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第四章 竜と影の狭間で
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第4章:竜と影の狭間で
旅立ってから数日、リーネリアは南の大空を望む草原地帯を進んでいた。
ひとりでの旅は不安もあったが、それ以上に、空と風と、未知の文化への期待が彼女を前へと駆り立てた。
ある日のこと。岩山の谷間で野営していたリーネリアの前に、突如として影が差した。見上げると、巨大な翼を広げたドラゴンが、静かに降り立つところだった。だが、そのドラゴンは攻撃するでもなく、ただ優雅に翼を畳むと、言葉を発した。
「旅の者よ。恐れることはない。私はアウル=ゼグ、語りの竜族だ」
その声は、深く、どこか懐かしい響きを持っていた。
リーネリアは驚きながらも礼をとる。「リーネリア・フェンと申します。旅をしています。他種族の文化と……死生観を学ぶために」
アウル=ゼグは頷く。
「では、私の国へ来るがよい。我ら竜族は、死と共に生まれ、死の意味を継いでゆく民。そなたに語ることは多い」
リーネリアが案内されたのは、雲の上に浮かぶ都市《スィル=アルト》。
神が創った移動の民であるドラゴンたちは、いまや知性を備え、独自の文化と国家を持っていた。
スィル=アルトでは、知識を得ることそのものが生きることとされ、ある一定の「到達」に達したドラゴンは、自ら命を閉じる儀式を選ぶという。それは苦しみでも悲しみでもなく、尊厳に満ちた“還り”だった。
「我々は死ぬことで、記憶を次代に託す。肉体は終わりでも、思考と感情は、仲間の中に織り込まれる」リーネリアは彼らの儀式――燃える風と歌によって空へ還る様子を見て、涙を流した。
その晩、スィル=アルトの高台にある庭園。光る風花が夜の空に舞い、星々が雲の隙間から覗いていた。アウル=ゼグは人間の姿で、リーネリアの隣に座っていた。
「リーネリア。以前、君と同じような質問をした人間の少年がいた。……彼は私にこう聞いた。『どうやったら風に乗れるの?』と」リーネリアは笑う。
「“飛べる”じゃなくて、“乗れる”? 可愛らしいですね」
「そう。彼には、そう見えたのだろう。あれは面白い子だった。人間はやはり……面白い」
そう言ってアウルは、あどけない少年のような笑みを浮かべた。
その無邪気な微笑みに、リーネリアの胸はふわりと高鳴った。
高貴で理知的な竜が、こんな風に笑うなんて。それは初めての、恋の感覚だった。
「私……あなたともっと話したい」
リーネリアの声は、星の光より小さく震えていた。
アウルは静かに頷いた。「語り合おう。君が世界を知ろうとするように、私も君を知りたい」
____
「報告します。リーネリア様は竜の背に乗り、飛び去ったため追跡は断念しました。」
「このままでは済まさない。ゴブリンを王の場に座らせるだなんて……」
その声は、誰にも届かない夜の中で、確かに震えていた。
____
旅立ちの朝、スィル=アルトの雲が晴れ、地上の光が谷間へと射し込んでいた。アウルは竜の姿でリーネリアを背に乗せ、高く空を舞った後、広がる草原の上へとそっと降り立った。
「ここから先は君ひとりの旅になる」
そう言って、アウルは鞘に収まった短刀を取り出した。光を受けて刃がわずかに青く輝いた。
リーネリアが見守るなか、アウルはそれを抜き、自らの掌を切った。「アウル!?」
驚いた声をあげる彼女の前で、傷口はすぐにふさがれ、血も一滴も残らなかった。
「……私たち竜族は、痛みを知らない。いや、正確には“痛みを記憶しない”と言った方が近いかもしれない。身体が即座に修復されるから、痛みは一瞬で忘れられる。だからこそ、君たち人間の儚さには、心が震える」
アウルは短刀をリーネリアに手渡した。
「傷つき、血を流せば、君は死んでしまう。どうか気をつけるのだ」リーネリアはそっとそれを受け取った。重くはないが、鋭く、美しい刃だった。
