ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される

七角@書籍化進行中!

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2 融け、積もりゆく心

3 信頼の芽生え

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 ルドルフである。
 ソコロフ派はみな白を身に着けるにもかかわらず、家名に由来する赤色の上衣を纏っている。

(所領運営を家臣に丸投げし、自分はオメガが出入りするソコロフ城に入り浸りとは)

 妾とよろしくやっていたのか、端々に事後の気怠さを漂わせていた。
 欲は充分満たしたろうに、前を遮る形で壁に寄り掛かった。
 なぜ発作中でもない自分にこうも構うのか。

「貴殿こそ早々に除喪され、ソコロフ公のために熱心でいらっしゃる」

 今度は一歩も退かずに切り返す。言われっぱなしでは余計軽んじられる。

 ルドルフの口角が、む、と下がった。
 最高指揮官であるソコロフ公の執務室には、戦況報告や戦術検討せんと、ソコロフ派の貴族が常に誰かしらいる。

 しかしルドルフの姿はほとんど見ない。
 今は真冬で大がかりな戦いこそ進行していないものの、貴族の本分を疎かにしていることをちくりと刺してやった。

(効いたようだ)

 皮肉な挨拶以外用はないと、彼の広い肩を回り込み、再び進もうとする。

「お前、最近よく緩衝地帯に出掛けているな?」
「!」

 だが、思わぬ追撃が飛んできた。淡茶色の癖毛がかすかに揺れてしまう。
 ルドルフの紅眼が、たちまち酷薄にぎらつく。

 自分は小柄で線が細いぶん、存在感も薄い。いないと近衛騎士の活動が立ちゆかないわけでもないので、詰所に不在の刻があっても見咎められない。
 悔しくはあるが、密令に利用していた。

(それが、オメガを物色するルドルフには気づかれたとは)

 行き先まで割れている。プナイネン家の所領を通っていたせいか。

「巡回隊の補佐をはじめ、騎士の任務は多岐に渡りますゆえ」

 それらしくごまかし、ルドルフがつくる大きな影を避けた。声は震えなかったはず。

(わたしとしたことが……)

 しかし動揺は収まらない。
 屋外は氷点下だが、頭を冷やそうと、あえて毛皮帽子を被らず相棒を走らせる。
 思う以上に順調に手紙のやり取りを進められて、少し浮かれていたのも否めない。

(近衛騎士が隙を見せてはいけない)

 自分が王城に通う目的を、ルドルフや他の貴族に知られればどうなるか――。レクスの求心力が下がるのみでは済むまい。

(あの男に調子を狂わされていたせいもある。それに)

 こちらが気を引き締めても、エリセイから情報が洩れるかもしれない。
 いつでもこれを材料に戦いを仕掛けてこられる。何せソコロフとアナトリエなのだから。
 つい雑談なぞしていたが、警戒すべきと思い直した。



「『勝利を収められるなら』」
「……『王位は要らない』」

 そんな決意で迎えた五日後。
 書庫に入るなり、エリセイに「どうした?」と顔を覗き込まれた。
 彼のほうは毎回抜け目なくこちらの様子を窺っている。自分に手落ちがあった、という自責が強くなる。

「君は、主人以外には手紙について話していないと誓えるか」

 剣の柄に手を掛けた姿勢で、端的に尋問した。

「おいおい。何かあったのかよ」
「何かあってからでは困る」

 エリセイはいつかのように両手を挙げ、敵意はないと示す。場を和ませようとか悠長な笑みも浮かべるが、こちらの碧眼がたゆまないのを見て取り、引っ込めた。
 表情が消えると、整った顔立ちなのが際立つ。

(品評は場違いだが)

 こうして油断させるのも彼の手管だろうか。
 返答は一言でこと足りる。だがエリセイは一向に口を開かない。

(やはり企みがあるのか?)

