リーベンバウムの少女

渡瀬 藍兵

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20話:規格外の乱入

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  「コルン……」

   リネットの視界の端で、黄緑色の髪が震えていた。

   華奢な肩。今にも折れてしまいそうな細い背中。だが、その足は逃げるためではなく、踏みとどまるために地面を噛んでいる。  

  「リ、リネットさん! ぼ、僕も戦います!」

   裏返りそうな叫びだった。

   それでも、分厚い丸メガネの奥にある瞳は、しっかりと敵を見据えている。

  「……ふふ」

   胸の奥が熱くなり、リネットの唇が自然と弧を描く。

  「じゃあ、コルン! 私があなたを守りながら戦うから、援護お願いね! 頼りにしてるから!」

   わざと明るく、パチリと片目を閉じてみせる。

   その信頼の証に、コルンの長い耳がパッと赤く染まった。  

  「は、はい!」

  「くそ! お前ら、やるぞ!」

   リーダー格の男が怒鳴ると同時に、空気の湿度が変わる。

   四人のならず者が散開した。二人が正面のリネットへ、残る二人が側面からコルンを狙って回り込む。

  「させないよっ!!!」

   リネットは思考を切り替える。感情を排し、戦場の配置を「図形」として捉えた。

   銀閃一閃。

   正面の男が振り下ろした棍棒を剣の腹で受け流し、その反動を利用して横へ滑る。コルンへ肉薄しようとしていた男の進路へ、自らの体を割り込ませた。  

   ――守る。その意思が、剣の冴えを加速させる。

   だが、敵も多い。リネットが二人を引きつけている間に、もう一人がコルンの背後へ迫っていた。

   しかし。

  「――っ、く!」

   コルンは悲鳴を上げなかった。

   ぶかぶかのローブを翻し、身軽にバックステップを踏む。

   逃げ腰に見えて、それは計算された「間合い」の調整。  

  「か、雷よ!!」

   突き出された杖の先から、バチリと紫電が弾ける。

   狙ったのは敵の体ではない。その足元だ。

   地面を這った雷撃が、境界線のようにリネットと敵の間を焼き焦がす。

  「あばばばばば!!!」

   不用意に踏み込んだ男二人が、足元から登ってきた衝撃に踊り狂う。

   致死性はないが、筋肉を硬直させるには十分な出力。逃げ撃ちのスペシャリストらしい、嫌らしいほどに的確な足止めだった。  

  「コルン! ナイスだよ!」

   リネットは親指を立て、硬直した獲物へ振り返る。

   可憐なスカートがふわりと舞った。

   次の瞬間、深窓の令嬢のような見た目からは想像もつかない鋭い回し蹴りが、男の側頭部に吸い込まれる。  

  「ぐぁ!?」

  「がぁぁぁッ!!」

   一人は蹴りで吹き飛び、もう一人はその隙を突いた剣の柄打ちで沈む。

   ドサリ、と重い音が路地に響いた。

  「よし! あと二人!!」

   リネットは残る敵を見据え、汗ばんだ前髪を払う。

   背中には、頼もしい魔術師の気配がある。

  「くそ……!! この野郎!!」

   リーダー格の男が、獣のような咆哮と共に突っ込んでくる。

   恐怖を怒りで塗りつぶしたような、捨て身の突撃。

   リネットは引かなかった。真正面から踏み込み、切っ先を合わせる。

   ガギィィッ!

   鉄と鉄が噛み合い、耳障りな金属音が路地に反響した。

   鍔迫り合い。男の顔が目の前にある。荒い息遣いと、鼻をつく脂汗の臭い。

   腕力では相手が勝る。じりじりと刃が押し込まれ――だが、リネットの瞳は冷徹に「重心」を見極めていた。

  「せりゃあぁぁっ!」

   裂帛の気合い。

   リネットは剣を強引に押し返すのではなく、手首を返して力を「流した」。

   支えを失った男の体が、勢い余って前につんのめる。

  「ぐっ……!? この……!」

   その隙を、狩人が見逃すはずもない。

   たたらを踏む男の懐へ、リネットの体が滑り込む。

   可憐なスカートがふわりと舞った直後、そこから繰り出されたのは、洗練された連撃だった。  

   ドッ、パァン!

