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海のかけら
しおりを挟む一人の少女が、壁にかかっている額縁を見上げていた。
ようやくランドセルが背負えるくらいの身長になったその少女は、額縁を眺め続けて、その後にこくんと首を傾げた。
額縁の中には絵が飾られている。
絵の中では、青い海を背景に彩とりどりの魚たちが自在に、そして自由に泳ぎ回っている。
魚たちは、自分たちが住んでいるのが絵の世界だと気が付いていないように、楽しそうに泳ぐ。
絵は完璧に美しかった。
誰が見ても、どんなに性格が捻くれた者であっても、その絵を見れば必ず「美しい」と言うだろう。
それでも、その女の子は絵を見て首を傾げた。
この絵の真ん中には、正方形の穴が開いていたのだ。
縦と横がきっちり2センチほどの穴。
少女は自分の両親を呼んだ。
「パパ! ママ! 絵が変だよ!」
彼女の呼ぶ声で、母親が階段を駆け上がってきた。数秒ほど遅れてから、父親も小走りで廊下に駆け付ける。
「この絵の真ん中のピースがどっか行っちゃった」
少女は絵の真ん中を指さす。
母親と父親がは「ああ、そうだね」と頷いた。
「せっかくパズルを完成させたのに、これは悪戯かな?」
「そうね、きっとお兄ちゃんね。こんな悪戯をするのは」
父親と母親は困ったように笑いあった。
額の中の絵から消えていたのは、たった一つのピース。
100個のピースで出来ているジグソーパズル。
もともと、細かいブロックを組み立てて遊ぶのが好きだった少女は、兄と一緒にパズルに夢中になった。
1週間もしないうちに、少女と兄は嬉しそうに「完成したよ!」と声を上げたのだった。
そして、兄妹はそのパズルを壁に飾りたいと言い出した。
家族全員が賛成した。
「あとで、お兄ちゃんに元に戻すように言っておかないとね」
母親の穏やかな言葉に「いやだ! おにいちゃんが帰って来るまでに絶対に見つけたい!」と少女は首をぶんぶんと横に降った。
「おにいちゃんが帰ってきたら、たくさん怒るんだから!」
娘の言葉を聞き、父と母は顔を見合わせて、ため息をついた。
「じゃあ、お兄ちゃんが帰って来るまでに、みんなで見つけちゃおっか」
うん、と元気よく少女は頷いた。
自分たちの娘が、家の中の危ない場所を探さないよう、両親は少女に付き添う。
一階のリビング。
浴室。
両親のベッドルーム。
果てはトイレの棚。
父親はバツの悪そうに「一階にはなさそうだ。多分、二階のどこかの部屋に隠したんじゃないかな」と告げた。
「じゃあ、残るのは……」と少女はそう言い、顔を上げる。
少女の目線の先には、兄の部屋があった。
兄の部屋のドアを前にして、少女はあからさまにそわそわし始める。
父親がそっとドアを開けると、少女は兄の部屋に駆け込んだ。
兄の部屋は電気が付かなかった。
カチカチと部屋の電気のスイッチを何回か押して、女の子は「あれ?」と母親の方を向いた。
「電球が切れちゃったみたいね」
「そうだな。お兄ちゃんが帰って来るまでに、新しい電球に変えとくよ」
カーテンは、しっかりと閉まっていた。
部屋は闇に覆われている。
暗いから、パズルのピースを探すのは難しいそうだね。
両親が自分の娘に諭すようにそう言ったとき、彼女は元気よく「かけらを見つけたよ!」と声を出した。
「すごいじゃない。どこにあったのかしら?」
「おにいちゃんのベッドの上に転がってた! ちょうどベッドの真ん中!」
少女は得意げにベッドを指さして見せる。
廊下のオレンジ色の電気の光がドアから差し込み、ベッドをすうっと照らしていた。
「すごいわね。パパとママは分からなかったわ」
父と母は口角を無理やり吊り上げて、自分の娘を誉めた。
少女は「うん」と笑顔になった。
「それじゃあ、今日は、そろそろ寝ましょうか」
母親が娘の手を引くと、娘は「えー」と顔をしかめた。
「おにいちゃんに見つけたって言いたいのに」
「そうね。でも、今日はお兄ちゃん、お友達の家に泊まりに行っているの。だから、明日、自慢しましょう」
母親は笑って、寝室まで娘の腕を優しく引く。父親は先回りして、寝室の布団を整えていた。
「じゃあ、明日、お兄ちゃんにいっぱい自慢しましょう」
娘に布団をかけてから、両親は電気を消して「おやすみ」と微笑んだ。
娘には決して悟られないように、必死に表情の筋肉に力を入れて。
「うん、おやすみなさい。パパ、ママ」
娘が枕に顔をうずめたのを確認してから、二人は静かに寝室の扉を閉める。
かちゃり。
静かにドアが閉まった時、母親は床に勢いよくしゃがみこんだ。
「こんな場所で泣いてはだめだ。一階まで降りよう」