 かと思うと小さく息を吐き、剣ごと帯革を外した。無造作に二人の間に置く。
 あろうことか、そのままこちらに背を向けた。

(何、をして)

 濃灰の外套に包まれた背中の広さに、瞠目する。
 五歳の差でここまで違うものか? 単に骨と肉ががっしりしているという意味ではない。
 背負っている近衛騎士としての覚悟や責任、主人への忠誠。そしてこちらに対する信頼が溢れていた。

 エリセイは、自身の身を守る武器が手もとにない状態で、こちらの間合いに入っている。

(わたしは、この背中を――)

 剣の柄に添わせた指先に、痺れを感じた。

「口で言っても信じないだろ、スフェンは」

 適当に近くの本をめくりながら、エリセイが言う。表情はわからないが、きっと自分がいつも心掛けているような平静ぶりだろう。

(この背中を、父の仇と斬り捨てることもできる)

 それだけの鍛錬をしてきた。
 だが、なぜだか、無性に。

(守りたい)

 そう思った。もはや直感、もしくは本能に近い。

(守る必要もないほど強いのに、可笑しい)

 「頼もしい」と「守りたい」が、せめぎ合う。
 あの深く見通す緑眼を向けられていないのをよいことに、足音を忍ばせ、息も潜めて、エリセイに手を差し伸べた。

 指があえかに震えている。自分のものではないみたいだ。
 ゆっくりと、肩甲骨のくぼみに触れる。やはり熱い。そしてひどく安心した。

「疑って悪かった、エリセイ」
「お? やっと俺の名前呼んでくれたな」

 エリセイが鷹揚に笑い、広い背中が揺れる。入れ違いに指の震えが止まった。
 彼は最初から間合いとすら思っていなかったのだ。緩衝地帯、いや、ただ一緒に居る場所。
 同じように主人のためにここにいるからこそ、背中も預けられる。

(ルドルフなぞに惑わされた自分が恥ずかしい)

 跪き、自分の愛剣より長く重いエリセイの剣を拾い上げた。
 両手を使ってうやうやしく返却する。

「どうしてそうなった?」

 向き直ったエリセイは、よほど困惑したのか、こちらと剣を交互に見ている。

「取れ。先に信じるという、単純だが最も難しい騎士道精神を体現してのけた君への敬意だ」

 素直に称賛を述べた。
 以前の自分ならあり得ないが、ソコロフもアナトリエもない。いつ出し抜かれるかと疑ったままでは、何もできない。何も始まらない。

 エリセイはますます攪乱された様子ではにかむ。

「……はは。俺をそんなふうに言ってくれるのは、スフェンくらいだ。アナトリエでは『アルファなのに向上心がない』とか、『図体がでかいだけの穀潰し』だとか」
「それも事実だ」
「一言多いぞ」

 同時に吹き出しつつも、エリセイは普段より自信に満ちた、洗練された所作で剣を装着し直した。
 それを好ましく見守る。
 当初はエリセイの印象が定まらなかったが、今は彼を見ていると胸が高鳴った。

(敬意を抱ける者と共にいられるのは、よいものだ。……敬意、だよな?)

 その後、ソコロフ派に自分たちの動向を探る者がいる、と包み隠さず伝えた。

「ふむ。逢瀬が規則的だと怪しいかもな。五日毎じゃなく、四日とか六日とか毎回変えよう」

 エリセイが頬の傷痕を撫でながら思案する。伝書鳩任務の中断は考えないでくれて、嬉しい。

「逢瀬ではないが、了解した」
「きっちり否定されたか」

 次回の受け渡しは、両派の巡回隊の移動と重ならない四日後と取り決めた。
 手紙を渡すのみならず、思わぬ実りの種を受け取れた気がする。形のないそれを大切に守るかのごとく、胸に手を当てた。




 四日後。
 今日はこちらが手紙を受け取る番なので、往路は手ぶらになる。表向き「王城巡回隊のための物資を運んでいる」と見せかけるべく、ヴィトに蒸留酒を少量積んだ。
 口実としては弱いが、ないよりましだろう。

「さあ、行こう」

 いつにも増して慎重に進路を選ぶ。
 プナイネン家の所領は避け、だんだんと風雪が強くなっても周囲の確認を怠らない。

(前後左右、上下も白い)

 くすんだ灰や茶がわずかに覗く。だいたい木か廃屋だ。
 王城の周りには、城下町が広がっている。ただし打ち捨てられ、住民はない。

(ん?)

 そのはずが、強風と雪の重みで崩壊した家々の残骸の向こうに――何か動くものがあった。

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