の周りの、大切な友達を傷つけるような発言は、何があっても許さない」
そう言い終わった後は、得意げに微笑んで見せた。言ってやった、という満足感があった。正しくて、非の打ちどころのない言葉だと思った。まるで無敵になった気分で、自分の言葉は、たとえ総理大臣でも反論できない気がした。でも、気分は晴れなかった。どこか落ち着かずに、イライラしていた。智香は興奮を抑えるように小さなため息をついた。言いたいことも言ったので、そのまま百川に背を向ける。
「三國先生のこと、なんでしょ?」
すかさず、背中から百川が切りつけた。智香は立ち止まり、百川が続けた。
「あの人があたしに興味が移ったから、嫉妬してるんでしょ」
智香は大きなため息をついた。一気に歳をとったような気がする。こういう根も葉もない噂には、昔からウンザリでしょうがないのに、無視することもできない。放っておくと、勝手に増えてしまうのだ。もちろん、百川の言っていることは完全に的外れなので、振り返って言う。
「あのね。いい? 勘違いしているようだけど、私はあの男にそんな感情なんて一切抱いていないの。むしろまったく逆」
百川は相変わらず歪んだ笑顔を浮かべていた。
「悔しいんでしょ? はっきり言えばいいのに」
百川は心底嬉しそうに答えた。智香は言い返そうと思ったが、百川の勘違い――智香はそれを能天気な勘違い、だと思った――を正す手段がないこともわかっていた。それでも、とにかく何かを言おうと思ったが、やっぱり馬鹿らしくなってできなかった。智香はなんとか気持ちを入れ直して反論する。
「いい? あなたがあの男とどういう関係か知らないし、知りたくもないけど、あの男は、あなたやみんなが思っているような男じゃない。……もっとずっと最低な男」
百川は鼻で笑った。
「何? 自分の方が知っているって言いたいわけ? 自分の方が優れてるって? あたし、三國先生があんたなんかに熱中する理由が全然わかんない。ねえ、鈴本さん、教えてよ。どうやったらそんなに男の人の注意を引けるわけ?」
そう言って百川は、智香の身体に視線を這わせた。智香はたまらず手を振って、背を向けた。
「そんなの知らない。興味もない。自分で考えれば?」
智香はもう振り返らなかった。何があっても百川千花に近づかないと、決意を固め、そこから去っていった。
最悪な気分だった。百川を打ち負かす計画はあっけなく砕け散ったようだった。むしろ、後悔ばかりして、自分に失望していた。かえって、短い会話で人を不快にできる百川に感心したほどだった。智香は、これ以上その思いを抱かないよう、すぐに教室に向かった。
「あんたが知らないこと、あたしはいっぱい知ってるんだから!」
百川千花がここぞとばかりに叫んでいるのが耳に入った。クラスのみんなが、廊下のみんなが百川千花を見て、さっきまで言い争っていた智香のことを目で追う。だがそんなことは関わりたくもない、というように智香は前だけを見据え、そこへ歩いていった。
智香は、生徒たちの顔を、一つ一つ確かめるように見ていった。たくさんの生徒と目が合って、見られた生徒たちは落ち着かなくなるか、勘違いをして智香に話しかけてくる男子生徒もいた。その度に智香は見ていたことを詫び、時には無遠慮になって、話を中断させた。
しかしいくら探せども鬼平の姿は見つからなかった。彼は今日も教室の隅に一人で――智香が探しているなんて知りもせず、あの後もまだまとわりついてくる六条に、どうやって断ったらいいかということに、悩まされて――座っている。
智香は鬼平を探すのを諦め、教室に帰ろうとした。その途中、三国修司の次に校内で会いたくない人物に出くわした。その人物は智香を見ると(汚いものを見るように)、顔をしかめた。智香は、その相手とは話さないと決めていた。だから、すれ違っても感情を動かさず、表情を変えず、無視を貫いていた。それが、それまで智香を守っていた何よりの、唯一の対処法だった。
「無視? あっそう。あんたにはあたしは眼中にもないってこと?」
