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6章 恋物語は諦めます……
19話 想い人の消滅
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愛を込めて名を呼んでも、ソーマの表情は和まない。それどころか、以前「エドゥアルド公爵」が口にしたのと一字一句違わぬ台詞を吐いた。
蠱惑的なはずの瞳には、光が見えない。
(そんな……)
わたしは呼吸の仕方も、言葉の発し方も、忘れてしまった。
ソーマがわたしとふたりきりのときも「エドゥアルド公爵」を演じ続ける理由がない。ならば、わたしの知らないうちに、ソーマの中で「エドゥアルド公爵」が意識を取り戻したと受け取るほかない。
過去のやり直しでは起こらなかったが、「原作」の「キョウセイリョク」を思えば、あり得ないとは言いきれまい。ソーマのテンセイは大きく筋書きを外れている。
物語の外の世界で亡くなる人も、ソーマのみではない。
その中で毎回出会えたこと自体、奇跡だったのだ。
(愛していると、またも伝えられずに……。どうか、もう一度、わたしの名を呼んで、)
公爵は、息も絶え絶えなわたしを、平気で置いて去った。
よろけて廊下の花瓶にぶつかる。乾燥させた青い花一華が散らばった。手足に力が入らない。視界がぼやける。
恋が叶わずとも、実は疎まれていようと、ソーマの命を守ると決めた。
でもソーマがソーマでなくなるなら、喪ったも同然だ。
(カミとやらの警告……もしや、葬儀洞の記号が「エドゥアルドに意識を返すのが、ユーリィが死なない条件」という意味だったのだとしたら?)
ふと残酷な選択肢が思い浮かぶ。自分の死に慣れたソーマなら、聞き入れてしまう。そばにいたら止めたのに。
いや――止められなかったかもしれない。
十二回のやり直しを聞いたときは、同じ十年積み上げた想いだと思った。でもわたしはソーマに出会って、彼を彼と認識して、エドゥアルド公爵でなくソーマに恋をして、一年も経っていない。重さがまったく違う。
命懸けの想いが、この世界には存在する。
すべてを擲てる愛が、自分に向けられていた。
(それを偽りではと疑って、空回りして……)
ソーマがさよならも言わずに意識を明け渡したのは、わたしの心変わりがきっかけではないか。
本心ではないと伝えておけば……自分の判断の誤りに、癖毛をくしゃりと掻き混ぜる。
ソーマが消えたとなれば、もうやり直しは起こらないに違いない。ある意味ソーマを死の繰り返しから解放してあげられたのに、よかった、と思えない。
(わたしは最低です……またしても手遅れ。それも、永遠に)
ぎりぎり保っていた気持ちが折れる。ニコに報いを受けさせて何になる? ソーマを、ソーマの愛を取り戻せはしない。
ソーマだけ消えるくらいなら、わたしも一緒に死にたかった。
次の日から、公爵の姿を見るとたまらなくさみしくなった。ソーマの不在を突きつけられる。筋書きを練り直すべく万年筆を握っても、一文字も書けない。
このさみしさは、どうしたって埋まらない。
初恋を自ら終わらせるのは、痛みは伴うが時とともに癒える。でも、自分にとって最後の恋がいつの間にか終わっていたのを呑み込むのは、一生できそうにない。
いっそ、ニコに魔力の封印を解く方法を吐かせ、さらにわたしを殺させて時間遡行魔法を発動させるか?
