魔女の呪いと竜の骨

碧衣 奈美

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01.魔物の出現

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「きゃああっ」
 突然、目の前に現れた異形の生き物。栗色の髪を三つ編みにしている少女は、それを見て大きな悲鳴を上げた。
 彼女の前に飛び出して来たそれは、輪郭だけなら人の姿に似ている。あくまでも、シルエットだけなら。
 ざんばら髪の、大柄な男のような姿だ。しかし、服を身に着けていないその身体の色は、暗い緑。
 それだけでも、少女にすれば恐怖を覚えるのに十分だ。
 しかも、その背中には汚れた白い羽があった。いや、白いと言ってはかなり語弊があるだろう。
 着古したシャツのように黄ばんでいるし、所々が黒ずんでいて、もはや灰色に近かった。
 人のような頭なのに、口にあたる部分は猛禽類のくちばしそのものにしか見えない。瞳は黒だが、白目部分が異様に血走っていた。
 指先には、湾曲した分厚い爪。その指も、三本しかない。ケガなどで失ったのではなく、元からそういう形のようだ。
 そんな姿の存在が三人、いや、三匹と呼ぶべきか、とにかく複数いる。どれも似たような顔で、ほとんど見分けがつかない。
 小柄な少女は、どう見ても魔物としか呼べない者達に囲まれたのだ。
「な、何よ、あんた達。私、何も持ってないわよ」
 ここに現れたのが山賊なら、有り金を渡せば命が助かる可能性はある。もしさらわれてどこかへ売られたとしても、生きていれば事態が好転することだってあるはずだ。
 でも、こんな魔物相手では、何を渡せば助かるのだろう。そもそも、人間の言葉がこの相手に通じるのだろうか。
 エサになるような物は、何も持っていない。小さなカゴは持っているが、中にあるのは糸玉だけで、食べられる物は入っていなかった。
 少女自身がエサと見なされているなら、彼女はこの時点ですでに死の淵へ追い詰められている状態だ。
「どうしてこんな場所に……」
 隣村へ買い物に行き、戻る道中のこと。よく使うこの道で魔物が出るなんて、今まで聞いたことがない。もちろん、少女自身もそんな経験はなかった。
 周囲には草むらなどがあるから、小動物が飛び出して来たりはする。その小動物を追って、キツネのようなそんなに大きくない肉食の獣が現れるのを見たこともある。
 この道で見掛けるのは、その程度だ。安全だと思っているから、この道はいつも一人で歩いている。他の通行人だって、たぶんそうだ。
 助けを求めようにも、ここは隣村と自分の村のほぼ中間に当たる場所。隣と表現しても、実際の距離はかなりあるのだ。どんなに叫んでも、その声がどちらかの村に届くことは……まずない。
 こんなことになるなら、本気で魔法を習っておけばよかった。
 そんな後悔をしても、遅い。魔物達は、じりじりと少女との間合いを詰めている。
 やだ……私、ここで死ぬの?
 そう考えた途端、血の気が引く。魔物が現れた時から恐怖と緊張で冷たくなっていた指先が、さらに体温を失っていた。
「だ……誰か助けて!」
 助けを求める叫び声は、最初の悲鳴よりもずっと小さい。
 気持ちだけなら、四方を囲む山や森の隅々にまで響き渡るように大声を出したつもりだ。しかし、残念ながら現実は、ほとんどささやき声でしかない。
 目の前にいる魔物の腕が、ゆっくりと動いた。いや、本当にゆっくりなのだろうか。恐怖のせいで、時間の感覚が狂っている気がする。
 あの腕が自分の腕を掴むのか、はたまたあの鋭い爪が首に食い込むのか。
 怖くて見ていられないが、怖すぎて身体が硬直してしまい、もうまぶたさえ動かせない。大きく見開き、魔物の動きを見ているだけ。
「にゃっ!」
 不意に、その場にいなかったはずの声が聞こえた。
 同時に、少女へ腕を伸ばそうとしていた魔物の顔へ、小さな影が襲いかかる。
「ぎゃっ」
 顔に攻撃を受けた魔物が声を上げたが、似たような声が少女の後ろからも聞こえた。
 驚いて振り返ると、魔物の黄ばんだ羽から細い煙が立ち上っている。
 え……何? どうなってるの?
 少女も驚いたが、自分の羽に異変を感じた魔物も驚いている。
 残った一匹が状況に戸惑っていると、その顔に火の玉がぶつけられた。他の魔物達と同じような声で悲鳴を上げ、手で顔を押さえる。
 状況はよくわからないが、魔物達は少女どころではなくなったらしい。
 痛みにうめいているその隙に、少女は魔物達の間をすり抜けた。
「こっちだ」
 こちらへ駆け寄って来る黒髪の少年の姿を見付け、少女はそちらへ走った。