   つま先が顎を掠め、踵がこめかみを叩く。

   深窓の令嬢のような見た目からは想像もつかない、鞭のようにしなるハイキックの嵐。

   男の意識が揺らぐ。

  「……!」

   トドメだ。

   リネットは軸足を踏みしめ、半身を捻りながら跳ね上がるような膝蹴りを突き上げた。

   ゴッ、と鈍く重い音が響き、男の顎をカチ上げる。

   男の体が一度ふわりと浮き、仰向けに地面へと叩きつけられた。

   勝負あり。そう思ったリネットが、呼吸を整えようとした、その時だ。

  「はぁ……はぁ……!! くそ!!!」

   地面を掴む指先に力が籠もる。

   焦点の合わない目をぎらつかせ、男がふらりと立ち上がった。

  「まだ立ち上がるの!?」

   リネットは驚愕に目を見開く。

   今の膝蹴りは急所を捉えていたはずだ。痛みやダメージを超えた、異常な執念。あるいは、引くに引けない狂気か。

   警戒を強め、再び剣を構え直そうとした瞬間――。

   世界の色が変わった。

  「光に呑まれよ」

   空から降ってきたのは、絶対的な「宣告」だった。

   男の声でも女の声でもない。ただ威厳だけが凝縮されたその声が響いた瞬間、頭上の太陽すら霞むほどの輝きが、路地裏を白く染め上げた。  

     「なっ──」

 言葉が喉で裂けた瞬間だった。

 目の前にいた男の輪郭が、ふっと、紙みたいに軽く崩れた。火が燃え広がる“過程”すらない。ただ一息、白い閃光に撫でられたと思った次には、そこにあったはずの体積が、灰と熱だけを残して消えている。

 熱風が頬を叩き、鼻の奥に焼けた臭いが刺さった。口の中が乾く。灰が舌にざらりと乗って、咳が出そうになるのをリネットは噛み殺した。

 次いで——空が鳴った。

 上から降ってきたのは雨ではない。鋭く、細く、硬い光。
 矢の形をした白い輝きが、空気を裂いて降り注ぐたび、地面がぱちん、と弾ける。

 石畳が白く灼け、眩しさが視界を噛み潰した。
 耳の奥で高い音が増幅していく。

 熱と光で世界が薄くなる。

    「な、な、なんですかこれぇぇ!」

 コルンの声が裏返る。息が詰まったような、逃げ場を探して跳ねる声。リネットは返事をする暇もなく、肩から腕にかけて力を通した。

    「くっ…! コルン、伏せて!!」

 名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど短い。叫べば光を飲み込みそうだった。だから噛み切るように呼んで、そのままコルンの体を抱き上げる。

 細い指がリネットの服を掴み、布がきゅっと引き攣れた。

 一歩。二歩。

 降ってくる光の矢は、狙っているのか偶然なのか、判断する余裕すら与えない。足元のすぐ脇が焼け、白い火花が跳ねる。熱が膝裏を舐め、髪がふわりと浮いた。

 影が追いかけてくる。間に合わない——その予感が背骨を冷たくする。

 リネットは躊躇なく、低く身を落とした。

 コルンを押し倒すように庇い、覆いかぶさる。肩を丸め、背を盾にして、二人の体を小さく畳む。頬に石畳の冷たさが触れた瞬間、さっきまでの熱が嘘みたいに感じられた。

「リ、リネットさん…!」

 コルンの声がすぐ耳元で震える。リネットは返事の代わりに、腕の中の小さな背中をぎゅっと押さえた。

 光が降るたび、背中側で熱が跳ねる。ぱちぱちと乾いた音。焦げた匂い。肌の上を風が撫でるたび、薄い産毛が逆立つ。視界の端で白い閃きが暴れて、瞼の裏まで明るい。

 ——いつまで続く?

 数えることさえできない瞬間の重なりのあと、ふっと、音がほどけた。

 矢の雨が止む。白い眩しさが薄れ、耳鳴りだけが遅れて残る。空気が熱を抱えたまま揺らめいていて、灰が細い雪みたいに舞っていた。

 リネットはゆっくりと顔を上げる。喉がからからで、唾を飲み込むだけでも痛い。目を細めて、焼けた空気の向こう——空を見上げた。

 そこに、いた。

 黒いローブを被った男が、まるで椅子に腰掛けるみたいに宙に座っている。足を組んだ姿勢。風に揺れるはずの布が、不自然なくらい静かに垂れていた。

 
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