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1章 兄の婚約者が様変わりしたようです
2話 第二王子の篭絡③
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蝋燭を補充したりといった日課の傍ら、ひそひそ言い合っている。
「馬車の残骸を片付けたが、あんなに壊れてたのに。馬も気の毒だったよ」
「やっぱり禁忌の魔法を遣ったって、ニコも思わないか?」
「そうですねえ、あのゆるんだ道を避けなかったの、過信があったのかも」
もう公爵の処遇が広まっているようだ。わたしに気づいてそそくさと散ったが、聞こえている。
『洞窟管理役には隙を見せるな』
公爵にそう念押しされた。
落ち着かず、彼らを目で追う。ニコと呼ばれた無造作な茶髪の青年は、見ない顔だ。
(事故の対応に当たらなかった者まで一緒になって……)
いくらわたしと公爵が「仮死だった」と言い張ろうと、公爵の死の報は一度王宮を駆け巡った。居合わせた者は禁忌破りを疑い続け、噂も広がっていくだろう。
(閣下、本当にこれで問題ないのですか?)
ほとんど駆け足で客間を目指す。
角を曲がると、ちょうど兄が見舞いに入っていくのが見えた。
わたしは急停止して、踵を返した。
とんだ無粋をしてしまうところだった。懐に忍ばせた万年筆の感触を、確かめる。
(戯曲に触れたい……唯一、わたしのさみしさを埋めてくれる。あの日だって)
十年前、兄と公爵の婚約式の日。
立会人が続々と集まる王宮で、幼いわたしは身の程も知らず張り切っていた。
日頃から空想するのが好きで、台詞を考えては兄に読んでもらって遊んだ。今日は一念発起してわたしが舞台に立ち、大好きな兄の婚約を祝えたらと思った。
しかし、上演洞内にせっせと並べた椅子は、すべて空いている。
『だれもわたしの創ったおしばいを観てくれず、さみしいです……』
そこに、馬車を降りたばかりの公爵が通り掛かった。
涙を浮かべたわたしと目が合って、さすがに居心地悪かったのだろう。十代の時点ですらりと長い腕を伸ばしてくる。
『戯曲があれば預かろう』
『ええと……ここにしかありません』
わたしは公爵の手を取り、巻き毛の頭にぽふんと載せた。公爵はひとつ息を吐き、懐の万年筆――黒檀に銀の先端のものを抜き出す。
『では、これを使ってしたためよ。紙の形なら後で従僕にでも読ませられる』
わたしは素直に万年筆を受け取り、誰かが置いていった楽譜の裏に台詞を綴り始めた。
そして、大きな発見をした。
『あれ? 紙だけでなくさみしさまで、埋まっています。……もしかして、かっか』
絶大な効果に、ある可能性に思い至る。廊下の角に消えようとしていた公爵に尋ねた。
『これは魔法のまんねんひつですか? 実はわたしは、魔法遣いにあこがれているんです。みながしあわせになれるなら、ふういんを解いてもよいと思います』
かつて王族が操れた魔法は、攻撃・防御魔法――林業や農業に使っていたのを応用した――から、実用的な解錠魔法に治癒魔法、大掛かりなものだと死者蘇生、時間遡行などもある。
逆にこんなささやかな、人の気持ちを明るくする魔法があったなんて。
『君もパルラディ派か。……秘密にできるな? ユーリィ』
禁忌破りの危険性をまだ理解していなかったわたしは、目を輝かせた。
『はい! わたしたち二人のひみつです』
名前を憶えてくれていた喜びも相俟って、晴れやかに笑う。公爵は万年筆を「返せ」とは言わずに立ち去った。
――単に面倒だったのだと、今はわかる。それでもあの日掛かった初恋の魔法は、ずっと解けないままだ。
「馬車の残骸を片付けたが、あんなに壊れてたのに。馬も気の毒だったよ」
「やっぱり禁忌の魔法を遣ったって、ニコも思わないか?」
「そうですねえ、あのゆるんだ道を避けなかったの、過信があったのかも」
もう公爵の処遇が広まっているようだ。わたしに気づいてそそくさと散ったが、聞こえている。
『洞窟管理役には隙を見せるな』
公爵にそう念押しされた。
落ち着かず、彼らを目で追う。ニコと呼ばれた無造作な茶髪の青年は、見ない顔だ。
(事故の対応に当たらなかった者まで一緒になって……)
いくらわたしと公爵が「仮死だった」と言い張ろうと、公爵の死の報は一度王宮を駆け巡った。居合わせた者は禁忌破りを疑い続け、噂も広がっていくだろう。
(閣下、本当にこれで問題ないのですか?)
ほとんど駆け足で客間を目指す。
角を曲がると、ちょうど兄が見舞いに入っていくのが見えた。
わたしは急停止して、踵を返した。
とんだ無粋をしてしまうところだった。懐に忍ばせた万年筆の感触を、確かめる。
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十年前、兄と公爵の婚約式の日。
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日頃から空想するのが好きで、台詞を考えては兄に読んでもらって遊んだ。今日は一念発起してわたしが舞台に立ち、大好きな兄の婚約を祝えたらと思った。
しかし、上演洞内にせっせと並べた椅子は、すべて空いている。
『だれもわたしの創ったおしばいを観てくれず、さみしいです……』
そこに、馬車を降りたばかりの公爵が通り掛かった。
涙を浮かべたわたしと目が合って、さすがに居心地悪かったのだろう。十代の時点ですらりと長い腕を伸ばしてくる。
『戯曲があれば預かろう』
『ええと……ここにしかありません』
わたしは公爵の手を取り、巻き毛の頭にぽふんと載せた。公爵はひとつ息を吐き、懐の万年筆――黒檀に銀の先端のものを抜き出す。
『では、これを使ってしたためよ。紙の形なら後で従僕にでも読ませられる』
わたしは素直に万年筆を受け取り、誰かが置いていった楽譜の裏に台詞を綴り始めた。
そして、大きな発見をした。
『あれ? 紙だけでなくさみしさまで、埋まっています。……もしかして、かっか』
絶大な効果に、ある可能性に思い至る。廊下の角に消えようとしていた公爵に尋ねた。
『これは魔法のまんねんひつですか? 実はわたしは、魔法遣いにあこがれているんです。みながしあわせになれるなら、ふういんを解いてもよいと思います』
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名前を憶えてくれていた喜びも相俟って、晴れやかに笑う。公爵は万年筆を「返せ」とは言わずに立ち去った。
――単に面倒だったのだと、今はわかる。それでもあの日掛かった初恋の魔法は、ずっと解けないままだ。
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