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3章 すろうらいふを目指しましょう
8話 もうひとつの手記と呼び方②
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公爵が壁沿いの棚の大型書を退ける。手燭を翳すと、奥の石板の一角だけ微妙に色が違っていた。
そこに手を当てれば、ズズッ、と奥にめり込む。
これも魔法かと公爵を見上げた。口角を片側だけ上げた笑みが返ってくる。
「隠し洞だ」
棚一段ぶん、石板がくり抜かれる。向こう側に落ちるがそれほど大きい音はしない。織布でも置いてあるとみた。
こんな仕掛けがあったなんて。
「私は肩がつかえる。ユーリィなら入れるな」
「は……、はい」
いつどう突き止めたのか、公爵は落ち着き払っている。
公爵に抱え上げてもらい――使命に集中して彼の体温から気を逸らす――、穴にもぐり込んだ。
長革靴の踵が、もふ、と織布を踏む。押し込んだ石板につまずかないよう注意して身体の向きを変える。
小さな洞だ。棚がひとつあるのみ。埃や黴はなく、時が止まっているみたいだ。
「薄桃色の表紙の手記を見つけよ。裏表紙に『タマル』と書かれている」
穴越しに指示をもらい、わたしは張り切った。自分にしかできない役割があるのは嬉しい。
棚を上から調べていく。
「ありました……!」
指定どおりの一冊を見つけ、興奮まじりに小さく叫んだ。
手記は古びているが目立つ傷みはない。大切に抱えて再度穴をくぐる。
今度は頭から出た。公爵が抱き留めてくれて、半ばわたしを引っ張り出す。痩躯なのに意外に力がある。
「か、閣下」
「すう――はあ」
着地しても、わたしを腕の中に閉じ込めたままにする。お決まりのように首もとで深呼吸され、面映ゆい。
(本当に、主人公でもないわたしに、どうしてこだわるのでしょう……)
蘇生以降の公爵は、謎めいている。
ただ、十年間遠くから見るのみだったわたしには、その本心を聞き出したとて、理解や共感が及ばないかもしれない。
「これで、フセスラウは安寧に近づくのですね」
かろうじて、発掘した手記を握り締める。
(公爵は、第二王子とはいえ王族が命を落とす事態を防ぎ、国を安定させるために動いてくださっているに違いありません)
勘違いしないよう自戒した。すろうらいふは、この密命のご褒美のようなものだ。
壁をもとに戻す。私室へ引き上げようと書庫洞を出るや――ふたつの人影に出くわす。
洞窟管理役も滅多に来ない深部に、他に人が? お互い手燭を翳す。
「おや、ユーリィ。きみが書庫にいるなんて、幼いときの秘密の魔法研究以来じゃなかろうか」
一人は兄だ。いつまでも私室に閉じこもって泣き伏してはいない。
ただわたしが公爵と一緒だと気づいてか、声が張りつめる。こんな場所でふたりで何をしていたの? と言いたげだ。
公爵の未来予知は禁忌の魔法なので言及できない。無難に返す。
「昔の話はおやめください。兄上を支えていくための勉強ですよ」
その間ももう一人――ニコが、わたしの持つ手記を凝視している気がした。公爵もそう感じたのか、わたしの背に手を当てて歩き出す。
「公爵、何か言うことはありませんか?」
しかしニコに呼び止められた。兄を慮ってか、相手が公爵でも怯まず謝罪を求めてくる。
「いや。私は王太子殿下の婚約者の座に未練はない」
公爵は振り返らず言い、どんどん歩いていく。
わたしは少し足踏みしたものの、公爵のほうを追う。手燭の灯りから外れた兄の表情は見えなかった。
その後は足音に気を配って進み、誰にも鉢合わせることなく、私室でひと心地つく。雨が吹き込まないよう露台の戸を閉めているので薄暗い。
「コンスタンティネとニコは、仲を深めているようだな」
わたしは燭台の火を見るともなく頷いた。
兄は先月末の婚約破棄以降、ニコを話し相手として頻繁に私室に呼んでいる。ただ、人気のない地下廊を二人で散歩するほど親密になっていたとは知らなかった。
よかった、と思う。自分の片想いの正当化ではない。愛のない政略結婚になってしまうのは避けたい、という意味で。
公爵も、兄に望まぬ結婚を押しつけないよう気遣ってくれているらしい、が。
「閣下、重くありませんか」
「まったく?」
公爵は長椅子に腰掛け、わたしはその膝に座らされていた。すべてにおいて気が散る。
(振り払えないわたしもわたしですが……)
先日、わたしの死を追体験したような反応をして以降、公爵はわたしの命を実感したがる素振りや表情をする。それをされると諫められないのだ。
仕切り直さんと、発掘した手記に話題を移す。
「これは閣下の知り合いの方の手記ですか」
読めば早いが、個人的なものだろうから簡単に開けずにいた。
「いや。ニコの母君が遺した」
「えっ? なぜ王宮の書庫洞に所蔵されているのです」
坦々と明かす公爵と裏腹に、わたしは声が上擦る。