 十七、八くらいだろうか。その少年のことは知らない。初めて見る顔だ。いい人かどうかなんて、今は当然わからない。
 それでも、魔物に囲まれているよりは、彼のそばの方がよかった。少なくとも、彼は人間だから。もし魔物が化けているのならおしまいだが、他に選択肢はない。
 少年は走って来た少女を自分の後ろへやると、魔物達とにらみ合う。
 突然の攻撃にひるんでいた魔物だが、一瞬の攻撃だったのでもう立ち直っていた。
 自分達の行動を邪魔され、当然ながら怒りの形相になっている。ただでさえ不気味だった顔が、額に浮いた血管のせいで凄みが増した。
「ジャマ……しやがって」
 一匹の魔物が言葉を発した。
 え、魔物って話せるの? 片言みたいな感じだけど、確かに人間の言葉だった。
「話せるのか。でも、頭がよさそうなしゃべり方じゃないな。烈火の弾丸」
 少年が素早く呪文を唱えると、無数の火の玉が魔物達に襲いかかる。
 さっきは少女が魔物達の中心にいたからできなかったが、今は魔物だけしかいないので遠慮はなかった。
 どうやら魔物は、防御の仕方を知らないらしい。できても、せいぜい手で頭をかばいながら身体を縮める程度。
 飛んで来る火の玉を受け、身体や羽のあちこちに焦げ跡ができる。
 黄ばんだ羽には黒い焦げ跡がいくつも付き、ひどくみっともない姿になった。
 これ以上羽を痛めつけられると飛べなくなる、と判断したのか。
 悔しそうに「きーっ」という威嚇とも悲鳴ともとれる声を上げて、魔物は飛び去った。
 さっき、言葉を少し発していたが、捨て台詞を残せる程には操れないらしい。
「もっと抵抗されるかと思ったけど、案外情けない奴らだな」
 魔物が飛び去るのを見て、少年がつぶやいた。
 少女としては、情けない魔物でよかった、と思う。魔法使いなら対処できるような情けない魔物でも、自分は手も足も出なかったのだ。
「あの……ありがとう、助けてくれて」
 その声に、少年がこちらを振り返る。
「悲鳴が聞こえて走って来たんだけど、ケガはない?」
「うん。もう少しで何かされそうだったけど。最初に何かが魔物の顔に……あ、あなたね」
 少年の足下に、小さな黒ねこがいた。さっき見た影は、この黒ねこだったのだ。
「ありがとう。あなたのおかげで、本当に助かったわ」
「にゃ」
 少女がしゃがんで礼を言うと、それに応えるかのように黒ねこは短く鳴いた。
「こいつはシェイナ。足が四本あると、身体が小さくても速く走れるのかな」
 少年のつぶやきに、赤いリボンを首に巻いた黒ねこはつんと顔を上げる。
「俺はアートレイド。さっき見たからわかると思うけど、魔法使いだ。一人前……とは、まだ自信を持って言えないけど」
「私はフローゼ。自信を持っていいと思うわ、アートレイド。さっきの魔法、すごかったもの」
 通りかかってくれたのが、魔法使いで本当によかった。
 余程腕のある剣士でもない限り、普通の人間に魔物の相手はできない。誰が何人通りかかろうと、フローゼと一緒に悲鳴をあげる人数が増えるだけだ。
 初対面で少し不安な部分があったが、悪い人ではなさそうで安心する。
「この辺りじゃ見かけない顔だけど、アートレイドはよその街の魔法使いなの?」
「俺達はアムルの村から来たんだ……って、知らないよな」
 フローゼの「はて?」という顔を見て、アートレイドは苦笑する。
「ここからうんと南にある、田舎の村だよ。安物の地図なんかだと、名前も載らないような小さい村だから」
「そんな遠い村から、どこへ行くの?」
「パルトの村。もうすぐそこ、だよな?」
「ええ。私が住んでる村よ。アムルの村がどれだけ小さいか知らないけど、パルトも小さい村よ。誰か知り合いでもいるの?」
 一番近い街へは、隣村を通り抜けてさらに進まなければ行けない。つまり、パルトの村も小さいし、田舎だ。特に何かがある、というのでもない。
「いや、知り合いはいない。魔法使いに会いに来たんだ。ネイロスさんって魔法使い、知ってる?」
 フローゼは、目を丸くしながらうなずいた。
「知ってるも何も、ネイロスって私のおじいちゃんよ」
「え……そうなんだ」
「すっごい偶然ね。でも、よかったじゃない。捜し回る手間が省けたわね」
「はは、確かに」
 行き先が同じなので、アートレイドとフローゼは共にパルトの村へ向かって歩き出した。
「おじいちゃんに会いたいって、どうしてなの?」
「ある魔法を探していて、ネイロスさんなら知ってるかもって言う人がいたんだ。ネイロスさんがおじいちゃんだって言うなら、孫のきみも魔法使いなのか?」
「私を魔法使いって言ったら、他の魔法使い達がきっと怒るわ」
 フローゼは笑いながら、軽く肩をすくめた。
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