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第八章 忘れられた記憶の森
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第八章:忘れられた記憶の森
リーネリアが再び目を覚ましたとき、そこには朝の匂いが満ちていた。
土と葉と花の香り。それにまじって、どこか懐かしい風が頬を撫でた。
天井は木の枝で編まれ、差し込む光がゆらゆらと揺れている。身体を起こすと、薄布に包まれた寝台。手には絹のように滑らかな感触の布が添えられていた。
(ここは……?)
扉を押し開けると、そこには光に包まれた世界が広がっていた。
木々は高く、太陽の光は葉を透かし、森全体が緑と金に染まっている。水は音もなく流れ、石の間を踊るように走る。
空中には、花粉とも、光ともつかない粒子が浮かび、幻想のような静寂をたたえていた。
それは、物語の中にしか存在しないと思っていた“エルフの森”そのものだった。
⸻
しばらく森を歩いた先、集落のような広場に出た。丸太と蔓で編まれた小屋が点在し、その周囲で人間の子どもたちが駆け回っている。
エルフの青年が一人、囲炉裏の火を見守りながら、幼い子に干した果実を分け与えていた。
(……戦争孤児?)
混乱の中にも笑い声があった。誰かが誰かの手を引き、誰かが誰かを抱きしめていた。
「目が覚めたのね」
振り返ると、そこにイサリがいた。
その姿は、変わらぬ銀の髪と静かな眼差し。けれど、どこかやさしい疲れが宿っているようにも見えた。
「ここは、森の保護集落よ。戦争や迫害で居場所を失った子たちが、身を寄せ合って生きているの」
「あなたが……ずっとここで?」
「ええ。人間にもエルフにも、責任があるから」
イサリはそう言って、小屋の前に座り込む。リーネリアも隣に腰を下ろした。
「森の奥には“ノクスの塔”があるわ。エルフの記憶、記録、すべてがそこに集められている」
「……行ってみたい。見てみたいの。エルフのことも、世界のことも……私のことも」
イサリは黙ってリーネリアを見つめた。
その眼差しには、どこか迷いがあった。
「覚悟はある? 知るっていうのは、壊すことと同じなのよ」
リーネリアは目を逸らさなかった。
「……人間の残酷さを、受け止める覚悟はあるの?」
リーネリアは一度だけ、静かにうなずいた。
⸻
イサリは、ゆっくりと立ち上がった。
「ついてきて。ノクスの塔は、森の奥。選ばれた者しか足を踏み入れられないはずだけど……あなたなら、きっと辿り着ける」
その言葉に導かれ、リーネリアは森を進んだ。
木々は徐々に密を増し、空は緑に覆われて見えなくなる。けれど、なぜか恐怖はなかった。ただ、自分の足音と、風のざわめきと、遠くで鳥が鳴く声が耳に染み入るだけだった。
やがて、木々の間にそれは現れた。
──ノクスの塔。
巨木の中心に穿たれた、螺旋の構造。塔というより、大地と空を貫く「道」のようにも見えた。
表面には、無数の文字と紋様が刻まれていた。どれも見覚えのない言語。けれど、心のどこかがそれを「懐かしい」と感じていた。
「ここは、エルフの記憶が集う場所。私たちは死なない代わりに、すべてを記録する。感じたこと、見たこと、聞いたこと。それを、塔が受け取るの」
イサリの言葉が、森に吸い込まれるように消える。
「この塔の前で、嘘は通じないわ」
リーネリアは静かに頷き、塔の根元へと手を伸ばす。
すると、冷たい木の皮が指先に触れた瞬間、視界が白く染まった。
──誰かが泣いていた。
──誰かが叫んでいた。
──誰かが、誰かを見捨てていた。
炎。
水。
闇。
そして——光。
それは、誰かの記憶だった。けれど、それは確かに、リーネリア自身の記憶でもあった。
(これ……私……?)
誰かに蹴られ、罵られ、追われる感覚。
そして、誰かを突き飛ばし、見殺しにした瞬間。
(違う、私は……)
けれど塔は、それを否定しなかった。沈黙の中で、ただ真実だけを突きつけてくる。
足が震える。でも、目は逸らさなかった。
「リーネリア」
背後から、イサリの声がした。
「それでも、進みたい?」
リーネリアは、顔を上げた。
「……知りたいの。私が、なぜ生きているのか。なぜ、ここにいるのか」
塔の表面が微かに輝く。まるで、答えを聞き届けたかのように。
「……なら、先に進みなさい」
イサリの言葉は、いつものように静かで、どこか優しかった。
⸻
リーネリアは、一歩を踏み出した。光の道が、塔の内部へと導く。
その先に待つものが、救いか、罰か。それはまだ、誰にもわからなかった。
けれど彼女の足取りは、確かに前を向いていた。
リーネリアが再び目を覚ましたとき、そこには朝の匂いが満ちていた。
土と葉と花の香り。それにまじって、どこか懐かしい風が頬を撫でた。
天井は木の枝で編まれ、差し込む光がゆらゆらと揺れている。身体を起こすと、薄布に包まれた寝台。手には絹のように滑らかな感触の布が添えられていた。
(ここは……?)