(……と言いますか、一周目は誰がわたしを時間遡行させたのでしょう。唯一魔法を遣えるのはニコですが)
あの男に二度も屈するのも耐え難い。
わたしが頭を捻るうちに、兄とステヴァン殿下の婚約式の日取りが決まった。
今月末と、一周目よりひと月展開が早い。
(休戦から四十四年かかりましたが、真の平和へ踏み出す準備が整ったなら、引き延ばす必要はありません)
公爵は機械的に婚約式の準備に当たっている。ソーマの名残は一切見られない。
皮肉にも、「脇役」の平穏を得たのだ。
(わたしに「殺さないで」と一言言えば、消えずとも済みましたのに)
[ユーリィ、何でもするから殺さないで]
[では、わたしを愛してください。想うだけではありませんよ。近くへ来て、目を逸らさず、身体のいちばんやわらかいところに触れて……]
ソーマの手を取って、わたしの巻き毛、唇、そして肌へと導く――。
こんなときだからこそ、夢想する。
ニコは兄を手に入れるべくあれこれ画策しているものの、わたしがあまりに上の空なので見限ったらしい。命令してこなければ触れてもこない。
きっと、ソーマが自らの存在と引き換えに行った、筋書き変更だ。
世界は安寧な結末へと進んでいく。置いてけぼりに感じてしまうのは、悪の主人公になりきれなかったゆえだろうか。
でもわたしはもともと、ステヴァン殿下と手を組まない限り「脇役」だった。本当に欲しいものが手に入らないのは、変わらない。
婚約式前夜。寝つけないまま横たわった寝台で、黒檀の万年筆を抱き締める。「時よ遡れ」と念じてみる。
『何をしている』
目の前に、ソーマが現れた。表向き彼を裏切ったあの日だ。
わたしはニコの腕から逃れ、ソーマの胸に飛び込む。
『ソ……閣下! 助けてください、この男が腕力にものを言わせてきたのです』
『不敬な。捕らえよ』
ソーマが素早く指示し、ニコは「護衛の持ち場を離れて、弟王子を襲った」咎で連行されていく。
『これでニコは王太子専属護衛の任を解かれ、王宮からも追放されますね』
『うん。よく頑張った、ユーリィ』
ふたりきりになり、ソーマがソーマの顔で笑う。こうすればよかったのか。
『でも、ニコに触られたのはいやだな。僕が上書きしてあげる。どこをどう触られたか詳しく教えて』
ソーマはわたしをヴォルクの仔みたいに抱え上げ、寝台へ運ぶ。
はじらいと期待半々で横たわったわたしは、ソーマの体温を待つ。
じらしているのか、なかなか与えられない。そっと瞼を持ち上げてみる。
「――夢、ですね」
明け方、わたしは寝台に独り。
魔法は発動せず、昨日の続きの今日が始まった。ならば。
(今日をもって、わたしはわたしの愛と人生に決着をつけましょう)
わたしが「カクシきゃら」としてステヴァン殿下と手を組む理由を、ニコは「兄への嫉妬」としたが、どちらかと言うと使命欲しさだろう。
脇役の第二王子でもできること、二周目のわたしにしかできないことが、ひとつだけ残っている。
それを果たしたら、胸を張ってソーマに会いに行こう。天国でも、別の世界でも、愛の残り香を頼りに、見つけてみせる。
蠱惑的なはずの瞳には、光が見えない。
(そんな……)
わたしは呼吸の仕方も、言葉の発し方も、忘れてしまった。
ソーマがわたしとふたりきりのときも「エドゥアルド公爵」を演じ続ける理由がない。ならば、わたしの知らないうちに、ソーマの中で「エドゥアルド公爵」が意識を取り戻したと受け取るほかない。
過去のやり直しでは起こらなかったが、「原作」の「キョウセイリョク」を思えば、あり得ないとは言いきれまい。ソーマのテンセイは大きく筋書きを外れている。
物語の外の世界で亡くなる人も、ソーマのみではない。
その中で毎回出会えたこと自体、奇跡だったのだ。
(愛していると、またも伝えられずに……。どうか、もう一度、わたしの名を呼んで、)
公爵は、息も絶え絶えなわたしを、平気で置いて去った。
よろけて廊下の花瓶にぶつかる。乾燥させた青い花一華が散らばった。手足に力が入らない。視界がぼやける。
恋が叶わずとも、実は疎まれていようと、ソーマの命を守ると決めた。
でもソーマがソーマでなくなるなら、喪ったも同然だ。
(カミとやらの警告……もしや、葬儀洞の記号が「エドゥアルドに意識を返すのが、ユーリィが死なない条件」という意味だったのだとしたら?)