夫は妻の肩を優しく抱きながら、ゆっくりと階段を降りる。
歩きながら、妻はカチカチと顎を鳴らし、目から流れる涙と共に嗚咽してしまう。
「ごめんなさい……。あの子に聞かれちゃうわね……。ごめんなさい」
小刻みに震える妻の肩を抱きながら「仕方ないよ」と夫は唇を噛み締める。
息子が不幸な交通事故で命を落としたのは半年前だった。
事故の直後、娘は「死」というものがよく分かっていないようで、ただ茫然としていた。
息子の葬式が終わり、日常の生活が戻り始めた時、娘には大きな変化が訪れてしまった。
その少女は、兄の存在そのものを忘れてしまったのだ。
兄がいたことも、一緒に生活していたことも、兄と一緒にたくさん遊んだ思い出も、全て彼女の頭の中から消えてしまった。
兄に関するすべての記憶を消し去ってしまった自分たちの娘に、二人はどう接すればよいのか分からなかった。
母親は毎日声が枯れるまで泣き続け、父親も外に出るのが難しくなるほどまでに叩きのめされた。
お互いの感情が少しだけ整理できた日、両親は向かい合って座り、話し合いをした。
息子と娘は仲が良かった。
だから、どれほど辛くても、娘には兄の存在を思い出してほしい。
けれども、兄に関する記憶を消すことで彼女が日常生活を送れているのならば、最愛の兄の死をもう一度告げることは、この世の中で一番残酷な行為なのではないか。
両親は話し合った。
何時間も、何日もかけて。
息子の死、そして、息子の存在を否定してしまった娘と送る日常生活。
それが不幸か、それとも幸せか。
二人は答えを導き出すことが出来なかった。
そんなある日、一階の部屋から娘が呼ぶ声が聞こえてきた。
ちょうど、娘の兄が完成させた海のパズルの前に立っていた時に。
だからだったのかもしれない。
母親は、無意識にパズルの真ん中の正方形のピースを一つだけ手に取った。
右手の中に握りしめられたピースをどうするつもりだったのかは、今になっては当の本人にも分からない。
母親は呼び続ける娘のために、階段を駆け下りていった。
そして、一つの、だが重大な変化が娘に訪れた。
寝室に向かう途中で、娘がパズルの前で立ち止まったのだ。
彼女は、こくんと首を傾げて、母親に向き直った。
「絵の真ん中のピースがどっか行っちゃった。隠したの、おにいちゃんかな?」
数ヶ月という長い時間の果てに、娘の口から出た「おにいちゃん」という言葉。
母親は思わず娘を抱きしめた。
けれど、母には分かっていた。
娘は「兄がまだ生きている」と信じて疑っていないことを。
娘は無邪気に「おにいちゃん探そう」と笑った。
「どうしたらいいの? このピース。しかも、あの子はお兄ちゃんが生きているって信じてる」
「今はあの子に合わせて行動しよう。今日はそれでなんとか乗り切って、その次のことは病院の先生とも相談して考えよう」
夫は妻がパズルのピースを抜き取った理由も聞かず、責めることもしなかった。
二人は咄嗟にパズルのピースを兄のベッドの上に置いて、家族三人の楽しい「宝さがし」が始まった。
娘は「宝さがし」をしている間だけ兄の存在を思い出すことができた。
しかし、兄が命を落としたことは、どうしても思い出せなかった。
「宝さがし」が終わったとき、いつか、兄の身に起きたことについて、娘に全てを話そう。
そう決めた夫婦は「これ以上、宝さがしをさせてはいけない」という医師の言葉を無視し、娘と何度も「宝さがし」を続けることに決めた。
だが、何回、何十回と宝探しの回数を重ねても、結局、娘の前では「兄の死」について語ることは出来なかった。
「私はどうすればよかったの」
ある日の宝さがしが終わった後に母親は呟いた。
魂がこもっていない、骸骨のように今にも折れてしまいそうな脆い声。
「これからもこんなことを続けるの? どうしてこんなことになってしまったの?」
泣きながら震える妻にかける言葉を、夫は見つけることが出来なかった。
「大切なあの子を思い出してほしいと願ってしまったから? そう思ってしまったことそのものが悪い事だったの?」
なぜ、あの日、私はピースなんて手に取ってしまったのだろう?
兄のことを思い出したあの日、私たちは真実を告げるべきだったのだろうか?
私たちはこんなにも重い「罰」を受けなければならないほど、悪いことをしてしまったのだろうか?
母親は泣いた。
父親も涙を流した。
どんなに泣き続けても、二人の感情は永遠に収まることがない。
真っ暗な息子の部屋から抜け出せない。
二人は泣いた。
泣き続けた。
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