扉を押し開けると、そこには光に包まれた世界が広がっていた。
木々は高く、太陽の光は葉を透かし、森全体が緑と金に染まっている。水は音もなく流れ、石の間を踊るように走る。
空中には、花粉とも、光ともつかない粒子が浮かび、幻想のような静寂をたたえていた。
それは、物語の中にしか存在しないと思っていた“エルフの森”そのものだった。
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しばらく森を歩いた先、集落のような広場に出た。丸太と蔓で編まれた小屋が点在し、その周囲で人間の子どもたちが駆け回っている。
エルフの青年が一人、囲炉裏の火を見守りながら、幼い子に干した果実を分け与えていた。
(……戦争孤児?)
混乱の中にも笑い声があった。誰かが誰かの手を引き、誰かが誰かを抱きしめていた。
「目が覚めたのね」
振り返ると、そこにイサリがいた。
その姿は、変わらぬ銀の髪と静かな眼差し。けれど、どこかやさしい疲れが宿っているようにも見えた。
「ここは、森の保護集落よ。戦争や迫害で居場所を失った子たちが、身を寄せ合って生きているの」
「あなたが……ずっとここで?」
「ええ。人間にもエルフにも、責任があるから」
イサリはそう言って、小屋の前に座り込む。リーネリアも隣に腰を下ろした。
「森の奥には“ノクスの塔”があるわ。エルフの記憶、記録、すべてがそこに集められている」
「……行ってみたい。見てみたいの。エルフのことも、世界のことも……私のことも」
イサリは黙ってリーネリアを見つめた。
その眼差しには、どこか迷いがあった。
「覚悟はある? 知るっていうのは、壊すことと同じなのよ」
リーネリアは目を逸らさなかった。
「……人間の残酷さを、受け止める覚悟はあるの?」
リーネリアは一度だけ、静かにうなずいた。
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イサリは、ゆっくりと立ち上がった。
「ついてきて。ノクスの塔は、森の奥。選ばれた者しか足を踏み入れられないはずだけど……あなたなら、きっと辿り着ける」
その言葉に導かれ、リーネリアは森を進んだ。
木々は徐々に密を増し、空は緑に覆われて見えなくなる。けれど、なぜか恐怖はなかった。ただ、自分の足音と、風のざわめきと、遠くで鳥が鳴く声が耳に染み入るだけだった。
やがて、木々の間にそれは現れた。
──ノクスの塔。
巨木の中心に穿たれた、螺旋の構造。塔というより、大地と空を貫く「道」のようにも見えた。
表面には、無数の文字と紋様が刻まれていた。どれも見覚えのない言語。けれど、心のどこかがそれを「懐かしい」と感じていた。
「ここは、エルフの記憶が集う場所。私たちは死なない代わりに、すべてを記録する。感じたこと、見たこと、聞いたこと。それを、塔が受け取るの」
イサリの言葉が、森に吸い込まれるように消える。
「この塔の前で、嘘は通じないわ」
リーネリアは静かに頷き、塔の根元へと手を伸ばす。
すると、冷たい木の皮が指先に触れた瞬間、視界が白く染まった。
──誰かが泣いていた。
──誰かが叫んでいた。
──誰かが、誰かを見捨てていた。
炎。
水。
闇。
そして——光。
それは、誰かの記憶だった。けれど、それは確かに、リーネリア自身の記憶でもあった。
(これ……私……?)
誰かに蹴られ、罵られ、追われる感覚。
そして、誰かを突き飛ばし、見殺しにした瞬間。
(違う、私は……)
けれど塔は、それを否定しなかった。沈黙の中で、ただ真実だけを突きつけてくる。
足が震える。でも、目は逸らさなかった。
「リーネリア」
背後から、イサリの声がした。
「それでも、進みたい?」
リーネリアは、顔を上げた。
「……知りたいの。私が、なぜ生きているのか。なぜ、ここにいるのか」
塔の表面が微かに輝く。まるで、答えを聞き届けたかのように。
「……なら、先に進みなさい」
イサリの言葉は、いつものように静かで、どこか優しかった。
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リーネリアは、一歩を踏み出した。光の道が、塔の内部へと導く。
その先に待つものが、救いか、罰か。それはまだ、誰にもわからなかった。
けれど彼女の足取りは、確かに前を向いていた。
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