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第十話 原因

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 約五十分後。小説を読み終えた俺は、最初にそう漏らした。
 認めるしかない完成度。俺より遥かに格上な文章力に、緻密かつ繊細な人間関係。
 ダメだ、勝てねぇ。……いや、これどう考えてもラノベじゃねえけど。

「どう、だった?」

 少し不安そうに聞いてくる花音。

「とんでもなかった。お前かなりマジで天才だな」

 笑みをたたえながらそう褒めるも、自分の中で嫉妬の炎が燃え上がるのを感じ、素直に賞賛し切ることができない。
 これは……なんというか、まずい。俺の心を的確に折ってくる。積み上げてきた経験や、頭からひねり出したアイディアを簡単に上回られたという事実は、予想よりも遥かに厳しかった。

「そ、そう……かな……?」

 人のことを素直に祝うことができない自分を責めていると、花音は嬉しそうにはにかんでそう言った。
 ……ああ、こんなんじゃダメだな。しっかりしないと。

「おう、設定にキャラに文章、どこを取っても一流だ。たぶん」

 笑顔を作り、サムズアップして告げる。

 花音の小説『そして私はわたしになる』は、記憶喪失になった少女が主人公のヒューマンドラマ。
 主人公は暖かい家族や友人たちに囲まれ、少しずつ記憶を取り戻していくのだが、ある時記憶が全て戻ったら今の自分の人格はなくなると気がついてしまう。記憶を取り戻して皆に喜んでほしいが、自分のままでずっといたいという、少女の切ない思いが胸に刺さる。

「たしかにこれは、通るよなぁ。なんでよりにもよってFM大賞に応募したんだ感は超あるけど」

 苦笑いでそう言った。
 軽いと言うと語弊があるが、比較的テンションが高めの作品が多いあの文庫にこれ送りつけるとか、もはや喧嘩売ってるんじゃないだろうか。
 だってあれだぞ? 十代の読者が心から楽しめる、フレッシュでオリジナリティ溢れる小説を募集してんだぞ? 絶対これ違うぞ?

「……でも、そんな私の作品は通って、文庫に合わせたはずの凱にぃは落ちた」
「あふっ!?」

 このまま花音を褒める流れかと思いきや、流れ弾がこちらに飛んできた。……いや、流れ弾というか、変則ブーメランというか、薮蛇というか、みたいな感じだが。
 胸を撃ち抜かれて崩れ落ちていると、花音は冷たい表情で更に告げる。

「凱にぃ、絶対面白くするって言ったのに」
「申し訳ございませんでしたぁああああああ!!」

 崩れ落ちた体勢から、更に身を地に近づけて、頭を床に擦り付けた。
 土下座をして謝りながら思う。
 ――なんで落ちたんだろう、と。
 いや、言っちゃなんだけど、流れ的にも絶対もっと行ける流れだったと思うんだよな。それこそ大賞をとるとか、そこまでいかずとも最終選考までは残るみたいな。
 だってもう、「勝ったッ! ワナビ生活完ッ!」って感じだったじゃん。あそこで落ちるとは思わないじゃん。あのセリフ敗北フラグだけど。

「……まぁ、いい」

 これから俺はどんな酷い目にあうのかと怯えていると、花音はため息をついた後にこう言った。

「凱にぃ、小説読ませて」
「……え?」

 今土下座の体勢だし、もしかしたら頭をJKの生足で踏んでもらえるのだろうか、などと半ば変態じみた現実逃避していた俺は、予想外の言葉に思わず顔を上げた。
 すると、その先には少し恥ずかしそうな花音の顔が。

「……面白いかどうかは、私が判断するから」
「花音……」

 ……ありがとう。
 妹のように思っている相手からの優しさに、涙が出そうになる。
 俺は立ち上がって、パソコンを弄り、小説に画面を開いた。

「それじゃあ、読んでくれ」
「うん」

 花音はパソコンの前の椅子に座って、表示されている文字を追い始めた。
 俺はドキドキしながらそれを見守る。


「……ふぅ」

 ――そして一時間後。
 終始無表情かつ無言のまま、花音は小説を読み終わった。
 ……あ、ダメかなこれ。うん、ダメっぽいわ。終わったわ。

「えっと、その、どうだった?」

 もしかしたらの可能性に賭けてそう質問してみると、花音は呆れたような目で俺を見る。

「凱にぃ、これ本気で応募したの?」
「えっ? ああ、そりゃそうだけど」
「……馬鹿なの?」
「ふぁっ!?」

 ストレートな罵倒。
 そ、そこまで酷かったですかね……? いや、まあ、なんとなく察してはいたけど、そこまで言われるほど!?

「まず、凱にぃ。プロローグの部分でヒロインに婚姻届を勝手に出されるのはいい。印鑑とか身分証明書をヒロインに盗まれてたのもまだいい。……でも、本人確認通知まで握りつぶすのは、どうなの?」

 最初の部分からダメ出しをされる。……まずっていうことは、この後にもあるってことだよな?

