並行世界の殺人~十二人の「私」と連続殺人事件~

yamatsuka

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第六章

筑紫警部

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 捜査第一課の筑紫警部は困り果てていた。今年四十五歳になる彼は今、署内の捜査本部で、椅子の背もたれにだらしなくもたれかかり、身体を斜めにして左のひじ掛けに乗せた左腕に体重を預けている。正面の机の上のノートパソコンがあって、ずっと同じ画面を映しているものの、彼の視線はそこにはない。

 神経の繋がっていないような二つの眼がその眼窩には収まっていた。彼の右足はもうかれこれ三十分以上は小刻みに上下に揺れ続けていた。左足はその右足と椅子に挟まれて、足裏を見せながら、右足が揺れるたびに一緒に頷いていた。

 筑紫警部は、ひょっとこのように口をすぼめて曲げ、自分のもみあげを触った。髭と一体になっているそれは最近整えたばかりで、指先をチクチクと刺すような刺激が面白くて、ついついやることがなくなると触ってしまうのだった。

 彼はしばらくその感触を確かめた後、停止していた両目に神経を通した。そうして身体を起こして机の奥にあったファイルに手を伸ばして広げ、該当ページに行き当たると、今度はまるで足の小指をぶつけた時のように顔をしかめながら、その濃い髭を一周させるように撫でまわしていた。

 それから彼は目を細めて首を振り、天を仰いだ。

 どうしたらいいんだ。

 と、そこで扉が開く音がして、筑紫警部は顔を戻した。

「筑紫警部。ここにいたんですか。探しましたよ」

 つるんとした肌の新米の筒井刑事が、そこに立っていた。刑事は真っ赤な頬で筑紫に近づいた。

「ああ? 俺も探していたぞ。いままでどこにいたんだ」

 筑紫警部は椅子を回転させて筒井刑事に向き合うと、唸り声をあげ、さっきまでの弱音など感じさせないくらいに、そう毒づいた。もちろん警部はこの部屋を一歩も出てなどいないのだが、なんとなく沽券にかかわるような気がして、そう言わざるを得なかった。

 筒井刑事は頬にえくぼを作ると、

「すみません。それは知りませんでした。それより、報告することがあるんです」

 涼しい顔をして受け流した。

 筑紫警部はそれを見て思わず笑みがこぼれた。どういうわけか筒井刑事は署内で強面として恐れられる筑紫警部に一切物怖じしないのだ。

 最近の若い奴らはなにを考えているのかわからない。警部はそう思った。

 警部には筒井が自分とは全然違う人種のように思えていた。

 筒井刑事は彼がぼんやりとそう考えている間も、気にせず続けた。

「さっき現場の玉井刑事から無線が入りました。被害者の姉を名乗る不審な人物が、現場に現れたということです」

「なんだと?」

 筑紫警部は片眉を吊り上げた。

「音羽千歳に姉妹はいないはずだろ。いったいなんの冗談だ」

 そして、目の前に立っている筒井刑事を責めるように言った。

「はい。玉井刑事も彼女の様子がおかしいとすぐに気づいたそうなのですが……」

 筒井刑事は淡々と報告していたが、そこで筑紫警部の机の上に広げられていた資料に一瞬目をとられた。

 警部は唸りながら首を傾げ、先を促す。

「失礼しました。ですが、その時偶然、音羽千歳の家から出てきた芹川と出くわしたようで、芹川はその人物を見ると、一気に駆け寄って来たそうです。実際にその人物は遠目から見ても被害者と同一人物かと見間違うほどだったようです。なんでも双子だとか」

 警部はそこまで聞くと笑いながら身体を揺らした。

「へえ、そりゃなんとも不思議な話だね。本当にそんなことがあったのかよ」

 警部は目を光らせて筒井刑事を見た。刑事はそれを受け流し、

「確かです。その後、玉井刑事がもう一度被疑者の写真を見て、確認したそうです。改めて見ると、びっくりするくらいそっくりだったようで、それで不審に思い、私の方に連絡をしてきたのです」

