ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される

七角

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2 融け、積もりゆく心

2 掌の熱で融けていく

「スフェン! 面白いのを見つけた」

 向かいで胡坐を掻くエリセイが、小さく叫んだ。
 角灯越しに、彼が大きな手で押さえている頁を覗き込む。

 丘で人間と小動物たちが輪になって、木の実を摘まむ様子が描かれていた。
 色はついていないが、緑豊かなのが伝わってくる。

「この本、絵入りなんだよ。昔は春と秋がちゃんとあったんだな。こっちの頁は育てた芋を調理してるんだが、でかくて美味そうだ」

 今のイスは、一年の半分が冬だ。
 短い夏は陽光を楽しむ暇もなく、食料の貯蔵など越冬の準備に追われる。冬の降雪も苛烈で、大地は作物を植え付けるのに向かない。

 涎を啜るエリセイを「子どもか」と見遣って、弾かれたように身を引く。

(わたしとしたことが)

 緑眼が、思うよりずっと近くにあった。自然に頭を寄せ合っていたようだ。

「……関係ないことを調べているなら帰らせてもらう」

 我に返った。こちらは遊びではない。立ち上がって外套を翻す。
 目の前がちかちかするのは、しばらく角灯のそばにいたせいだろう。

「スフェン、もう帰るのか?」

 エリセイが追いすがるように手を伸ばしてきたが、白い外套の裾を掴めず空振りする。

「待て、次の日取りだけ。俺も相棒に乗って来ることにするから、五日毎に王城書庫に集合としないか」
「承知した」
「扉を開けるときの合言葉も決めたい」

 足を止めた。エリセイの提案はめずらしく一理ある。
 通常、巡回隊は書庫の中までは巡回しない。
 だが書棚の有り様を見るに、金箔を施した本を盗りに入る者がいないとも言いきれない。

「たとえば『慈悲深き王の子どもたち』『豊かな大地を愛し栄えよ』とか」

 ただ、合言葉はいまいちだ。

「それはよく知られた伝承だ。誰でも応えられる」
「あ、そうか。じゃあ俺たちしか知らない『勝利を収められるなら』『王位は要らない』は?」
「……了解した」

 懐疑的なままその一文を発したくはない。しかし他に良案もなかった。

「うん。またな、スフェン」

 おおらかに手を振るエリセイを置いて、改めて廊下にすべり出る。

(何だろう、視界の明滅が収まらない)

 廊下の先にソコロフ派巡回隊員の姿を見つけて身を隠しつつ、もはや癖のように頬の雀斑を叩いた。




 ニキータがオメガだと確証を取れたこと、手紙が定期便となったことをレクスに深く感謝され、アナトリエの使者と良好な関係を築くよう要請されもした。
 だが――。

「小腹空かないか」
「うぐ、やめろ」

 鮭の燻製肉を口に押し込まれそうになり、任務用の外面を保てない。
 書庫で落ち合うや、エリセイは手紙でなく保存食を引っ張り出してきた。

「港のないそちらさんじゃ、魚はあんまり出回らんだろ。しかも俺は燻しの達人だ。あ、毒の心配か?」

 安全だと証明してみせるかのように、肉を細く割いてもぐもぐ頬張る。

(吹雪の中を移動してきて腹が減ったのは、君のほうだろう)

 なおも唇を引き結んでいると、あろうことか半分齧った燻製肉を近づけてくる。

「美味いぞ」

 あーんと口を開けろというのか? あり得ない。

「わたしが欲しいのは手紙だ」

 燻製肉を通り越し、エリセイの外套に食指を伸ばした。容赦なく前を開き、濃灰の騎士服をまさぐってやる。

「お、おお、積極的だな」

 じゃれたと思われ、眩暈がした。
 エリセイはにこにこ笑っている。もしかしたら、他人の呆れ顔を好む悪趣味な男なのかもしれない。

「もう終わりか? 残念。じゃあ、今日はこの辺を調べよう」

 さらには手紙と引き換えかのごとく、史料調査にも参加させられる。

「はあ……」
「溜め息つくなよ」

 言い合って気力を浪費するくらいならという諦念で、本を手に取った。
 前回の失敗を繰り返さぬよう、角灯の前でなく階段梯子に陣取る。

「なあ、子どもの頃は滑雪遊びと滑氷遊び、どっちが得意だった? スフェンは体重が軽そうだから滑氷かな」

 しかしエリセイは黙って文章を読むという技能を持たないらしい。首を伸ばして話し掛けてきた。
 取り留めない話ならともかく、今のは聞き流せない。

「滑氷だったら何だと言うのだ」
「……すまん、これも地雷か」

 座ったまま剣の切っ先を向ければ、さしものエリセイも縮こまった。ちっとも小さくなれていないが。

(オメガは発情発作に留まらず、小柄で華奢な身体つきも、騎士として不利だ)

 武器を振るうにも、雪上を移動するにも、体重がないと思うようにいかない。
 恵まれた体躯のアルファに生まれついた彼にはわからないだろう。

 ただでさえソコロフとアナトリエだ。本来、共感できることは何ひとつない。
 それでもエリセイは取り成そうとか、

「そういや、『オメガには弓も槍も当たらない』って流説、そちらさんでも同じか?」

 と話題を変えた。

(オメガには?)

