九龍懐古

往事渺茫

日常と閉幕

往事渺茫４





それから東アズマは辰トキと２人、村人達を火葬した。あまり骨が残らなかったので遺灰は森に蒔いた。
作物や動物、遺品は全て売り払って生活費に。残して行っても埋めて行っても誰かしらに奪われて同じ事をされるからだ。

暫しばらくは様々な賭場を荒らし回った。そして貯まった金で香港の中心部に移り住み、違法賭博は続けていたものの、勉学に励んだ。
辰トキは医者になる為。東アズマは薬師に─────なれなくても、正直東アズマとしては構わなかった。救いたかった村だってもう無い、日銭が稼げれば別になんだって良かった。画家だっていいんじゃないか？また絵でも描いてみたらどうだ？辰おまえが描いた絵ならいくらでも売り捌さばいてやる。
けれど辰トキはかつての夢を叶えようとひたむきだったので、東アズマもそれに倣ならっていた。そうすることで辰トキが前を向いてくれたから。

たった１人だけ残った、同胞。





「お互い医者でもいいんじゃないの？」

せせこましい部屋に申し訳程度に附属されたベランダで煙草を吸いながら東アズマが辰トキに言う。
香港での仮住まいはやたらと狭く小さかったが、慎ましやかに暮らすには充分な部屋だ。
ノートと参考書を広げて机に向かっている辰トキが鉛筆をクルクル回しつつ答える。

「東アズマは手癖が悪いから駄目」

手癖の悪さなど、そんなもの薬師になったって同じ事である。不満げな顔をする東アズマを辰トキはチラリと見た。

「っていうか、もう煙草５本目でしょ。今日はそれでおしまいだよ」
「えー？まだ４本目よ」
「嘘つき。さっき隠れて１本吸ってたの知ってる」
「うわぁ！めざとい！お医者サマ怖い！！」

ことあるごとにぶーぶー言う東アズマに、辰トキはいつも困ったような顔で笑う。あの出来事以来、長いこと笑顔を失ってしまった辰トキが笑う度に東アズマは安心した。その顔が見たくて困らせているフシもある。

そんな生活の中、辰トキは少しずつ痩せていった。東アズマは心配していたが、訊ねても疲れているだけだと答える。

心労からくるのだと考えていた。
フラッと流れ着いてさほど長居したわけではない東アズマと違い、辰トキがあの村で過ごした時間は人生の大半。元気そうに見せてはいるが、胸に負った傷は相当だ。
だけどいずれ…いつかは、癒えるはず。自分が手助けを出来るのかはわからないけれど。そう思い、東アズマは辰トキを見守っていた。


だがその見立ては甘かった。そもそも、辰トキが医者に固執していた時点でもっと深慮すべきだったのだ。
その時の自分の判断を、東アズマは後悔することになる。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





様子がおかしかった。



東アズマが家に帰り着き、すぐに感じた違和感。暗がりで辰トキが膝を抱えている。

床に散らばる薄茶けた粉末。そこで気が付いた。いや、むしろどうして今まで気が付かなかった？東アズマは辰トキの横に膝をつく。

「辰トキ…お前、阿片アヘンやってんのか」

内心の動揺を悟られないように、なるべく落ち着いた声で問う。顔を上げた辰トキの肩を東アズマは掴んだ。

「んなタチ悪ぃもんやめとけ」
「でも…僕、これが無いと…」

細い肩が震える。辰トキはガリガリと腕を掻き毟むしった。爪が肉をえぐって血が滲にじむ。

「だって、忘れられないんだ…あの日の事…みんなが死んじゃって…それで…」
「おい、やめろよ辰トキ」
「だって…だって、だって」

症状はかなり悪化していた。完全な依存症。

なんにも、忘れられてなんていなかった。当たり前だ。もう助けるべき村も無いのに何故医者を目指す？信念があるから？違う。

あの過去が、まだ、足を引くから。

「僕はお医者さんになるんだ…それでみんなを助けて、それで…いっぱい勉強したんだ、ずっと、いっぱい勉強してたから…」
「わかったって、辰トキ────」

東アズマの手を振り払い辰トキが怒鳴る。

「邪魔しないでよ！！僕はお医者様になるんだ！！その為には阿片アレが必要なんだ！！」
「ドラッグくすりなら俺が用意してやっから！！」

思わず東アズマも怒鳴った。辰トキの動きが止まり、見開いた目が──瞳孔が──東アズマを見詰める。

「……俺が、用意してやっから。阿片アヘンはもうやめろよ」

泣き出す辰トキの背中を擦さすりながら、東アズマは唇を噛む。

なんだそれ。
薬物ドラッグ用意してやってどうすんだよ。

けれど、やっぱり、次の言葉は何も思い付かなかった。結局自分だってひとつも変われていない…東アズマは噛んでいた唇をほどき自嘲気味に嗤わらう。

あの夜と同じように冷たい風が、暗闇に沈む部屋を抜けた。







それからは、今まで以上に薬の研究に明け暮れた。薬というよりドラッグだったが。副作用があまり無くて、身体への悪影響も低くて、依存度も高くない薬剤。

そんなもんあるわけねぇ。

もっと早く気付けていれば大麻あたりの効能でもどうにかなったかも知れない。だが既に手遅れだ。

オリジナル配合。朝から夜まで、夜中だって、寝る間も惜しんで研究を重ねた。
バカみたい。薬師になって人を救うったって────こんなやり方あるかよ。

けれどそれ以外なかった。東アズマの目を盗んで阿片アヘンを入手しようとする辰トキを止める術すべがなく、東アズマがこしらえたモノを与えるのが現状で最善の方法だった。

本当に普通の日常。起きて、勉強をして、たまに良くないバイトもして、買い物に行って、飯を作って、寝て。辰トキだって本当に普通にしていた。阿片アヘンの事を除けば。何もかもが平和で、順調で、このまま上手くいくんだろうと錯覚さえ起こすような毎日。

その日も辰トキに薬を渡したあと東アズマはバイトに向かった。研究の副産物のドラッグが界隈でよく売れるので、懐ふところはいくらでも潤う。
家を出る前、机で医学書を読みふける辰トキに声をかける東アズマ。

「ちょっと出掛けてくるから。ちゃんと家で待ってろよ」

いつもは軽く手をあげて見送るだけの辰トキが、めずらしく振り返った。笑って名前を呼ぶ。

「東アズマ」
「ん？」
「ありがとう」

唐突に礼を述べられ、返す言葉が浮かばなかった東アズマは普段辰トキがそうするように軽く手を上げた。そしてパタンと扉を閉める。





それが最後だった。