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1章 兄の婚約者が様変わりしたようです
1話 禁忌の魔法遣いの覚醒①
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春の嵐の今日。わたしの初恋相手であるエドゥアルド・ミロシュ公爵が、馬車ごと滑落して落命した。
遺体を回収した洞窟管理役によると、王宮目指してかなり馬を急がせていたという。
「雨期の盛りに、何をそんなに急がれたのです……?」
フセスラウ王宮は山脈の頂上に建つ。一部は地を削って場を確保している。
そのひとつ、葬儀用の洞にて、黒い式服に袖を通したわたしは弱々しくつぶやいた。
「閣下」
もちろん答えはない。夜が来ても止まない雨音が聞こえるのみ。
彫刻木の寝台に横たえられた長身痩躯は、いつものとおり漆黒の、しかし湿ってぼろぼろの礼服に包まれている。
襟なし上衣と襯衣を突き破る、深い掻き傷。これが致命傷となったに違いない。こめかみは赤紫色に腫れる一方、肌に生気はなく、悪魔的とまで謳われた美貌は見る影もない。
二歳上の兄コンスタンティネには、とても見せられない。
『彼が、亡く、なった? ユーリィ、嘘を吐かないで』
王太子として帝王学を叩き込まれてきた彼も、さすがに倒れてしまった。雨期が終わり次第、公爵と婚儀を挙げる予定だった。
わたしには倒れる権利も、ましてや涙を流す権利もない。十年間、兄の婚約者に横恋慕していたのだから。
懐の万年筆に手を当て、奥歯を噛み締める。
(公爵のお身体に少しだけ触れさせてください、兄上)
胸の裡で断りを入れてから、ひそかな想い人の手を取った。わたしの指よりさらに冷たい掌に、粉状の雲母を塗る。
怜悧な印象の唇をゴムノキの葉で覆い、下腹部に置いた器に羊の乳を注ぐ。
わたしは王宮唯一の葬儀士だ。
血縁含む王族が亡くなった場合、同じく王族が葬送の儀式を行う、と四十四年前に定められた。忌み事ながら、第二王子の自分にもできるならと引き受けた。
(閣下を葬送する日は、ずっと先だと思っていましたが)
公爵は八歳上のはとこに当たる。それぞれの祖父が双子の兄弟なのだ。
とはいえまだ二十七歳の彼を送る心の準備は、これっぽっちもできていなかった。
(もしかしたら、「始まりの魔法遣いたち」が、兄と違って国を統べる使命もないわたしを憐れみ、許されぬ恋と訣別できるよう与えてくれた時間かもしれません)
なんて不謹慎な言い訳をしつつ、公爵の肩下まである黒髪に手を伸ばす。血がこびりついた部分を丁寧に解いた。夢想したよりやわらかい手触りだ。
『私に気安く触れるな』
早春の、わたしの成人を祝う舞踏会の折り。公爵は、「髪に糸くずがついている」と下心で手を出した夫人を、ぴしゃりと退けた。
王族の血縁にして将来の王婿。彼の孤高な言動はときに周囲を凍りつかせる。でもこの一件は婚約中の兄を気遣ってのことと、わたしにはわかった。
生前ならわたしも手を払われただろうか。何者でもない、第二王子。
(あの日のように魔法を遣えたらよいのに。禁忌の蘇生魔法を――)
燭台の火が、不意に揺れた。ぴくりと公爵の睫毛が戦慄く。
薄闇の中でも蠱惑的にきらめく紅眼が、わたしを捉えた。
「天使みたいな銀の巻き毛と碧い目、貴い佇まい。僕の推し、ユーリィ」
(い、今、何と?)
亡骸が目を開けて言葉まで発した衝撃で、固まってしまう。
それをよいことに、公爵は起き上がってわたしを抱き寄せた。
わたしも平均以上の背丈があるのに、彼の長い腕にすっぽり包み込まれる。その手は熱く、あえかに震えている。
そう、熱い。押しつけられた胸には掻き傷の感触がない。脈拍が聞こえた。
公爵の下腹部に載せた器が落ち、硬い音を立てる――夢ではない。
(何が、起きたのでしょう? 閣下を想うあまり、魔力の封印を解いてしまった?)
