リーネリア様は生きる意味と死んだ理由を知りたい

暗い灯り

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第五章 森と銀の監視者

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 第五章:争いの影と風の声

朝露を踏みしめながら、リーネリアは谷を抜け、丘を越え、交易都市リュグの外れにある小さな村へと辿り着いた。
そこは、マルヴァとミラディアの境界線に近い“灰色の地”と呼ばれる集落だった。

灰色といっても、空も、草も、建物も、それなりに色を持っていた。ただ、どこか薄く、輪郭のはっきりしない土地だった。

小さな教会と市場。広場には絵本を持った子どもたちが集まり、火刑ごっこをしていた。

「おまえは神の敵! 火で浄められるべき!」

「でもボク、ただ魚をあげただけなのに……!」

子どもたちの声に、リーネリアはぎょっとした。それは、かつてフェンの書棚で見かけた神派の絵本に描かれていた“罪びとと救済”の場面そっくりだった。

「……本当に、まだこんなことが残ってるんだ……」

ため息と共にこぼれた言葉は、村の空気には吸われなかった。

 ⸻

市場に出ると、悲鳴が聞こえた。
数人の男たちが、ひとりのゴブリンの子どもを袋叩きにしていた。

「盗みをしたんだ! この種族は信用できん!」

「違う……私は……拾っただけ……」

その声に、リーネリアの身体がかすかに震えた。どこかで聞いた声。いや、それは——

「やめて!」

思わず叫び、男たちの間に割って入った。一瞬の静寂。

「こいつの仲間か?」

「いや……見ろ、あれは人間だ。だが……黒髪……」

鋭い視線が突き刺さる。リーネリアは拳を握りしめた。

「彼女は盗んでいません。疑うなら、ちゃんと調べてからにしてください」

男たちは罵声を浴びせながら去っていった。

残されたゴブリンの子は、リーネリアの手をぎゅっと握った。

「ありがとう、お姉ちゃん……」

——その瞬間、リーネリアの心がぴたりと止まった。

(……しゃべった?)

茶色い肌。小柄な体つき。瞳には明らかな「感情の光」があった。

(このゴブリン……言葉を話す)

思い返せば、王国で見た緑のゴブリンたちは、唸るような声しか出せなかった。感情も、言葉も、伝える術を持っていなかったはずだ。

(茶色のゴブリンって、本当に……しゃべるんだ)

それは知識として“知っていた”ことだったはずなのに、今、目の前の命が発した言葉に、リーネリアは初めて“それが事実だった”ことを実感した。

(こんなに……はっきりと、声が届くんだ)

その時だった。

ふっと、世界がぐらつく。

眩暈。頭の奥から、なにかが軋むような音がした。

——「リナ、ごめんね」
——「生まれてこなければよかったって、言われたんだ」

 声。
 黒い髪の子。
 鏡の中の自分。
 燃える空。
 崩れる屋上。
 音のない叫び。

「やめて……やめて……!」

思わず頭を抱えてしゃがみこんだ。

「大丈夫……?」

静かな声がかけられた。そこに立っていたのは、白いローブの少女。エルフのように見えたが、瞳にはどこか人間以上に人間を知っている色があった。

「……あなたは……」

「イサリ。旅の途中よ。あなたが無事でよかった」

微笑んだ彼女の言葉に、リーネリアはかすかに涙をこぼした。

 ⸻

夜。宿屋の小さな部屋でふたりは再会する。

「変なこと聞いていい?」

「いいよ」

「どこかで、会ったことがある?」

イサリは首を傾げる。「どうかしら。でも……私たち、似てるのかもしれないね」

その言葉は、なぜかとても自然に胸へ染みた。

 ⸻

次の日、村の神殿で事件が起きた。

「火が……!誰かが神殿に……!」

僅かな火と、壊された祭壇。村人たちは動揺し、その犯人に“あのゴブリンの子”を仕立て上げようとした。

「証拠はない。でも怪しいのはあの子だ。あの目を見たか? 闇を呼ぶ者だ!」

リーネリアは怒りに震えながら、裏庭の倉庫をこじ開けた。そこに、例のゴブリンの子が縛られて倒れていた。

「どうして……どうしてこんなことを……!」

 その背に、低く穏やかな声がかけられる。

「その行動、王国に報告してもよろしいのですか?」

振り返ると、静かに立つ男がいた。銀髪。長身。落ち着いた佇まい。

「あなたは……」

「記録者です。名前はルアン。教会と王国の記録保全のため、派遣されています」

彼の目は優しかった。だが、すべてを見透かしているような深さがあった。

「あなたが助けた子は、今後“記録に残る存在”になるでしょう。記録は未来の視線を生みます。覚悟は、ありますか?」

リーネリアは口を開きかけ、少し迷ったあと——静かに頷いた。

 ⸻

夜。村を離れる前、ルアンとイサリ、そしてリーネリアの三人が神殿裏の丘に立っていた。

風が吹き抜ける。雲が晴れ、星が瞬いていた。

「ルアン。あなた……本当は……」

「——私はただ、君たちが何を選ぶかを見たいだけだ」

それは、導く者の声ではなかった。ただの、旅の同行者のような声。

イサリが言う。

「ねえリーネリア。あなたは、誰のために学んでるの?」

「……自分のために、だと思ってた。でも今は、誰かの痛みを“知らないふり”したくないから……」

その答えに、イサリは嬉しそうに微笑んだ。ルアンはただ、夜空を見上げた。

「歴史とは、残された声だ。だが声なき声が、いちばん深く刻まれるものかもしれない」

その言葉に、リーネリアは首を横に振った。

「私は——声を出すよ。今度は、ちゃんと」


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