何を言われても反応しないつもりだった。言わせておけばいい。どんな悪口を言ってきても、品性を下げているのは、相手で、だからこっちから立ち去ればいい。――その時まで、智香はそう思っていた。
「あれ? 今日はいつもあんたにくっついてるあのブスはいないんだ」
だが、その言葉を聞いた瞬間、智香は足に力を込めて、踵を返した。百川のにやけた顔が見えた。でも、どうでもよかった。怒りにかられた智香は、百川に向かって微笑み、
「ねえ百川さん、よかったね。あなたが探しているブスは、ここにいるよ。私の目の前にね」
と、間髪入れずに言い放った。百川は、突然思いもしなかった反撃を受けて、口をぱっくり開けて間抜けな顔をしていた。だが、すぐにその表情は意地悪いものに切り替わった。
「へえ。どこにいるの? あたしには、口の悪い女しか見えないけど?」
それを受けて智香は不敵に笑った。
「ああ、それならよかった。その女も、同じ女だから。私の目の前にいるよ」
百川もすかさずやり返す。
「へえ、誰のこと? はっきり言ってみなよ」
そうして言い合い、にらみ合った後、一瞬だけ間が生まれた。智香は休まず、百川に迫った。
「いい? 百川さん。あなたがいくら私の悪口を言っても、私は気にしない。でも、私の周りの、大切な友達を傷つけるような発言は、何があっても許さない」
そう言い終わった後は、得意げに微笑んで見せた。言ってやった、という満足感があった。正しくて、非の打ちどころのない言葉だと思った。まるで無敵になった気分で、自分の言葉は、たとえ総理大臣でも反論できない気がした。でも、気分は晴れなかった。どこか落ち着かずに、イライラしていた。智香は興奮を抑えるように小さなため息をついた。言いたいことも言ったので、そのまま百川に背を向ける。
「三國先生のこと、なんでしょ?」
すかさず、背中から百川が切りつけた。智香は立ち止まり、百川が続けた。
「あの人があたしに興味が移ったから、嫉妬してるんでしょ」
智香は大きなため息をついた。一気に歳をとったような気がする。こういう根も葉もない噂には、昔からウンザリでしょうがないのに、無視することもできない。放っておくと、勝手に増えてしまうのだ。もちろん、百川の言っていることは完全に的外れなので、振り返って言う。
「あのね。いい? 勘違いしているようだけど、私はあの男にそんな感情なんて一切抱いていないの。むしろまったく逆」
百川は相変わらず歪んだ笑顔を浮かべていた。
「悔しいんでしょ? はっきり言えばいいのに」
百川は心底嬉しそうに答えた。智香は言い返そうと思ったが、百川の勘違い――智香はそれを能天気な勘違い、だと思った――を正す手段がないこともわかっていた。それでも、とにかく何かを言おうと思ったが、やっぱり馬鹿らしくなってできなかった。智香はなんとか気持ちを入れ直して反論する。
「いい? あなたがあの男とどういう関係か知らないし、知りたくもないけど、あの男は、あなたやみんなが思っているような男じゃない。……もっとずっと最低な男」
百川は鼻で笑った。
「何? 自分の方が知っているって言いたいわけ? 自分の方が優れてるって? あたし、三國先生があんたなんかに熱中する理由が全然わかんない。ねえ、鈴本さん、教えてよ。どうやったらそんなに男の人の注意を引けるわけ?」
そう言って百川は、智香の身体に視線を這わせた。智香はたまらず手を振って、背を向けた。
「そんなの知らない。興味もない。自分で考えれば?」
智香はもう振り返らなかった。何があっても百川千花に近づかないと、決意を固め、そこから去っていった。
最悪な気分だった。百川を打ち負かす計画はあっけなく砕け散ったようだった。むしろ、後悔ばかりして、自分に失望していた。かえって、短い会話で人を不快にできる百川に感心したほどだった。智香は、これ以上その思いを抱かないよう、すぐに教室に向かった。
「あんたが知らないこと、あたしはいっぱい知ってるんだから!」
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