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1章 兄の婚約者が様変わりしたようです
3話 夜這いと秘密の手記②
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焦った声、それでいて達観した表情。人間味が戻ったもののちぐはぐだ。葬儀の夜のように、謎の単語を口走る。
(「キョウセイリョク」……「げえむ」?)
かと思うと、丁寧な仕草でわたしの頬を拭う。
「この涙は私のせいだな。ユーリィを死なせないためにここに来たのに、『役』に動かされ、申し訳ない」
わたしは目を見開いた。涙も引っ込む。「役」とは、まさか。
おそるおそる公爵を見上げる。狂おしいほどの瞳に見つめ返された。
「二度と強制力に屈しない。私は私の意思で……、ユーリィの死亡フラグをすべて破壊する」
公爵は重々しく宣言して、寝台を下りた。さっきわたしの肌をまさぐったのと明らかに違う手つきで寝間着を直してくれる。
「君は死なないと、君も誓ってほしい。その相談にきたのだ」
夜這い未遂で掻き回された思考を、何とか整理する。
あの公爵がわたしなぞに相談を持ち掛けるなど、最初で最後だろう。誇らしいし、役立ちたい。
ただ、まるでわたしが死を選ぶかのような口ぶりなのが引っ掛かった。
使命のない第二王子が生き永らえるのは、そんなに惨めに見えるだろうか。
「わたしは、死のうと思ったことはありませんよ」
「これまではな。だが、今後一年のうちに、あと十一回ある」
また妙に具体的な数字が出た。
どうやら死亡ふらぐとは、死の危機という意味らしい。
露台から吹き込む夜風が、公爵の長髪を煽る。一瞬で十歳老け込んだように見えた。胸騒ぎがして起き上がる。
「誓う他に、できることはありますか」
「……。私の『こうしてくれ』『こうしてはいけない』という頼みを聞いてくれれば、充分だ」
「たとえば葬儀洞で、廊下に出なかったように?」
「いかにも」
わたしは眉を顰めた。死の危機に対して、小さな行動過ぎやしないか。
「あの場でペトルと鉢合わせるのが、わたしの死につながるとは思えませんが」
「『悪役』の私の禁忌破りに与した、と王太子の護衛に疑念を抱かせる。それは第二王子である君の立場を悪くする。ゆえに私は仮死だったということにもした。とはいえ」
公爵は淡々と説明しつつ、わたしの納得しがたい気持ちに理解を示してか、頷く。
「前回、なぜずっとユーリィを救いに来られるのだろうと私も疑問を抱いた。正直、君が無事に一年生きられる条件は未だ手探りだ。そこで今回は、君と手を組む選択をしてみた」
そこまで聞いたとき、公爵の仕立て直した上衣が小刻みに揺れているのに気づいた。
公爵の手が、震えている。蘇生直後のように。何かを耐えるかのごとく。
わたしは反射的に公爵の手を握った。
「わかりました。あと十一回の『死亡ふらぐ』とやらを、ともに乗り越えましょう」
公爵は非合理的なことはすまい。わざわざ第二王子を守る理由があるとみた。
わたしが死ぬなどわたしがいちばん信じられないけれど、わたしだけは信じてあげねばならない気もした。
「と言いますか、今回死にかけたのは閣下のほうですよ。ご自愛くださいね」
出過ぎた真似ながら一言付け加えれば、公爵の表情が和む。
慈しむように見つめられるのもはじめてだ。頬が熱い。俯くものの、手を引っ込みそびれた。
「ありがとう。私も今度こそ君を守ると誓おう」
思わせぶりに握り返される。その手は震えが止まっていた。
公爵は上衣の裾をひらめかせて私室を出ていく――と思いきや、不意に立ち止まる。まっすぐ引き返してくる。
「もう一回だけ」
「っ!?」
まだ上体を起こしていたわたしを、ぎゅっと抱き締めた。巻き毛に鼻を埋めてすうはあと深呼吸して、満足したように去る。
私室に静寂が戻った。
(今のは、まさか……)
しかしわたしは居てもたってもいられず、絨毯を突っ切り、象形彫刻を施した執務机に縋りつく。いつも身に着けている万年筆を、二段目の抽斗の鍵穴に挿し込んだ。職人に特注した錠だ。
(まさか、わたしの夢恋愛戯曲を読まれていませんよね!?)