「ありがとう……大切にします」
アウルは一瞬だけ視線を遠くにやり、穏やかに微笑んだ。
「君の旅の無事を祈るよ、リーネリア」
彼女が歩き出し、次第にその姿が遠ざかっていくのを、アウルはしばらく黙って見つめていた。そして、静かに胸元を押さえる。
「……胸の痛みは、知っている」
風にかき消されそうなほど小さな声だった。それは、竜族には理解できぬはずの痛み――
スィル=アルトへ戻る途中、アウルは雲の流れを眺めながら、遠い記憶に目を閉じた。あれは、まだ彼が若き竜だった頃――およそ四十年も昔のこと。
地上の書を集めていた彼は、ひとりの少年と出会った。柔らかい金髪と、真っ直ぐな瞳をしたその少年は、アウルの姿を見て言った。
「どうやったら、風に乗れるの?」
その問いに、アウルは答えに詰まった。なぜなら竜としての飛行は、理屈ではなく本能に根ざすものだったからだ。
「……どうやって、と言われても……」
「だって、風のように見えるからさ」
その無垢な声が、なぜか心に残った。
あれが、レクス・フェン・アルマディウス――後に人間社会で名を馳せる知の貴族となる人物との出会いだった。あの時以来、アウルは人間に興味を持ち始めた。
彼は幾度となく地上を訪れ、フェンと語り合った。言葉、物理、歴史、そして感情。やがて、アウルは変化した。フェンとの交流を通じて、人の姿と声、そして表情を理解し、いつしか自身の身体もまた、それに近づいていた。
最初は幻術のようなものでしかなかった人間の姿が、長い歳月と模倣を経て、完全に“自らのもうひとつの形”となった。
竜でありながら、人として語れるようになった日、彼は初めて知ったのだ。
——理解は、姿をも変える。
あの少年がくれた問いは、彼の中にひとつの魔法を残していた。
だからこそ、リーネリアの口調や問いかけが、どこか懐かしかったのだ。
あの二人は、同じ“問いを持つ者”だった
「後は任せたぞ、ルアン」
はい。銀髪の青年は恭しく応えた。
旅立ってから数日、リーネリアは南の大空を望む草原地帯を進んでいた。
ひとりでの旅は不安もあったが、それ以上に、空と風と、未知の文化への期待が彼女を前へと駆り立てた。
ある日のこと。岩山の谷間で野営していたリーネリアの前に、突如として影が差した。見上げると、巨大な翼を広げたドラゴンが、静かに降り立つところだった。だが、そのドラゴンは攻撃するでもなく、ただ優雅に翼を畳むと、言葉を発した。
「旅の者よ。恐れることはない。私はアウル=ゼグ、語りの竜族だ」
その声は、深く、どこか懐かしい響きを持っていた。
リーネリアは驚きながらも礼をとる。「リーネリア・フェンと申します。旅をしています。他種族の文化と……死生観を学ぶために」
アウル=ゼグは頷く。
「では、私の国へ来るがよい。我ら竜族は、死と共に生まれ、死の意味を継いでゆく民。そなたに語ることは多い」
リーネリアが案内されたのは、雲の上に浮かぶ都市《スィル=アルト》。
神が創った移動の民であるドラゴンたちは、いまや知性を備え、独自の文化と国家を持っていた。
スィル=アルトでは、知識を得ることそのものが生きることとされ、ある一定の「到達」に達したドラゴンは、自ら命を閉じる儀式を選ぶという。それは苦しみでも悲しみでもなく、尊厳に満ちた“還り”だった。
「我々は死ぬことで、記憶を次代に託す。肉体は終わりでも、思考と感情は、仲間の中に織り込まれる」リーネリアは彼らの儀式――燃える風と歌によって空へ還る様子を見て、涙を流した。
その晩、スィル=アルトの高台にある庭園。光る風花が夜の空に舞い、星々が雲の隙間から覗いていた。アウル=ゼグは人間の姿で、リーネリアの隣に座っていた。
「リーネリア。以前、君と同じような質問をした人間の少年がいた。……彼は私にこう聞いた。『どうやったら風に乗れるの?』と」リーネリアは笑う。
「“飛べる”じゃなくて、“乗れる”? 可愛らしいですね」
「そう。彼には、そう見えたのだろう。あれは面白い子だった。人間はやはり……面白い」
