リーネリア様は生きる意味と死んだ理由を知りたい

暗い灯り

文字の大きさ
11 / 14

第11章 名を忘れる塔

しおりを挟む
第11章 名を忘れる塔

 白い靄が、床と天井の区別を曖昧にしていた。
 リーネリアが一歩足を踏み入れるたび、靴の裏が石を打つ感触はあったが、音はどこかへ吸い込まれていく。
 柱と棚と光と……そして、静寂。

 塔の内部は、まるで森と書庫が融合したような空間だった。
 天井は見えず、空中には枝のような構造物が広がり、そこから蔦が垂れ、棚が生え、本が浮いていた。
 重力があるようで、ないようで、どこまでも静かで——幻想的だった。

 中心には、ふわり、ふわりと光の粒が漂っている空間があった。
 火の粉のように揺らめくそれらは、誰かの“記憶”なのだという。
 エルフたちが何人も、その光を見つめていた。
 小さな子供のような姿の者もいれば、思索する青年のような者もいる。
 誰も言葉を発せず、ただそこにいるという静謐が支配していた。

「——おや、新顔?」

 その声だけが、はっきりと音を持って、リーネリアの背後から届いた。
 振り返ると、そこには人間の少女……いや、少女の姿をした“なにか”がいた。

 彼女はリーネリアと年齢も体格も変わらないように見えた。
 けれど、服装はどこか異国風で、歩き方も、視線の向け方も、この世界の人々とは少し違っていた。

「わたし、ミズキ。人間。でもまあ……ここではエルフに間違えられることも多いかな。
 あなた、リーネリアでしょ?」

「……どうして、名前を?」

「イサリさんに会ったって聞いたから。君みたいなの、塔に入れるのは珍しいんだよ」

 軽い口調のミズキに、リーネリアは少し警戒しつつも、頷いた。
 ミズキはにっこり笑って、手招きする。

「案内してあげる。ここは“ノクスの塔”——死者の記憶を収めた、世界の外側。
 まあ、あたし的には“巨大図書館”って言った方がしっくりくるけどね」

 ミズキに導かれて進んだ先、光の粒が密集する空間に差しかかる。
 ミズキはそのうちのひとつを指でつまむようにそっと触れた。

「ほら、見てごらん。記憶ってのはね、こうやって“見る”ものなの」

 リーネリアの目の前で、光がふっと拡がる。

 視界が一瞬で別の世界へと切り替わった。
 草原、倒れた人、剣の先に立つ少女。だが、音がない。声も、風も、血の音も。

 まるで、無音映画。
 視覚だけの記憶。誰かの“見ていた景色”だけが、静かに流れていく。
 体が動かない。音も匂いも、温度もない。ただ目だけが、そこにあった。

 そして、光は消えた。

「どうだった?」ミズキが問いかける。

「……変な感じ。目だけがある、みたいな……」

「でしょ? これが“記憶”。視覚情報だけで、あとはぜんぶ空っぽ。
 音とか匂いとか感情とか、そういうのは“記録”の方に残されてることがあるけど、ほとんどは光だけ。
 つまりね——」

 ミズキは一本の本を棚から抜き取り、開いて見せた。

「“記録”は文字。“記憶”は映像。塔の中心はこのふたつでできてるの。
 エルフたちは、自分の前世を探すためにここで記憶を見てまわるんだよ」

「……私の前世の記憶も、あるのかな?」

 リーネリアの問いに、ミズキは首をかしげた。

「それがね……わかんないのよ。だってここにあるのは、“死んだ記憶”だけなんだもん。
 転生者の記憶って、そもそも“どこにあるのか”すら不明。
 私も、自分の前の人生の記憶、ここで探したけど、見つからなかった。
 でも、理由がひとつだけあると思ってるんだ」

「理由?」

「——“名前”の呪い」

 ミズキは静かに言った。

「この世界で“名前”をもらうとね、前の記憶に“蓋”がされるんだよ。
 誰かに“ミズキ”って呼ばれたとき、私は初めて“この世界の人間”になった気がした。
 それと同時に、日本のことがどんどん霞んでった。
 あなたも、“リーネリア”って呼ばれてるでしょ? それが、あなたをこの世界の住人にしたのよ」

 リーネリアは思わず、自分の名前を心の中で反復する。
 リナ。自分の本当の名だったかもしれない響きが、薄れていく気がした。

「記憶はどこかにあるかもしれない。でも、見つけるには運と……たぶん、覚悟が要るよ」

 ミズキはそう言って、笑った。

「ま、とりあえず今日は軽く見ていこうよ。初心者にはこれがおすすめ。
 “エルフの記録”。最近人気らしいよ」

 本棚から、ひとつの本がゆっくりと浮かび、リーネリアの前に開かれた。
 重厚で、しかしどこか柔らかい質感のページが、風もないのに一枚めくれる。

 そこには、**エルフという種族の、“死ななさ”と“孤独”**について記された序文があった。

 リーネリアは、静かにそれを読み始めた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

乙女ゲームの悪役令嬢、ですか

碧井 汐桜香
ファンタジー
王子様って、本当に平民のヒロインに惚れるのだろうか?

モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】

いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。 陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々 だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い 何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...