ふと残酷な選択肢が思い浮かぶ。自分の死に慣れたソーマなら、聞き入れてしまう。そばにいたら止めたのに。
いや――止められなかったかもしれない。
十二回のやり直しを聞いたときは、同じ十年積み上げた想いだと思った。でもわたしはソーマに出会って、彼を彼と認識して、エドゥアルド公爵でなくソーマに恋をして、一年も経っていない。重さがまったく違う。
命懸けの想いが、この世界には存在する。
すべてを擲てる愛が、自分に向けられていた。
(それを偽りではと疑って、空回りして……)
ソーマがさよならも言わずに意識を明け渡したのは、わたしの心変わりがきっかけではないか。
本心ではないと伝えておけば……自分の判断の誤りに、癖毛をくしゃりと掻き混ぜる。
ソーマが消えたとなれば、もうやり直しは起こらないに違いない。ある意味ソーマを死の繰り返しから解放してあげられたのに、よかった、と思えない。
(わたしは最低です……またしても手遅れ。それも、永遠に)
ぎりぎり保っていた気持ちが折れる。ニコに報いを受けさせて何になる? ソーマを、ソーマの愛を取り戻せはしない。
ソーマだけ消えるくらいなら、わたしも一緒に死にたかった。
次の日から、公爵の姿を見るとたまらなくさみしくなった。ソーマの不在を突きつけられる。筋書きを練り直すべく万年筆を握っても、一文字も書けない。
このさみしさは、どうしたって埋まらない。
初恋を自ら終わらせるのは、痛みは伴うが時とともに癒える。でも、自分にとって最後の恋がいつの間にか終わっていたのを呑み込むのは、一生できそうにない。
いっそ、ニコに魔力の封印を解く方法を吐かせ、さらにわたしを殺させて時間遡行魔法を発動させるか?
(……と言いますか、一周目は誰がわたしを時間遡行させたのでしょう。唯一魔法を遣えるのはニコですが)
あの男に二度も屈するのも耐え難い。
わたしが頭を捻るうちに、兄とステヴァン殿下の婚約式の日取りが決まった。
今月末と、一周目よりひと月展開が早い。
(休戦から四十四年かかりましたが、真の平和へ踏み出す準備が整ったなら、引き延ばす必要はありません)
公爵は機械的に婚約式の準備に当たっている。ソーマの名残は一切見られない。
皮肉にも、「脇役」の平穏を得たのだ。
(わたしに「殺さないで」と一言言えば、消えずとも済みましたのに)
[ユーリィ、何でもするから殺さないで]
[では、わたしを愛してください。想うだけではありませんよ。近くへ来て、目を逸らさず、身体のいちばんやわらかいところに触れて……]
ソーマの手を取って、わたしの巻き毛、唇、そして肌へと導く――。
こんなときだからこそ、夢想する。
ニコは兄を手に入れるべくあれこれ画策しているものの、わたしがあまりに上の空なので見限ったらしい。命令してこなければ触れてもこない。
きっと、ソーマが自らの存在と引き換えに行った、筋書き変更だ。
世界は安寧な結末へと進んでいく。置いてけぼりに感じてしまうのは、悪の主人公になりきれなかったゆえだろうか。
でもわたしはもともと、ステヴァン殿下と手を組まない限り「脇役」だった。本当に欲しいものが手に入らないのは、変わらない。
婚約式前夜。寝つけないまま横たわった寝台で、黒檀の万年筆を抱き締める。「時よ遡れ」と念じてみる。
『何をしている』
目の前に、ソーマが現れた。表向き彼を裏切ったあの日だ。
わたしはニコの腕から逃れ、ソーマの胸に飛び込む。
『ソ……閣下! 助けてください、この男が腕力にものを言わせてきたのです』
『不敬な。捕らえよ』
ソーマが素早く指示し、ニコは「護衛の持ち場を離れて、弟王子を襲った」咎で連行されていく。
『これでニコは王太子専属護衛の任を解かれ、王宮からも追放されますね』
『うん。よく頑張った、ユーリィ』
ふたりきりになり、ソーマがソーマの顔で笑う。こうすればよかったのか。
『でも、ニコに触られたのはいやだな。僕が上書きしてあげる。どこをどう触られたか詳しく教えて』
ソーマはわたしをヴォルクの仔みたいに抱え上げ、寝台へ運ぶ。
はじらいと期待半々で横たわったわたしは、ソーマの体温を待つ。
じらしているのか、なかなか与えられない。そっと瞼を持ち上げてみる。
「――夢、ですね」
明け方、わたしは寝台に独り。
魔法は発動せず、昨日の続きの今日が始まった。ならば。
(今日をもって、わたしはわたしの愛と人生に決着をつけましょう)
わたしが「カクシきゃら」としてステヴァン殿下と手を組む理由を、ニコは「兄への嫉妬」としたが、どちらかと言うと使命欲しさだろう。
脇役の第二王子でもできること、二周目のわたしにしかできないことが、ひとつだけ残っている。
それを果たしたら、胸を張ってソーマに会いに行こう。天国でも、別の世界でも、愛の残り香を頼りに、見つけてみせる。
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