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3章 すろうらいふを目指しましょう
8話 もうひとつの手記と呼び方③
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公爵は手記に目を通したことがあるのか、決め打ちで頁を開いた。
(もし妄想の戯曲が書かれていたら、どう反応しましょう……)
やや身構えつつ、目を落とす。
[もはやあの御方に未練はないけれど、息子をそばで守れないことは悔やまれます。無力な母を許してください]
「これを書いたのはタマル・ヴィーラ」
わたしは素早く公爵を振り返った。
ヴィーラ家といえば、フセスラウ貴族のひとつだ。名家であり、夫人が母の茶会によく出席しているが、タマルという名ではない。その名の娘が嫁いだとも聞かない。
彼女がニコの母……?
「存じ上げません」
「二十年も前の話だ。未婚で男子を産んだが、肥立ちが悪く亡くなった。以来、タマルの話題はタブー……禁忌となった。なぜなら彼女の禁断の恋の相手は、現在のパルラディ国王だったから」
「隣国の王!?」
頓狂な声が出てしまい、手で口を覆う。それこそ戯曲ではないか。
でも言われてみれば、パルラディ国王太子のステヴァン殿下も、ニコも、灰眼である。骨太な身体つきも似ている。
この二人が兄弟だとは。頭ではまだ信じられない一方、昂揚で指先が熱くなる。
彼が王族なら、兄を幸せに、国を安寧にしてくれる。
「フセスラウの侯爵令嬢がパルラディ国王を誘惑した、と脚色されて広まれば、外交問題になりかねない。それで忠臣の一人だったシメオンの父君が手を回し、手記を厳重に封じた」
「その功が宰相就任につながったのですね……」
めぐり合わせに唸った。タマル亡き後の経緯も気になる。
「ヴィーラ侯は、どうしてニコを引き取らなかったのでしょう?」
「権力争いに利用されないよう、タマルが市井の織物職人夫婦に託したのだ。彼らに確認すれば、赤子を託した女性とタマルが同一人物と示せよう」
公爵が流暢に答えてくれる。彼の魔法は、未来だけでなく過去の出来事も見とおせるらしい。
「何の因果か、ニコは洞窟管理役として王宮に再び戻って来たのですね」
「何の因果というか、主人公ゆえだが。実は隣国の王子でした、なんてまさに主人公だろう? ともあれ、この手記を国王陛下に見せれば、ニコはコンスタンティネと結婚し得る血筋だと証明できる」
確かに、王太子のはとこに当たる公爵に劣らない正統性だ。
「でしゃばれない私に代わって、ユーリィから国王陛下に進言してほしい」
「……やってみます」
緊張は呑み込んで、請け合う。推薦の強力な根拠となるこの手記と、公爵の期待があれば、わたしにもできる。そう思いたい。
公爵は、寝台の枕元に掲げた「始まりの魔法遣いたち」の絵をちらりと見遣った。
「ところで、今の君には、王宮を出たいといった願望はないな?」
「いえ? 直轄領のひとつを継ごうと考えていますが」
「いつ」
何気なく答えた途端、公爵の腕に力がこもる。きつく抱き竦められて痛いほどだ。
「ぁ、兄の婚儀の後です」
その腕が、いつかのように震えているのに気づいた。――ということは。
「これもわたしの死亡ふらぐに関わるのですね? 一年以内ではありませんよ」
「……念のため、そのときは私に知らせてくれ」
公爵が安堵めいた息を吐き、わたしの巻き毛が温もる。
今までは戸惑うばかりだったけれど、稚くて守ってあげたいような感情が湧いた。
「閣下は心配性でいらっしゃる」
「『閣下』?」
「心配性なエドゥアルド公爵。注意深く生きていれば、そうそう死んだり致しません」
わたしがわざと軽い調子で言えば、公爵もくすりと笑う。
本当に、孤高の公爵らしからぬ一面だ。
「蘇生以降の閣下のお変わりぶりは、不思議ですね」
「……え?」
「ほんの数か月前は、将来の王婿としての使命に邁進しておられたのに」
「君を守ると言ったろう。国より私より、ユーリィが大事だ」
「お戯れを」
何度目かの台詞が繰り返された。ただし後半は本気ではあるまい。本気では困る。
「そうだ……いけなかった」
公爵が何やら自戒する顔で立ち上がる。
離れたら離れたで体温が恋しい。なんて思うそばから、首を振る。
(公爵が心配性なら、わたしはとんだ欲張りになってしまいました)
とにかく今日の目的は果たし、すろうらいふに一歩近づいた。わたしの死亡ふらぐもひとつ回避した、はず。
「私の謹慎が解けるまでは、書簡でやり取りしよう」
公爵は魔法を濫用せず、地道な手段を取る。そこもまた好ましく、恋心が加速した。
(もし妄想の戯曲が書かれていたら、どう反応しましょう……)
やや身構えつつ、目を落とす。
[もはやあの御方に未練はないけれど、息子をそばで守れないことは悔やまれます。無力な母を許してください]
「これを書いたのはタマル・ヴィーラ」
わたしは素早く公爵を振り返った。
ヴィーラ家といえば、フセスラウ貴族のひとつだ。名家であり、夫人が母の茶会によく出席しているが、タマルという名ではない。その名の娘が嫁いだとも聞かない。
彼女がニコの母……?