「すう――」
あろうことか、公爵は思いきりわたしの匂いを吸い込んでいる。
遺体を回収した洞窟管理役によると、王宮目指してかなり馬を急がせていたという。
「雨期の盛りに、何をそんなに急がれたのです……?」
フセスラウ王宮は山脈の頂上に建つ。一部は地を削って場を確保している。
そのひとつ、葬儀用の洞にて、黒い式服に袖を通したわたしは弱々しくつぶやいた。
「閣下」
もちろん答えはない。夜が来ても止まない雨音が聞こえるのみ。
彫刻木の寝台に横たえられた長身痩躯は、いつものとおり漆黒の、しかし湿ってぼろぼろの礼服に包まれている。
襟なし上衣と襯衣を突き破る、深い掻き傷。これが致命傷となったに違いない。こめかみは赤紫色に腫れる一方、肌に生気はなく、悪魔的とまで謳われた美貌は見る影もない。
二歳上の兄コンスタンティネには、とても見せられない。
『彼が、亡く、なった? ユーリィ、嘘を吐かないで』
王太子として帝王学を叩き込まれてきた彼も、さすがに倒れてしまった。雨期が終わり次第、公爵と婚儀を挙げる予定だった。
わたしには倒れる権利も、ましてや涙を流す権利もない。十年間、兄の婚約者に横恋慕していたのだから。
懐の万年筆に手を当て、奥歯を噛み締める。
(公爵のお身体に少しだけ触れさせてください、兄上)
胸の裡で断りを入れてから、ひそかな想い人の手を取った。わたしの指よりさらに冷たい掌に、粉状の雲母を塗る。
怜悧な印象の唇をゴムノキの葉で覆い、下腹部に置いた器に羊の乳を注ぐ。
わたしは王宮唯一の葬儀士だ。
血縁含む王族が亡くなった場合、同じく王族が葬送の儀式を行う、と四十四年前に定められた。忌み事ながら、第二王子の自分にもできるならと引き受けた。
(閣下を葬送する日は、ずっと先だと思っていましたが)
公爵は八歳上のはとこに当たる。それぞれの祖父が双子の兄弟なのだ。
とはいえまだ二十七歳の彼を送る心の準備は、これっぽっちもできていなかった。
(もしかしたら、「始まりの魔法遣いたち」が、兄と違って国を統べる使命もないわたしを憐れみ、許されぬ恋と訣別できるよう与えてくれた時間かもしれません)
なんて不謹慎な言い訳をしつつ、公爵の肩下まである黒髪に手を伸ばす。血がこびりついた部分を丁寧に解いた。夢想したよりやわらかい手触りだ。
『私に気安く触れるな』
早春の、わたしの成人を祝う舞踏会の折り。公爵は、「髪に糸くずがついている」と下心で手を出した夫人を、ぴしゃりと退けた。
王族の血縁にして将来の王婿。彼の孤高な言動はときに周囲を凍りつかせる。でもこの一件は婚約中の兄を気遣ってのことと、わたしにはわかった。
生前ならわたしも手を払われただろうか。何者でもない、第二王子。
(あの日のように魔法を遣えたらよいのに。禁忌の蘇生魔法を――)
燭台の火が、不意に揺れた。ぴくりと公爵の睫毛が戦慄く。
薄闇の中でも蠱惑的にきらめく紅眼が、わたしを捉えた。
「天使みたいな銀の巻き毛と碧い目、貴い佇まい。僕の推し、ユーリィ」
(い、今、何と?)
亡骸が目を開けて言葉まで発した衝撃で、固まってしまう。
それをよいことに、公爵は起き上がってわたしを抱き寄せた。
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そう、熱い。押しつけられた胸には掻き傷の感触がない。脈拍が聞こえた。
公爵の下腹部に載せた器が落ち、硬い音を立てる――夢ではない。
(何が、起きたのでしょう? 閣下を想うあまり、魔力の封印を解いてしまった?)
「すう――」
あろうことか、公爵は思いきりわたしの匂いを吸い込んでいる。
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