ヒールオメガは敵騎士の腕の中~平民上がりの癒し手は、王の器に密かに溺愛される

七角@書籍化進行中!

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4 ソコロフとアナトリエ

3 抱き締めた手で剣を向け合う

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 レクスに代わり、躊躇のない一撃を受け止める。

「っ、なぜ」
「そりゃこっちの台詞だ」

 エリセイはひらりと身を翻し、ニキータを組み敷こうとする巡回隊員に剣先を向けた。

(何をしている)

 巡回隊員たちは、ニキータの芳香によって理性の箍が外れかけているようだ。
 エリセイからすれば、主人の命と貞操が脅かされている。

 自分以外全員、敵だ。

 「無益な戦闘はやめよ」というレクスの仲裁も無視する。
 その広い背中は、失望と静かな怒りで満ちていた。

(エリセイ、違うんだ。君たちを陥れようなんてしていない。信じてくれ)

 ……信頼は、わずかな行き違いで簡単に壊れる。何せソコロフとアナトリエなのだから。

 ルドルフに言葉巧みに踊らされた気がしないでもないものの、恋にうつつを抜かした自分の責任もある。
 レクスに「任せてほしい」と視線で伝えた。

 書庫の中央で、エリセイと相対する。
 「殺す気があったらとっくに殺してる」と言ってのける腕の持ち主だ。行き違いであってもレクスに剣を向けるのなら、こうするほかない。

(わたしの任務は主人を守ることであって、守られることではない)

 片手で頬の雀斑を叩いても、気持ちが揺れる。
 エリセイと戦いたくはない。
 でも、レクスへの忠誠を果たさねばならない。それが自分の使命だ。

 密令を任された当初、アナトリエ派騎士と命のやり取りをすることも想定していた。実際、エリセイと再会した日に剣を交えた。
 そう言えば一時休戦にしたままだ。

 エリセイが、こちらにか、はたまた自身に対してか、ひとつ溜め息を吐く。

「公子殿下にお相手願いたいんだがなあ?」

 さっさと終わらせようとだろう、先んじて踏み出してきた。
 ギャリリッと剣を鳴らして受ける。
 手が痺れた。以前のエリセイはちっとも本気を出していなかったのがわかる。

 そのおかげで発作じみた状態になっても斬られずに済み、手紙の交換を始められた。ちゃっかり抱き込まれもした。
 あの夜と今は違う。主人と第三者の目がある。

(やはり君も使命を優先するか。わたしを抱き締めたのと同じ手で、わたしに剣を向ける)

 それでこそ近衛騎士だ。その忠誠心の強さゆえ信頼できたし、惹かれたのだ。
 エリセイの構えは自然体で、無駄な力が入っていない。壮健な身体を余すことなく活かしており、一撃一撃が重く、遠くから飛んでくる。

 ギィン、ガンッ、ギャリリ。
 荒々しくも美しい剣筋は、騎士として見惚れるほどだ。
 なのに同時に苦い気持ちも湧いてくる。

(もし恋心なら、わたしの邪魔をしないでくれ)

 迷いを振り切らんと、攻勢に出た。

「はっ! はっ!」

 素早い打撃を続けて繰り出す。
 鍔迫り合いになった瞬間、エリセイの緑眼を覗き込む。エリセイはちらりとニキータを――彼の大事な人を見た。
 胸が痛む。
 後ろに跳び、間合いを取る。
 ……押されている。

「その程度か? おまえもアナトリエに恨みがあるだろう。引き分けたりしたら密通と見做すぞ。命を懸けてみせろ」

 ルドルフが口を挟んできた。自分になびかないなら死ねと言いたげな顏だ。
 レクスは老練なプナイネン家近衛騎士に牽制され、もどかしそうにしている。

(私欲だけの密通とは思われたくない)

 巡回隊員の手前、仕方なく踏み込む。剣を止めてはルドルフに言い訳を与える。

(場を収める最善策は……)

 息が上がってきた。思考しながらなせいか、いつもより早い。
 エリセイもエリセイで、持ち前の慧さを発揮できていない――いや。

『俺は俺が何を守ってるのか、何のために剣を振るうのか知っておきたいんだよ。そうでないといざというとき剣筋が鈍るし、本当に守るべきものを守れない』
 彼の真剣な声が耳によみがえる。