平民のニコは、洞窟管理役に採用されるまで王宮と縁がなかったはず。
「ここを読んでみるといい」
そこに手を当てれば、ズズッ、と奥にめり込む。
これも魔法かと公爵を見上げた。口角を片側だけ上げた笑みが返ってくる。
「隠し洞だ」
棚一段ぶん、石板がくり抜かれる。向こう側に落ちるがそれほど大きい音はしない。織布でも置いてあるとみた。
こんな仕掛けがあったなんて。
「私は肩がつかえる。ユーリィなら入れるな」
「は……、はい」
いつどう突き止めたのか、公爵は落ち着き払っている。
公爵に抱え上げてもらい――使命に集中して彼の体温から気を逸らす――、穴にもぐり込んだ。
長革靴の踵が、もふ、と織布を踏む。押し込んだ石板につまずかないよう注意して身体の向きを変える。
小さな洞だ。棚がひとつあるのみ。埃や黴はなく、時が止まっているみたいだ。
「薄桃色の表紙の手記を見つけよ。裏表紙に『タマル』と書かれている」
穴越しに指示をもらい、わたしは張り切った。自分にしかできない役割があるのは嬉しい。
棚を上から調べていく。
「ありました……!」
指定どおりの一冊を見つけ、興奮まじりに小さく叫んだ。
手記は古びているが目立つ傷みはない。大切に抱えて再度穴をくぐる。
今度は頭から出た。公爵が抱き留めてくれて、半ばわたしを引っ張り出す。痩躯なのに意外に力がある。
「か、閣下」
「すう――はあ」
着地しても、わたしを腕の中に閉じ込めたままにする。お決まりのように首もとで深呼吸され、面映ゆい。
(本当に、主人公でもないわたしに、どうしてこだわるのでしょう……)
蘇生以降の公爵は、謎めいている。
ただ、十年間遠くから見るのみだったわたしには、その本心を聞き出したとて、理解や共感が及ばないかもしれない。
「これで、フセスラウは安寧に近づくのですね」
かろうじて、発掘した手記を握り締める。
(公爵は、第二王子とはいえ王族が命を落とす事態を防ぎ、国を安定させるために動いてくださっているに違いありません)
勘違いしないよう自戒した。すろうらいふは、この密命のご褒美のようなものだ。
壁をもとに戻す。私室へ引き上げようと書庫洞を出るや――ふたつの人影に出くわす。
洞窟管理役も滅多に来ない深部に、他に人が? お互い手燭を翳す。
「おや、ユーリィ。きみが書庫にいるなんて、幼いときの秘密の魔法研究以来じゃなかろうか」
一人は兄だ。いつまでも私室に閉じこもって泣き伏してはいない。
ただわたしが公爵と一緒だと気づいてか、声が張りつめる。こんな場所でふたりで何をしていたの? と言いたげだ。
公爵の未来予知は禁忌の魔法なので言及できない。無難に返す。
「昔の話はおやめください。兄上を支えていくための勉強ですよ」
その間ももう一人――ニコが、わたしの持つ手記を凝視している気がした。公爵もそう感じたのか、わたしの背に手を当てて歩き出す。
「公爵、何か言うことはありませんか?」
しかしニコに呼び止められた。兄を慮ってか、相手が公爵でも怯まず謝罪を求めてくる。
「いや。私は王太子殿下の婚約者の座に未練はない」
公爵は振り返らず言い、どんどん歩いていく。
わたしは少し足踏みしたものの、公爵のほうを追う。手燭の灯りから外れた兄の表情は見えなかった。
その後は足音に気を配って進み、誰にも鉢合わせることなく、私室でひと心地つく。雨が吹き込まないよう露台の戸を閉めているので薄暗い。
「コンスタンティネとニコは、仲を深めているようだな」
わたしは燭台の火を見るともなく頷いた。
兄は先月末の婚約破棄以降、ニコを話し相手として頻繁に私室に呼んでいる。ただ、人気のない地下廊を二人で散歩するほど親密になっていたとは知らなかった。
よかった、と思う。自分の片想いの正当化ではない。愛のない政略結婚になってしまうのは避けたい、という意味で。
公爵も、兄に望まぬ結婚を押しつけないよう気遣ってくれているらしい、が。
「閣下、重くありませんか」
「まったく?」
公爵は長椅子に腰掛け、わたしはその膝に座らされていた。すべてにおいて気が散る。
(振り払えないわたしもわたしですが……)
先日、わたしの死を追体験したような反応をして以降、公爵はわたしの命を実感したがる素振りや表情をする。それをされると諫められないのだ。
仕切り直さんと、発掘した手記に話題を移す。
「これは閣下の知り合いの方の手記ですか」
読めば早いが、個人的なものだろうから簡単に開けずにいた。
「いや。ニコの母君が遺した」
「えっ? なぜ王宮の書庫洞に所蔵されているのです」
坦々と明かす公爵と裏腹に、わたしは声が上擦る。
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「ここを読んでみるといい」
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