「インパクトがあっていいと思ったんだけど……」
「ヒロインのやばさしか伝わってこない。っていうか、完全に犯罪者」

 弁解も切って捨てられる。いや、花音さんや。あなたも不法侵入してたと思うんですが。

「ま、まあ、愛が強いっていうのは可愛くていいじゃ……」
「少なくとも女性からは嫌悪される」
「……はい、すみませんでした」

 そうか。そうなんだ。知らなかった。
 っていうか、今更ながらに気がついたけど、審査員Bが男だとは限らないのか。ずっと人のこと考えないおっさんだと思ってたが、二十前半の美人って可能性もあるんだよな。そう考えると、殺意も収まってくる。

「次。ヒロインの名字が唐突に自分と同じものになっていて、何かあると気がついた主人公。なんで理由を聞いたらあっさり納得してるの? いとこが勝手に自分との婚姻届を出してたら、普通恐怖と驚愕と憤怒が湧き出るはず」
「えー、でも、可愛い従妹と結婚したってわかったら嬉しくなって、そんなことどうでもよくならね?」
「ならない。狂気しか感じない」

 そっかぁ。ならないかぁ。自分でも結構自信があったところなんだけどな。掴みは抜群だと思ってたのだが。

「でも、花音に同じことやられたら嬉しいぞ?」
「っ!? …………っ! ……。…………? …………  これ喜んでいいの? それとも怖がるべき?

 俺の言葉を聞いた瞬間、びくっと反応したかと思いきや、思いっきり困惑した表情に変わっていく花音。

「いや、まあ、そうなったら流石に色々とまずいから取り消しのために役所に行くけど」
「……そ、そう」
「ま、そもそもありえない前提なんだから考えるだけ無駄だし、どうでもいいんだけどな」

 花音が俺と結婚とか、天地がどうひっくり返ってもないよな。花音が過剰に反応していたのって、そんな妄想するな気持ち悪いってことだろうし。

「……それで、次。正直、相当意味はわからないけど、ここまではまだ許せる。だけど、ここからは本当に擁護できない」

 気を取り直す、といった風に小説の批判を続ける花音。
 あの、もうそろそろやめない? 俺マジで泣くかもよ?

「第二章で急にログアウト不可のデスゲームなVRMMOが始まったのなんで? ラブコメじゃなかったのこれ?」
「い、いや、書いてるうちに思いついちゃってさ。でも、おかげで面白くなって――」
「ない」
「……はい」

 かのんのそくとう。かいとはしんだ。
 いや、シリアスはどうかとは自分でも思ったけど、普通にハーレムラブコメにしても面白くないなと考えたのだ。
 え、でも面白そうじゃない? タイトルからして頭の軽そうなラブコメなのに、急にデスゲームとか。……あ、意味不明ですよね、すいません。

「それで、ゲームの結婚システムとかを駆使して、なんとかしてクリア。めでたしめでたしかと思ったら……」

 一度言葉を切る花音。不穏だ。そんなにまずいことをしただろうか。
 恐怖に震えて次の言葉を待つ。

「実はVRMMOをプレイしていたのではなく、本物の異世界に集団転移していて、クリアしても日本に帰って来れなかった。主人公とヒロインはクリアまでに培った力を活かし、異世界を生き抜いていく俺TUEEEEが始まる。――は?」

 凍えそうな絶対零度の視線で俺を見つめてくる。

「流行の異世界転移を取り入れてみたんだけど……」
「 だ か ら 、 ラ ブ コ メ ど こ 行 っ た ? 」
「ごめんなさい」

 威圧感あふれる言葉に一切の抵抗はできず、再び土下座を敢行。腕を組んでラスボスのようなオーラを放つ花音は続ける。

「……というか、今の時代異世界転移はもう古い」
「え、マジで!?」

 そ、そうだったのか。アニメで結構あるし、人気なのかと思っていたのだが、もう流行りは去ってたのか。脳内情報を更新しておかないと。

「そして? 異世界生活を堪能していたものの、あるとき油断によって主人公は命を落としてしまう。そのあと、主人公は目を覚ますと、ヒロインが婚姻届を提出した日に戻っていた。……夢オチとか、なめてるの?」

 やばい、反論できない。それ以外に現実に戻す方法が思いつかなかったのだ。
 決死の覚悟でその道を選んだことは評価してもらいたい。

「エピローグ。現実では握りつぶされなかったのか、結婚の本人確認通知が届く。主人公は『ああ、もしかしてあれは正夢のようなものだったのか』と考えたが、よく見てみると書いてある名前がヒロインではなく、今まで登場してなかったもう一人の従妹だった。そして、後ろに気配を感じて振り返ってみると、そのもう一人の従妹が立っており、『これからよろしくね、お兄ちゃん。……ううん、あ・な・た』……え? これで終わり? 馬鹿?」
「最後に新ヒロインが登場し、タイトルも回収できる、自分的には最高のエピローグなんだけど」
「……元からのヒロインどうなったっていうのもあるし、そもそも続きを想定した構成はしちゃいけないはず」
「……あ、忘れてた」

 そ、そうだ。続きが気になる終わり方はアウトなんだった。
 最初から、一次選考通過は不可能だったということか。
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