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第6話 別れの朝
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――今日、ここを出る。
魔王の森に、朝の光が細く差し込み始めていた。
拠点のベッドでは、リオルが静かに眠っている。角の生えた黒鉄の兜だけが、薄明かりの中で鈍く光っていた。
昼の彼は、ほとんどの時間、死んだように動かない――それを知るセシリアは、そっと足音を潜めてキッチンへ向かった。
棚には見慣れない器具、瓶詰めの果実、そして乾いた香辛料の匂いが残っている。
彼女は手際よく材料を集め、小さな果実の焼き菓子を作りはじめた。
――せめて、これくらいはお礼に。
甘い香りが立ちのぼり、炉の中で生地がふくらむ。
果実の甘酸っぱさが焦げ目に溶け、台所の冷たい空気がゆるく温められていく。
焼き上がった菓子を、自分の名前が刺繍されたハンカチに包む。
包む指先が少し震えた。
ほんの数日なのに、ここに自分の居場所がある気がした。
帝都に戻れば、また陰謀と争いの世界。
この静かな日々が、夢の一幕のように遠のいていく。
――もう会えないかもしれないのに。
そう思うと、胸の奥にじんとした痛みが走った。
◇◇◇
リオルの実家、ローレイド伯爵家。
宰相府の紋章を掲げた使者が、冷ややかな声で命を告げた。
「――魔王の森周辺を捜索せよ。セシリア第三皇女発見の際には即、帝都へ送還されたし」
使者が去ると同時に、当主アルデンが酒の杯を置き、低く笑った。
「宰相に恩を売れるな」
「父上、兵の指揮は私がとりましょう」
次男フェリクスが進み出ると、母キリナが嬉しげに息を呑んだ。
「第三皇女は帝都随一の才色兼備……ご縁を得る、またとない機会ね」
フェリクスは薄く笑う。
「たしかに……。発見して、会う機会さえ得られれば、私に気持ちを向かせることもできるでしょう」
そう言って踵を返した彼の瞳には、隠せない欲望の色が宿っていた。
◇◇◇
魔王の森の外れ、木々が途切れる場所。
ここから先は街道――人の目に触れる世界だ。
リオルはヤマトの背から軽く飛び降り、首をぽんと叩いた。
「お前はここまでだ。これ以上は見られる」
ヤマトは大きな体を小さく丸め、上目遣いにリオルを見上げる。
それから、ゆっくりと背から降りたセシリアの手に鼻先を寄せる。
耳を伏せ、甘えるように彼女の手をつつく。
「……ヤマト、送ってくれてありがとう。また、会えるといいね」
くぅん……
ヤマトは尾を落とし、名残惜しそうに彼女の匂いを確かめた。
まるで「気をつけて」と言っているようだった。
その姿に胸が締めつけられる。
リオルが苦笑する。
「ほら、褒美だ。……行け。情が移る前にな」
もらったキノコを咥えたヤマトは離れがたそうに二人を見つめ――
次の瞬間、風のように森の奥へと駆け戻っていった。
「……いい子ね」
セシリアは呟き、霧の向こうへ消えていく影に手を振る。
撫で損ねた手が残った。
あの大きな背が、もう二度と見えなくなる気がして――目頭が熱くなった。
◇◇◇
夜明け前の街道。
ヤマトを森に帰してから、二人は休むことなく歩き続けた。
空が白み、鳥の声が遠くで鳴き始めている。
「……俺も、ここまでだ」
リオルが足を止めた。
朝になれば、彼はまともに動けなくなる。これ以上の同行は危険だ。
素顔は黒い兜の影に沈む。
「ありがとう」
セシリアの声が、湿った朝霧に吸い込まれていく。
風の音だけが通り過ぎた。
「……あの」
セシリアがそっと上目に彼を見る。
「もし……私が行くところを失ったら……また、あの家に住ませてくれる?」
冗談で軽く言ったのか――とリオルは最初は思った。
けれど、彼女の瞳はまっすぐだった。
「……お前はうるさくないし、いるのは……べつに構わない」
「『お前』はやめて。名前で呼んで」
ふくれたような頬に、リオルの瞳がかすかに揺れる。
「……わかった。セシリア、旅の無事を祈る」
彼女は微笑み、懐からハンカチ包みを差し出した。
「これ、あとで食べて。あなたが寝ている間に焼いたの。……お礼に」
リオルの手が、わずかに固まる。
「……俺に、か」
「うん。だから……また行ってもいいって、忘れないでね」
包みを大切そうに持ち直したリオルが短く答える。
「ああ。……覚えておく」
言った瞬間、黒鉄の兜の一つ目が、わずかに瞬いた気がした。
セシリアはフードを深くかぶり、金の髪を隠す。
霧の向こうへと、二人は別々の道へ踏み出した。
