妬まれ襲撃された第三皇女、魔王兜の少年に拾われる

水戸直樹

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第1話 帝国の花

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「第三皇女の評判は……非の打ち所がないとのことです」

「……そう。だからこそ、危ういのよ」

「いかがいたしましょう?」

「教えてあげましょ。若く、美しく、人望がある――それがどれほど危険なことか」

◇◇◇

 朝霧の立つ帝都の通りに、鐘の音が響いた。
 露をまとった屋根瓦が光り、石畳の上をパン屋の香ばしい匂いが流れていく。

「今日も、第三皇女さまがお菓子を配ってくださったんだって」
「ええ、孤児院の子たちが嬉しそうにしてたわ」
「本当にお優しい方だね」
「ああ……珍しい皇族だよ」

 誰かが声を潜めた。

「……そういえば、西の森の噂、聞いた?」
「魔王の森だろ?兵隊が雷に打たれたって話だよな」

 露店の主人が苦笑しながら肩をすくめる。

「まあ、あんな辺境に用がある人なんて、そうそういないさ」

 そんな噂が行き交う朝。
 市場の誰もが、自然とその名を口にしていた。
 金の髪と碧の瞳をもつ少女――セシリア・ドゥルセ・アルステイン。
 皇帝の第三皇女であり、側室の娘として生まれた彼女は、皇城にいながら民に寄り添う稀有な存在だった。

◇◇◇

 皇城の一角。高窓から朝の光が差し込む厨房に、ひときわ明るい笑い声が響く。

「殿下、また厨房にお入りですか? 手を火傷されますよ」
「大丈夫。ほら、今日はちゃんと手袋をしてるもの」

 セシリアは袖を少し上げ、焼きたての菓子を天板ごと取り出した。
 小ぶりな花の形をした焼き菓子――帝都では“セシリア菓子”として人気の品だ。
 香ばしい香りが漂うと、使用人たちの顔に笑みが浮かぶ。

 焼き上がった菓子を並べた瞬間――

「……あ」

 ひとつだけ、花びらの形が崩れていた。
 焦げも少し強い。

 セシリアはしばらく眺めてから、小さく息をつく。

「……これは、私が食べる用ね」

「セシリア様のお菓子を食べると、風邪が治るって子どもたちが言ってましたよ」
「うふふ、そう言ってもらえるのがいちばん嬉しいわ。……ねえ、カインもどう?」

 扉の近くに控えていた護衛騎士が、苦笑しながら一歩前へ出る。
 真面目すぎるとよく言われる彼――カインは、手を差し出すのにも少し戸惑っていた。

「お務めの最中に頂くのは……」
「よかったら、あとで味見してほしいわ。焼き色が少し強いの」

 やわらかな笑み。
 菓子を受け取ったカインは、礼儀正しく一礼しただけで、ほとんど表情を変えなかった。

(……固い人。いつも通りね)

 セシリアは思わず笑ってしまう。
 その笑みは、厨房の空気をほんの少しだけ柔らかくした。

 ――こうしている時間が、いつまでも続けばいいのに。

 そんな思いが胸の奥に小さく浮かんだ。

◇◇◇

 だが、その日の夕刻。
 晩餐会の席で、空気は一変した。

 重々しいシャンデリアの下、老宰相メルヴィク・ハーランドと、その派閥の貴族たちが列をなし、
 長い卓の中央には皇帝の椅子――そしてその隣に、第三皇女の席が用意されていた。

「おや、これはこれは。殿下もようやくご出席を賜るとは」
「厨房ではお忙しいと伺っておりましたぞ」
「まこと、“帝国一の花”というのは香りを振りまくのもお仕事で?」

 笑い交じりの皮肉が、葡萄水の甘い香りに紛れる。
 セシリアは穏やかに微笑み、薄紫の液体が揺れるグラスをそっと口元へ運んだ。
 その指先が、かすかに震えていた。

「殿下のお母上も菓子作りに夢中でいらしたとか。お優しい血筋というわけですな」
「ええ、慈悲深くて――脇も、いささか甘かったようで」

「……!」

 隣席の若い貴族が思わず声を上げたが、宰相メルヴィクは意に介さない。
 ただ、グラスを傾けながら笑った。

 セシリアは深く息を吸い、顔を上げた。
 碧の瞳が、凪のように静まる。

「皆さま。母のことを覚えていてくださって、光栄です。
母が愛した帝国を、私はこれからも支えていきたいと思いますわ」

 微笑のまま、完璧な答礼。
 拳の中で、爪が掌に食い込むのを誰も見ていなかった。

◇◇◇

 その夜。晩餐が終わり、客が引いた後。
 宰相メルヴィクは皇后の居室を訪れていた。
 静かな灯が揺れる中、銀のティーセットが二人の間に置かれている。

「――お約束の件、進めております」
 宰相が恭しく頭を下げる。
 皇后はグラスを持ち上げ、淡い笑みを浮かべた。

「例の娘ね。母親そっくりに人の心を掴む。平和だの協調だの唱え出す前に芽を摘んでおかなくてはね」
「ゆえに、陛下のお耳に入る前に手を打たねば。辺境視察の名目で連れ出します」
「証拠は残さないで。あの女の娘に慈悲など必要ないわ」

 宰相はゆっくりと頭を垂れた。
 蝋燭の炎が、彼の顔を一瞬だけ赤く照らす。
 その影は、地図の上で帝都の西方――辺境をなぞっていた。

◇◇◇

 翌日。
 皇帝主催の会議の席で、宰相メルヴィクが立ち上がる。

「ところでセシリア第三皇女殿下。来月の辺境視察にはぜひご同行を願いたい。
民にお優しい皇女殿下には、民の暮らしをその目で見ていただきたいものですな」

 周囲がざわめく。
 辺境とは、最近盗賊団が頻発している西方の村々のことだ。
 カインがすぐに口を開いた。

「宰相閣下、それは――危険すぎます。殿下を軽々しく外に出すなど――」

「構いません」

 セシリアの声が静かに響いた。
 すべての視線が彼女に集まる。

「民のための帝国であるなら、私たちが民を恐れてはなりません。
……私も、この国を見ておきたいのです」

 その言葉に、誰も続けられなかった。
 宰相は薄く笑い、ゆっくりと席に戻った。

◇◇◇

 夜。
 皇城のバルコニーに一人立つセシリアは、胸元のロザリオをそっと握りしめていた。
 母の形見――銀の十字に、月光が冷たく光る。

 眼下には、灯火が星のように瞬く帝都。
 その明かりのひとつひとつが、彼女の守りたい人々の暮らしだった。

(お母様……私はちゃんと見届けます。帝国を。あなたが愛した人々を)

 風が金の髪をなでる。
 遠く、夜の地平の彼方――“魔王の森”と呼ばれるその地が、静かに息づいていた。
 その森の奥で――
 噂の裏側にいる“少年”が、静かに目を開けようとしていた。

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