九龍懐古

カロン

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枯樹生華

味方と豉油雞

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枯樹生華9





イツキ!」

相変わらずの紅花ホンファの声が九龍灣に響く。
イツキへ駆け寄り、タックルのような勢いで抱きつくとそのままなかなか離れない。

暖かな風が流れ、太陽を反射する水面を突き抜けて魚が跳ねる。チチチッ、という鳥の鳴き声が草木の影から聞こえた。啟德機場カイタックくうこうへと向かう飛行機雲が、ひとすじ空に走り─────

…ん?長いな?不思議に思ったイツキ紅花ホンファの髪へ梳かすように触れつつ、訊ねた。

「どうしたの?」
「…紅花ホンファ、しばらくイツキに会えないかも」
「なんで?」
伯父おじさんがね、もっとお勉強しなさいって。お家で家庭教師の先生つけるって」


そうきたか。


イツキと繋がりを得る見通しが立った今、紅花ホンファの役目は一旦終了。むしろ引っ込めておいたほうが、息災そくさいか気にしたイツキ伯父おじの懐に入ってくる可能性が高い。
今後アンバーの情報はイツキから聞き出せばいいので、伯父おじ紅花ホンファという手駒を下げたのだ。

シュンとしている紅花ホンファの頭をポンポンと撫で、イツキは出来るだけ柔らかな声音になるように努めて言葉を発する。

伯父おじさん俺には会うって言ってた?」
「うん、今週末に九龍灣で会いましょって」

今週末か。もう目と鼻の先だ、飛び付いてきたな。けれどこちらの準備も間に合うはず。
紅花ホンファがその場に居合わせないというのは逆に都合がいいのかも知れない。なごやかに話がまとまるとは全く思えないからだ。

もしかしたら…会えるのは今日で最後かも。そう考えイツキ紅花ホンファの気が済むまで抱きつかせておくことにする。
イツキ自身、寂しく感じているふしもあった。短い付き合いで年齢差もあるとはいえ、2人の間には確実に友情が芽生えていた。

カムラ、辛かっただろうな。
数ヶ月前の話を思い出す。只の別れでさえこれだけ喪失感があるのに、カムラの場合は…。
場所は奇しくも同じ九龍灣。イツキは海の向こうに消えたというカムラの友人に少し思いを馳せた。


それからその日は九龍灣を出て、2人で紅花ホンファの好きなことを沢山した。
街中に立ち並ぶ建造物の屋上に登ったり、お馴染みの鶏蛋仔ワッフルを食べたり、【東風】にも顔を出したり。紅花ホンファが行きたがった場所に全て行き、食べたがった物を食べ、散々九龍を見て回った。
なんとマオが【宵城】の自室に入れてくれるというサプライズも。

「キラキラして綺麗なお店ね!お城みたい!」

花街の綺羅びやかな雰囲気と【宵城】の豪華絢爛な佇まいに瞳を輝かせる紅花ホンファ

「そりゃどーも、ありがとな。遊びに来たのは伯父おじサンには内緒にしとけよ」

マオはシーッと口元に指を当てて、約束守れる子にはこれやるぜとかなり高級なホテルのチョコレートを紅花ホンファに渡す。ジュエリーケースを模した箱に入った宝石のようなチョコを、紅花ホンファは大切そうに受け取った。

わざわざ用意してくれたのか。こういう所だよな、結局マオは優しい。
そうイツキが考えていたのが表情から読み取れたのか、何だよやめろそのツラマオは眉間にシワをよせた。


そしてあっという間に陽は傾き、イツキは夕暮れの九龍灣へと紅花ホンファを送る。
繋いだ手を離すのをためらう紅花ホンファ。その小さな手を離すのを、イツキもまた名残り惜しく思った。

別れ際、イツキは膝を折り紅花ホンファの前にかがみ込む。

紅花ホンファ、もし…」

なんと言ったらいいのだろうか。気の利いた台詞は浮かんでこない。

「もし…紅花ホンファが俺のこと嫌いになったとしても、俺はずっと紅花ホンファの味方だから」

ちょっと鬱陶しかったかな。嫌いな奴に味方されても良い気分はしないか。
しかも圧倒的な説明不足。だが伯父おじが裏で行っていることや【黑龍】及びアンバーとの問題を赤裸々に伝えるわけにもいかない。

「なにそれ?紅花ホンファイツキのこと嫌いにならないよ?」

案の定不思議そうな表情をする紅花ホンファイツキは頷いて、ありがとうとだけ言った。




宵闇に沈む九龍を歩き【東風】へ戻ったイツキを、アズマ燈瑩トウエイが出迎える。
今夜もアズマは夕飯を作っており、メニューは豉油雞しょうゆチキン。香港の街角でよく見かける照焼きチキンのような物で、アズマは今回チャーシュー屋さながら丸鶏を1匹買ってきてそのまま調理したらしい。

「なんでアズマこんな張り切ってんの」
「気ぃ遣ってるんじゃない?紅花ホンファちゃんの件もあるから」

テーブルについて料理を待つイツキの疑問に、横に座る燈瑩トウエイが笑いながら答える。

そうか、とイツキは納得した。
先日【黑龍】でのアズマのエピソードを知ってから、今まで不可解だった過保護な言動の真意が理解できるようになっていた。アズマが気を遣っている、というのもストンと胸に落ちる。

「どう?けっこう上手く焼けてない?」
「うん、美味しそう。ありがとアズマ

それに伴いイツキアズマへの塩対応もいくらか緩和されており、食卓に鶏を運んでくるアズマの目を見て礼を言うイツキアズマは非常に嬉しそうだ。

3人で夕飯を食べつつ伯父おじの動向について話す。今週末九龍灣に来ること、紅花ホンファは来ないこと、その理由、伯父おじの魂胆の予想。

伯父おじが大人しく九龍から手を引き、今後紅花ホンファを仕事のダシに使うことも暴力を振るうことも無くなればいいが、そんな奇跡は起こらないだろう。
やはりきっと、伯父を片付ける・・・・方向になる。ハッキリと言わないが皆わかっていた。

「とにかく、手は回しておいたから。イツキは好きにやっていいよ」

色々と策を講じたらしい燈瑩トウエイが言う。厚意に甘えてそうさせてもらうとしよう、イツキは丸鶏をかじりながら首を縦に振った。

それから当日の流れと各々の動きを軽く打ち合わせし、夕食を終え解散した。
解散とは言ったが帰ったのは燈瑩トウエイだけで、イツキは例のごとく【東風】に泊まることにしたのだが。

早々に寝室へ引っ込んだアズマと共に、すっかり私物と化したベッドに寝転がるイツキ
と、ここでも鼻をくすぐるスパイス…もはや台所だけでなく【東風】全体が豉油雞しょうゆチキンの美味しい匂いになっていた。

作るの、時間かかっただろうな。茉莉香米ジャスミンライスも炊き込んでくれてたし。
イツキはそう思いねぎらいの視線でアズマを見たが、当人は隣でグーグーとイビキをたてはじめている。うるさいので何回か小突いて黙らせてからイツキも目を閉じた。



────週末がやってくる。
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