「あの野郎。昔からすぐ顔を忘れるんだ」

 警部は呆れながら言った。

「どう思いますか?」

 筒井刑事が聞いた。警部は耳をかきながら、

「どうって、『謎の姉』! いいじゃねえか、面白くなってきたねえ!」

 と唾を飛ばすように笑った。

「きっとその女が、俺たちの知らないことを教えてくれるだろうさ。ちょうど被疑者は消えたまんまで尻尾を出さないからな。なんだか、まるで探偵小説みたいになってきたな。え? だから『謎の姉』なんてのが登場したのかね」

 筒井刑事は筑紫警部のどこか恨みったらしい言葉を、風の音のように聞き流した。
 筑紫警部はそれを見て舌打ちをし、口を歪ませてそっぽを向いた。

「しかし警部。いったいこれはどういうことだと思いますか。本当に音羽千歳には姉がいたんでしょうか」

 筒井刑事は冷静にそう尋ねた。

「さあな、そんなの会ってみなきゃわからねえよ」

 筑紫警部はそう言うと、苦い顔をしてたばこを取り出した。

「署内は全面禁煙ですよ」

「わかってるよ。くわえるだけ。しょっぱいこと言うなよ」

 警部は口元にくわえたたばこを指で挟んで、手を離した。息を吐く。筒井刑事にはその口元から広がる幻の煙が見えるような気がした。

「まあ、おおかた、俺の考えじゃ、その姉っていうのは、芹川って女の差し金なんじゃねえか。あの女、どうも臭うからな」

 警部はたばこを口元に戻した。

「しかし、どういうつもりでそんなことを?」

「知るかよ。どうせ嘘で嘘を塗り固めようってことだろう。隠したいことが他にあって、そのよく似た女を利用したのかもしれない。まあいま考えたってしかたないさ。話を聞けば、自ずと馬脚を露すだろう」

「彼女と会うつもりですか?」

「そうだな。できれば今日中にその女の正体を突き止めたいところだが……」

 警部は筒井刑事に意味ありげな視線を投げかけた。筒井は顔を曇らせていたが、やがて首を振りながらため息をついた。

「……わかりました。ではその時間に署に来るように伝えておきます」

「ああ、頼んだぞ」

 警部は投げやりに返事をすると、もみあげを手でごしごしと擦るように撫で、まるで歯に骨が挟まったみたいな表情で頷いた。刑事はしばらくぼんやりと警部の様子を眺めていたが、やがて我に返ったのか、頷き、

「失礼します」

 と言って背中を見せ、そこから去っていった。

 警部は、筒井が見えなくなると、厄介者がいなくなったとばかりに、さっきまで刑事がいたところを手で払った。

それから腕を組むと、頭の中で思い切り不満をぶちまけた。

 まったく、この事件は気に食わない!

 最初は単純な事件だと思っていた。有名な作家を狙った強盗殺人。

 だが日が経つたびに、妙な違和感が積み重なっていた。逃げた犯人の手がかりが掴めない。見つからない。それだけじゃなく、状況はまるで、そんな人間なんていなかったかのような様相を呈し始めていた。

 こんなに腹立たしいことはなかなかない。

 そのうち警部は、この事件の犯人は、相当手慣れた人物なのではないかと、思い始めていた。

 犯人はかなり緻密にこの犯行を計画し、実行したのではないか、突然現れた「謎の姉」もその計画の一部なのではないか、と疑っていた。

 しかし、だとしたらこの事件は、相当やっかいなものになるだろう。

 あの筒井刑事には、それがわかっているんだろうか。

 警部はそこで大きくため息をつくと、たばこを指でくるくると回した。

 あいつは確か、二十七だったな。二十七か。若いな。俺が二十七の時は、もっと犯人を捕まえようと躍起になっていたものだが。

 最近の若い奴の考えは、よく理解できない。どこかのっぺりとしていて、覇気がなく、争いを極端に避ける。あの筒井にいたっては、すね毛もないじゃないか。

 しかし、そういえば、殺された女も、二十七になるくらいだったな。かわいそうに、まだ若くて、未来があっただろうに、作家としても、女としてもまだまだこれからだっただろうに……。
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