夜明けの風が森を抜ける。
リオルの手に残った温かな甘い香りが、静かに漂っていた。
魔王の森に、朝の光が細く差し込み始めていた。
拠点のベッドでは、リオルが静かに眠っている。角の生えた黒鉄の兜だけが、薄明かりの中で鈍く光っていた。
昼の彼は、ほとんどの時間、死んだように動かない――それを知るセシリアは、そっと足音を潜めてキッチンへ向かった。
棚には見慣れない器具、瓶詰めの果実、そして乾いた香辛料の匂いが残っている。
彼女は手際よく材料を集め、小さな果実の焼き菓子を作りはじめた。
――せめて、これくらいはお礼に。
甘い香りが立ちのぼり、炉の中で生地がふくらむ。
果実の甘酸っぱさが焦げ目に溶け、台所の冷たい空気がゆるく温められていく。
焼き上がった菓子を、自分の名前が刺繍されたハンカチに包む。
包む指先が少し震えた。
ほんの数日なのに、ここに自分の居場所がある気がした。
帝都に戻れば、また陰謀と争いの世界。
この静かな日々が、夢の一幕のように遠のいていく。
――もう会えないかもしれないのに。
そう思うと、胸の奥にじんとした痛みが走った。
◇◇◇
リオルの実家、ローレイド伯爵家。
宰相府の紋章を掲げた使者が、冷ややかな声で命を告げた。
「――魔王の森周辺を捜索せよ。セシリア第三皇女発見の際には即、帝都へ送還されたし」
使者が去ると同時に、当主アルデンが酒の杯を置き、低く笑った。
「宰相に恩を売れるな」
「父上、兵の指揮は私がとりましょう」
次男フェリクスが進み出ると、母キリナが嬉しげに息を呑んだ。
「第三皇女は帝都随一の才色兼備……ご縁を得る、またとない機会ね」
フェリクスは薄く笑う。
「たしかに……。発見して、会う機会さえ得られれば、私に気持ちを向かせることもできるでしょう」
そう言って踵を返した彼の瞳には、隠せない欲望の色が宿っていた。
◇◇◇
魔王の森の外れ、木々が途切れる場所。
ここから先は街道――人の目に触れる世界だ。
リオルはヤマトの背から軽く飛び降り、首をぽんと叩いた。
「お前はここまでだ。これ以上は見られる」
ヤマトは大きな体を小さく丸め、上目遣いにリオルを見上げる。
それから、ゆっくりと背から降りたセシリアの手に鼻先を寄せる。
耳を伏せ、甘えるように彼女の手をつつく。
「……ヤマト、送ってくれてありがとう。また、会えるといいね」
くぅん……
ヤマトは尾を落とし、名残惜しそうに彼女の匂いを確かめた。
まるで「気をつけて」と言っているようだった。
その姿に胸が締めつけられる。
リオルが苦笑する。
「ほら、褒美だ。……行け。情が移る前にな」
もらったキノコを咥えたヤマトは離れがたそうに二人を見つめ――
次の瞬間、風のように森の奥へと駆け戻っていった。
「……いい子ね」
セシリアは呟き、霧の向こうへ消えていく影に手を振る。
撫で損ねた手が残った。
あの大きな背が、もう二度と見えなくなる気がして――目頭が熱くなった。
◇◇◇
夜明け前の街道。
ヤマトを森に帰してから、二人は休むことなく歩き続けた。
空が白み、鳥の声が遠くで鳴き始めている。
「……俺も、ここまでだ」
リオルが足を止めた。
朝になれば、彼はまともに動けなくなる。これ以上の同行は危険だ。
素顔は黒い兜の影に沈む。
「ありがとう」
セシリアの声が、湿った朝霧に吸い込まれていく。
風の音だけが通り過ぎた。
「……あの」
セシリアがそっと上目に彼を見る。
「もし……私が行くところを失ったら……また、あの家に住ませてくれる?」
冗談で軽く言ったのか――とリオルは最初は思った。
けれど、彼女の瞳はまっすぐだった。
「……お前はうるさくないし、いるのは……べつに構わない」
「『お前』はやめて。名前で呼んで」
ふくれたような頬に、リオルの瞳がかすかに揺れる。
「……わかった。セシリア、旅の無事を祈る」
彼女は微笑み、懐からハンカチ包みを差し出した。
「これ、あとで食べて。あなたが寝ている間に焼いたの。……お礼に」
リオルの手が、わずかに固まる。
「……俺に、か」
「うん。だから……また行ってもいいって、忘れないでね」
包みを大切そうに持ち直したリオルが短く答える。
「ああ。……覚えておく」
言った瞬間、黒鉄の兜の一つ目が、わずかに瞬いた気がした。
セシリアはフードを深くかぶり、金の髪を隠す。
霧の向こうへと、二人は別々の道へ踏み出した。
夜明けの風が森を抜ける。
リオルの手に残った温かな甘い香りが、静かに漂っていた。
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