(「キョウセイリョク」……「げえむ」?)
かと思うと、丁寧な仕草でわたしの頬を拭う。
「この涙は私のせいだな。ユーリィを死なせないためにここに来たのに、『役』に動かされ、申し訳ない」
わたしは目を見開いた。涙も引っ込む。「役」とは、まさか。
おそるおそる公爵を見上げる。狂おしいほどの瞳に見つめ返された。
「二度と強制力に屈しない。私は私の意思で……、ユーリィの死亡フラグをすべて破壊する」
公爵は重々しく宣言して、寝台を下りた。さっきわたしの肌をまさぐったのと明らかに違う手つきで寝間着を直してくれる。
「君は死なないと、君も誓ってほしい。その相談にきたのだ」
夜這い未遂で掻き回された思考を、何とか整理する。
あの公爵がわたしなぞに相談を持ち掛けるなど、最初で最後だろう。誇らしいし、役立ちたい。
ただ、まるでわたしが死を選ぶかのような口ぶりなのが引っ掛かった。
使命のない第二王子が生き永らえるのは、そんなに惨めに見えるだろうか。
「わたしは、死のうと思ったことはありませんよ」
「これまではな。だが、今後一年のうちに、あと十一回ある」
また妙に具体的な数字が出た。
どうやら死亡ふらぐとは、死の危機という意味らしい。
露台から吹き込む夜風が、公爵の長髪を煽る。一瞬で十歳老け込んだように見えた。胸騒ぎがして起き上がる。
「誓う他に、できることはありますか」
「……。私の『こうしてくれ』『こうしてはいけない』という頼みを聞いてくれれば、充分だ」
「たとえば葬儀洞で、廊下に出なかったように?」
「いかにも」
わたしは眉を顰めた。死の危機に対して、小さな行動過ぎやしないか。
「あの場でペトルと鉢合わせるのが、わたしの死につながるとは思えませんが」
「『悪役』の私の禁忌破りに与した、と王太子の護衛に疑念を抱かせる。それは第二王子である君の立場を悪くする。ゆえに私は仮死だったということにもした。とはいえ」
公爵は淡々と説明しつつ、わたしの納得しがたい気持ちに理解を示してか、頷く。
「前回、なぜずっとユーリィを救いに来られるのだろうと私も疑問を抱いた。正直、君が無事に一年生きられる条件は未だ手探りだ。そこで今回は、君と手を組む選択をしてみた」
そこまで聞いたとき、公爵の仕立て直した上衣が小刻みに揺れているのに気づいた。
公爵の手が、震えている。蘇生直後のように。何かを耐えるかのごとく。
わたしは反射的に公爵の手を握った。
「わかりました。あと十一回の『死亡ふらぐ』とやらを、ともに乗り越えましょう」
公爵は非合理的なことはすまい。わざわざ第二王子を守る理由があるとみた。
わたしが死ぬなどわたしがいちばん信じられないけれど、わたしだけは信じてあげねばならない気もした。
「と言いますか、今回死にかけたのは閣下のほうですよ。ご自愛くださいね」
出過ぎた真似ながら一言付け加えれば、公爵の表情が和む。
慈しむように見つめられるのもはじめてだ。頬が熱い。俯くものの、手を引っ込みそびれた。
「ありがとう。私も今度こそ君を守ると誓おう」
思わせぶりに握り返される。その手は震えが止まっていた。
公爵は上衣の裾をひらめかせて私室を出ていく――と思いきや、不意に立ち止まる。まっすぐ引き返してくる。
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「っ!?」
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私室に静寂が戻った。
(今のは、まさか……)
しかしわたしは居てもたってもいられず、絨毯を突っ切り、象形彫刻を施した執務机に縋りつく。いつも身に着けている万年筆を、二段目の抽斗の鍵穴に挿し込んだ。職人に特注した錠だ。
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