 小首を傾げる。
 馴染みの言い回しだが、自分個人の特質を表すものである。
 そもそも戦場にオメガは極少ない。

「確かにわたしは弓も槍も当たらないから、レクス殿下を狙う黒曜石の矢を身体で逸らしたことがあるが……。小柄ゆえ的が小さいと言えば小さいか」
「身体で逸らしたって? スフェンはレクスにとっちゃ百人の盾兵より頼もしいなあ」

 また大げさに褒められ、苦笑いした。白兵戦ともなれば剣は普通に当たる。

「矢より早く駆けつけられたのも、滑雪の特訓の賜物だ」

 エリセイが、まるで見てきたかのようにうんうん頷く。
 事実、周りとの差を埋めるべく努力したが、彼には想像できないと思っていた。

(不躾なんだか敏いんだか)

 努力の結果だけでなく過程も認められ、口角がほんのり上がってしまう自分も自分だ。
 相手はアナトリエの人間なのに。
 でも、エリセイは世辞を言う男ではない。

「ただ黒曜石の矢じりは、山の少ないこっちではあまり使わんが……」

 むしろ、すぐ違うことを考えている。
 こちらも、いつもの凛とした表情に戻した。

「そろそろ手紙をもらって帰りたいのだが。よもや忘れてはいまいな」
「いないとも。だが、オメガの宿命をはね返すためにそれだけ頑張れるスフェンに感服したから、もう少ししゃべらせてもらいたい」

 大きな手を合わせて「もう少し、な」と拝まれ、表情の維持に手間取った。
 こういう人間はソコロフにはいなかったのだ。

(オメガ相手に感服だなんて)

 その間にエリセイが、自分が読んでいたのと別の本をこちらの前に積み上げる。

「それに、オメガの体質についても何か記録があるかもしれん。不思議な特徴のいくらかでも解明できれば、より働きやすくなるだろ」
「ふむ。そうしてわたしに見つけさせ、自分の手柄かのごとく主人に報告しようという魂胆か」

 流されず、積まれた本をエリセイの膝先に押し戻した。
 彼の行動原理がすべて愛しい従弟なのは、お見通しである。

「違いな……、違うぞ」

 白状しかけたエリセイが頬を叩く。まったく。

「数の限られたオメガには、子を孕むだけじゃない特別な力がある気がするんだよ。その体質に生まれた意味がある、って言うべきかな」

 と思いきや、何度目かの慧眼を披露した。

(特別な、力?)

 発情発作があるのも芳香を発するのも、何か大きな意志を秘めているというのか。

(これまで、そういうものと思って対抗するのみだった)

 それを言えば、アルファの存在にも意味がありそうだ。現在は貴族にしかおらず、あたかもオメガと対を成す特徴を持ち――

「[運命の番]とやらも、本当に存在すると思うか? [番う]とどうなるというんだ」

 掠れ声で問うた。四分の一はエリセイに、四分の一は未知の意志に。
 四分の一はその存在を感じたというレクスに、そして最後の四分の一は自分自身に。

「さてな。それも史料にあるんじゃないか。坊っちゃんたちの役にも立ちそうだし、地道に解読しよう」

 エリセイは明快な答えは避けた。だが、真面目な顔で大きな手を差し出してくる。

「……主人のためだ」

 今さらともようやくとも感じるが、握手に応じた。
 近衛騎士の使命に燃えているからか、彼の手と同じように熱い。

「おまえさんのためでもあるよ」

 なぜか緑眼を直視できない。
 確かに、体質の特徴を把握できれば働きやすくなると言えなくもないが……。

(奇怪なアルファめ)

 懐に収めた厨子を打つくらい強い心音を紛らわせんと、再度本に手を伸ばす。

 だが手当たり次第なのがよくなかったか、結局これといった収穫は得られなかった。
 今日は引き上げることとし、目を伏せたまま手紙を要求する。

「ん」

 エリセイは手紙を出すも、なかなか手を離さない。

「ん?」
「んっふっふ」

 破けないぎりぎりの力で引っ張り合い、今日も最後まで彼の「遊び」に付き合わされる破目になった。



 冬季のイスは、瞬きする間に陽が沈む。
 長い夜のさなか、レクスの私室に手紙を届けた。

「いつもありがとう」

 事務的な報告のみだが、彼の表情からしっかり恋が育まれているのが察せられる。こちらまで頬がほころんだ。

(順調そうだ)

 私情は吹っ切れている。
 温かい気持ちのまま帰りたかった。なのに、私室が並ぶ二階の廊下で、また会いたくない男に鉢合わせた。

「お高いオメガ、夜遅くまでご苦労なこと」

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