 書庫にアナトリエ派はふたりきり。エリセイはニキータを守らねばならない。
 そのためならルドルフはもちろん、レクスを討つのも辞さない。
 本気なのだ。

「っ」

 自分たちのどちらかが使命を果たせば、もう一方の使命が果たされない。命より大切な人を守れない。

(わたしは、)

 目の前が明滅する。考えもまとまらなくなってきて、ただひとつの願いに収束する。
 ――エリセイを守りたい。エリセイを、殺せない。

 自分で自分に驚く。
 命懸けで主人を守ると誓った。だが恋をして、いつしか使命より、自分の命よりエリセイが大切になっていたようだ。
 命のやり取りの場面で、ようやく自覚する。

(これが……愛か。わたしも知ることができた)

 使命を果たせないかもしれないのに、なぜか誇らしくも思う。
 そろそろ決着をつけねばならない。共倒れはいちばん避けたい。

「くっ、」

 エリセイの剣先が首筋を掠めた。

「退がってもいいんだぞ」

 ちっとも致命傷を与えられない自分と対照的に、次は急所を外すまい。
 エリセイの剣を握る手に力がこもる。

 それで覚悟は決まった。
 ソコロフとアナトリエゆえどちらかが死ぬことでしか収まらないなら、自分の命を盾にしてエリセイを守る。

(父さん。アナトリエの人間のために命を使うことを、許してくれますか)

 父に、自分の本心に確認する。
 平民の、それもオメガの命でも、使い道はある。

 一転して視界も頭も冴えた。
 これまでエリセイがくれた言葉、笑顔、体温が、脳裏に浮かんでは消える。

 たとえ運命の番でなくとも、エリセイの暖かさに恋をし、真の強さを愛した。だから。

(愛している)

 次のエリセイの一撃を、避けなかった。
 微笑み、剣を構えもしない。以前、武器を置いてこちらに背中を晒したエリセイのように立つ。

 ただのオメガでも盾になりたかった。主人を、未来を、愛する人を守る盾に。

「あぁああッ!」

 エリセイの剣は、外套の毛皮も硬い騎士服も切り裂き、肉と骨に届く。
 左の肩口から右の脇腹に掛けて、鋭い痛みが走った。

(ああ、武器で抉られると、痛いと言うか、熱いのだな)

 弓も槍も当たったことがない。最初で最後の痛みだ。
 胸の辺りで少し引っ掛かりがあったのは、母の形見の厨子ごと斬られたゆえか。
 その場にがくりと膝を突く。

「スフェ、ン……!」

 硬い床に倒れ伏す前に、すべり込んできたエリセイが支えてくれた。見開かれた緑眼は「どうして」という疑問でいっぱいになっている。
 どうしても何も、これが自分たちの使命ではないか。

「愛する、主人を、守り抜け」

 かろうじてエリセイにのみ聞こえる声で、切れ切れに言い遺す。使命を託すくらいいいだろう。
 本当は共に在りたかったが、彼を喪うよりましだ。

 エリセイがひょうひょうとした普段とは似つかない、すべての感情が入り混じった顔をした気がしたが、もう目を開けていられない。

(最後に見たのが、エリセイの緑でよかった)

 緑は豊かな大地の色、イスの未来の色だ。

 レクスには「スフェン……」と掠れ声で呼ばれた。
 いつか戴冠する日まで仕えられないのは残念だが、彼なら必ず実現すると信じている。ニキータもそばにいてくれる。

(これでルドルフは何も言えまい。もたもたしていたらエリセイが君にも剣を向けるぞ。ニキータを討つのは諦めて逃げ帰れ)

 傷口からどんどん血が流れていく。胸の紋章が真っ赤になっているに違いない。
 呼吸も弱くなる。痛みが麻痺するとともに、今度は寒くなった。

 すごく寒い。毛皮でも暖炉でも癒えない寒さだ。
 かと思うと、何か暖かいものに包まれた。

「公子方の目汚しにならないよう、遺体を埋める」

 エリセイに抱え上げられたらしい。
 厳粛な声で「遺体」と呼ばれ、じきに死ぬのだなと他人事みたいに思う。
 アナトリエの人間でもエリセイの剣を受けて死ぬなら、悪くない。

 騎士の務めを途中で放り出す形になったが、エリセイを守れたことに自分が生まれてきた意味を感じて、不思議と安らかだった。

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