「存じ上げません」
「二十年も前の話だ。未婚で男子を産んだが、肥立ちが悪く亡くなった。以来、タマルの話題はタブー……禁忌となった。なぜなら彼女の禁断の恋の相手は、現在のパルラディ国王だったから」
「隣国の王!?」
頓狂な声が出てしまい、手で口を覆う。それこそ戯曲ではないか。
でも言われてみれば、パルラディ国王太子のステヴァン殿下も、ニコも、灰眼である。骨太な身体つきも似ている。
この二人が兄弟だとは。頭ではまだ信じられない一方、昂揚で指先が熱くなる。
彼が王族なら、兄を幸せに、国を安寧にしてくれる。
「フセスラウの侯爵令嬢がパルラディ国王を誘惑した、と脚色されて広まれば、外交問題になりかねない。それで忠臣の一人だったシメオンの父君が手を回し、手記を厳重に封じた」
「その功が宰相就任につながったのですね……」
めぐり合わせに唸った。タマル亡き後の経緯も気になる。
「ヴィーラ侯は、どうしてニコを引き取らなかったのでしょう?」
「権力争いに利用されないよう、タマルが市井の織物職人夫婦に託したのだ。彼らに確認すれば、赤子を託した女性とタマルが同一人物と示せよう」
公爵が流暢に答えてくれる。彼の魔法は、未来だけでなく過去の出来事も見とおせるらしい。
「何の因果か、ニコは洞窟管理役として王宮に再び戻って来たのですね」
「何の因果というか、主人公ゆえだが。実は隣国の王子でした、なんてまさに主人公だろう? ともあれ、この手記を国王陛下に見せれば、ニコはコンスタンティネと結婚し得る血筋だと証明できる」
確かに、王太子のはとこに当たる公爵に劣らない正統性だ。
「でしゃばれない私に代わって、ユーリィから国王陛下に進言してほしい」
「……やってみます」
緊張は呑み込んで、請け合う。推薦の強力な根拠となるこの手記と、公爵の期待があれば、わたしにもできる。そう思いたい。
公爵は、寝台の枕元に掲げた「始まりの魔法遣いたち」の絵をちらりと見遣った。
「ところで、今の君には、王宮を出たいといった願望はないな?」
「いえ? 直轄領のひとつを継ごうと考えていますが」
「いつ」
何気なく答えた途端、公爵の腕に力がこもる。きつく抱き竦められて痛いほどだ。
「ぁ、兄の婚儀の後です」
その腕が、いつかのように震えているのに気づいた。――ということは。
「これもわたしの死亡ふらぐに関わるのですね? 一年以内ではありませんよ」
「……念のため、そのときは私に知らせてくれ」
公爵が安堵めいた息を吐き、わたしの巻き毛が温もる。
今までは戸惑うばかりだったけれど、稚くて守ってあげたいような感情が湧いた。
「閣下は心配性でいらっしゃる」
「『閣下』?」
「心配性なエドゥアルド公爵。注意深く生きていれば、そうそう死んだり致しません」
わたしがわざと軽い調子で言えば、公爵もくすりと笑う。
本当に、孤高の公爵らしからぬ一面だ。
「蘇生以降の閣下のお変わりぶりは、不思議ですね」
「……え?」
「ほんの数か月前は、将来の王婿としての使命に邁進しておられたのに」
「君を守ると言ったろう。国より私より、ユーリィが大事だ」
「お戯れを」
何度目かの台詞が繰り返された。ただし後半は本気ではあるまい。本気では困る。
「そうだ……いけなかった」
公爵が何やら自戒する顔で立ち上がる。
離れたら離れたで体温が恋しい。なんて思うそばから、首を振る。
(公爵が心配性なら、わたしはとんだ欲張りになってしまいました)
とにかく今日の目的は果たし、すろうらいふに一歩近づいた。わたしの死亡ふらぐもひとつ回避した、はず。
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