そう言ってアウルは、あどけない少年のような笑みを浮かべた。
その無邪気な微笑みに、リーネリアの胸はふわりと高鳴った。
高貴で理知的な竜が、こんな風に笑うなんて。それは初めての、恋の感覚だった。
「私……あなたともっと話したい」
リーネリアの声は、星の光より小さく震えていた。
アウルは静かに頷いた。「語り合おう。君が世界を知ろうとするように、私も君を知りたい」
____
「報告します。リーネリア様は竜の背に乗り、飛び去ったため追跡は断念しました。」
「このままでは済まさない。ゴブリンを王の場に座らせるだなんて……」
その声は、誰にも届かない夜の中で、確かに震えていた。
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旅立ちの朝、スィル=アルトの雲が晴れ、地上の光が谷間へと射し込んでいた。アウルは竜の姿でリーネリアを背に乗せ、高く空を舞った後、広がる草原の上へとそっと降り立った。
「ここから先は君ひとりの旅になる」
そう言って、アウルは鞘に収まった短刀を取り出した。光を受けて刃がわずかに青く輝いた。
リーネリアが見守るなか、アウルはそれを抜き、自らの掌を切った。「アウル!?」
驚いた声をあげる彼女の前で、傷口はすぐにふさがれ、血も一滴も残らなかった。
「……私たち竜族は、痛みを知らない。いや、正確には“痛みを記憶しない”と言った方が近いかもしれない。身体が即座に修復されるから、痛みは一瞬で忘れられる。だからこそ、君たち人間の儚さには、心が震える」
アウルは短刀をリーネリアに手渡した。
「傷つき、血を流せば、君は死んでしまう。どうか気をつけるのだ」リーネリアはそっとそれを受け取った。重くはないが、鋭く、美しい刃だった。
「ありがとう……大切にします」
アウルは一瞬だけ視線を遠くにやり、穏やかに微笑んだ。
「君の旅の無事を祈るよ、リーネリア」
彼女が歩き出し、次第にその姿が遠ざかっていくのを、アウルはしばらく黙って見つめていた。そして、静かに胸元を押さえる。
「……胸の痛みは、知っている」
風にかき消されそうなほど小さな声だった。それは、竜族には理解できぬはずの痛み――
スィル=アルトへ戻る途中、アウルは雲の流れを眺めながら、遠い記憶に目を閉じた。あれは、まだ彼が若き竜だった頃――およそ四十年も昔のこと。
地上の書を集めていた彼は、ひとりの少年と出会った。柔らかい金髪と、真っ直ぐな瞳をしたその少年は、アウルの姿を見て言った。
「どうやったら、風に乗れるの?」
その問いに、アウルは答えに詰まった。なぜなら竜としての飛行は、理屈ではなく本能に根ざすものだったからだ。
「……どうやって、と言われても……」
「だって、風のように見えるからさ」
その無垢な声が、なぜか心に残った。
あれが、レクス・フェン・アルマディウス――後に人間社会で名を馳せる知の貴族となる人物との出会いだった。あの時以来、アウルは人間に興味を持ち始めた。
彼は幾度となく地上を訪れ、フェンと語り合った。言葉、物理、歴史、そして感情。やがて、アウルは変化した。フェンとの交流を通じて、人の姿と声、そして表情を理解し、いつしか自身の身体もまた、それに近づいていた。
最初は幻術のようなものでしかなかった人間の姿が、長い歳月と模倣を経て、完全に“自らのもうひとつの形”となった。
竜でありながら、人として語れるようになった日、彼は初めて知ったのだ。
——理解は、姿をも変える。
あの少年がくれた問いは、彼の中にひとつの魔法を残していた。
だからこそ、リーネリアの口調や問いかけが、どこか懐かしかったのだ。
あの二人は、同じ“問いを持つ者”だった
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はい。銀髪の青年は恭しく応えた。
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