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1巻
1-3
ノアはユウナをひたりと見つめる。
その心の中を見通すような眼差しに、ユウナは目を背けたくなった。
「クエンティン商会のジュードの噂は俺でも知っている。問題大ありな馬鹿息子だと。そんなジュードと婚約したのには納得した。お互いに約束をして証文を交わしたなら守らなければならない。商人は信用が第一だからね。けれど、どうして今も婚約しているんだい?」
ひやりとしたものがユウナの背を駆け抜け、思わず口元が引き攣る。
「どうしてとは?」
「こんな不良物件、婚約したらとっとと破棄してしまえばよかっただろう? それなのにユウナはいまだに馬鹿の婚約者でいる。どうしてだい?」
言葉遣いは優しげなのに、声色からノアが怒っているのを察する。
「えーと……」
父親に続き、今度尋問されるのはユウナだった。
先程までの父親の気持ちがよく分かる。ノアは絶対に敵に回してはいけない相手だ。
その圧倒するような空気はまるで貴族のよう。自分より遥かに、貴族社会で生きていくのにふさわしいのはノアであるとユウナは感じていた。ノア自身が辞退したので仕方がないが、貴族社会でも上手に立ち回れるに違いないのにもったいない。
「ユウナ?」
にこりと微笑むその目はまったく笑っていない。
これ以上口をつぐむのは得策ではないと、ユウナは観念した。
「兄様は隣国でも商売できるよう、人脈を作るために留学しているわけでしょう?」
「そうだね」
ユウナの家の商会は、国内では最大規模を誇るが、隣国にはほとんどコネを持っていない。
ノアはそんな隣国でも店を出せるよう販路拡大のため動いていた。
「クエンティン商会は隣国でいくつものコネがあるから、ジュードと婚約していれば商会の役に立つんじゃないかなって思って……」
その瞬間、ノアから冷気が発せられた。
「ユウナ、それは兄様を信じていないってことかい?」
「ち、違う。そうじゃない!」
余計に怒らせた! と、ユウナは心の中で悲鳴をあげながら慌てて否定する。
「けれど、そうだろう? 俺の力が信用できないから、ユウナは自分を売ってまでコネを作ろうとしたわけだ」
「うう……」
別に自分の身を犠牲にしようと思ったことは一度もないが、ノアにそう受け取られても仕方ないので、下手に反論できない。
「兄様は悲しいよ。最愛の妹に信用されてないなんて」
ノアは大袈裟に手で顔を覆って上を向いた。
「ご、ごめんなさい。でも、私も商会の娘だし、政略結婚は想定内だったから、ちょっとでも兄様に有利になるようにしたかったのよ。だって私が伯爵を継ぐことになったとしても、政略結婚になるだろうし。それなら家に少しでも益になる方がいいかと思って」
しゅんとするユウナに。ノアは深いため息を吐いた。
「馬鹿なことをしたね」
「それは反省してる。……まあ、婚約は今日、限界を突破したから破棄するつもりだったんだけど」
「なにがあったんだい?」
ユウナは、今日だけでなく、これまであったことをノアに詳細に説明した。
ユウナから話を聞き終えたノアの顔がいっそう笑顔になる。
これはノアがブチ切れているサインだ。
ユウナは心の中でジュードに合掌した。
「あのクズがっ」
吐き捨てるようなそれは、如実にノアの怒りを表している。
「話には聞いていたが、予想以上だったね。うちのクソ親父と同じぐらいクズだな。けれど、そのアリアという子もいい性格をしているようだね」
それはユウナも思った。
「仮にも令嬢が愛人枠を狙うとは、男爵家はどんな教育をしているのやら」
ましてやジュードは平民だ。ユウナやノアのように母親が元貴族など、貴族の血を色濃く継いでいるわけでもなく、ジュードの先祖をさかのぼっても貴族だった者はいない。
伯爵になると思っていたとしても、プライドの高い一般的な令嬢なら、平民の愛人になろうなど考えもしないだろう。
ユウナは現在まで平民として暮らしつつ貴族の教育を受けているので、特に身分で差別するなどないが、貴族社会では血を重んじる家柄は少なくない。
「さすがに、それを聞いて私も愛想が尽き果てたっていうか……。関わると面倒くさいことになるなと思って、さっさと帰ってきました」
「賢明な判断だ。しかも、伯爵を継げると思っているところがアホすぎる。確かに平民の家だったら、婿に入ると大体は男が継ぐなんて前時代的な傾向はいまだにある。だが、貴族では血を重視しているから女性の相続が可能だ。実際に現国王も女性だというのに、どうしたら平民の婿が伯爵になれると思うんだ。貴族の知識が足りなさすぎる」
「自分の都合のいいように夢見てるんじゃない? ジュードのお父様も、私が伯爵を継ぐと思ってるみたいだから、そこからさらに勘違いしたジュードが伯爵を自分が継げると思ったのかも」
以前、女性が爵位を継ぐことはできなかった。
跡継ぎが女性しかいなかった場合は、他家から婿を取り、その婿が爵位を継いだのだ。
それもあって、ジュードはユウナと結婚すれば、自分が伯爵になれると思ったのかもしれない。
けれど、現女王の即位と同時にそれは撤廃され、女性でも爵位が継げるようになって久しい。
それはここ数年の話というわけではないので、ある程度の教育を受けていれば知っているはずだが、どうやらジュードやアリアは知らなかったようだ。
ジュードはまだしも、男爵令嬢であるアリアが知らないのは問題だろうに。
なにせ、男爵家はアリアしか子がいないので、継ぐならアリアのはずである。
だと言うのに、伯爵になったジュードの愛人を狙うなど、自分が男爵を継げることを知らないとしか思えない。
もしくは、男爵より伯爵の方が美味しいと思ったのか……
いや、恐らく前者だろうなと、ユウナはなんとなく思った。
なにせ、アリアは体が弱いという理由で教師の授業をサボっている様子だった。ジュードの話を聞くところによると、勉強になると体調を崩すらしい。
なんとも都合のいい体調である。
「とりあえず、婚約は破棄……いや、解消だ。いいね、ユウナ」
「うん。私の方から父様にお願いしようと思ってたところですし。けど、ジュード側が素直に受け入れてくれるかなぁ?」
伯爵の一員になれると思っている上に、商会との繋がり。
双方をジュードの父親が逃すのか。
さらに、ジュードの有責の場合、クエンティン商会は一等地の土地を手放すことになる。
絶対に阻止したいだろう。
その辺りをどうするのかとノアに問うと……
「少し、時間をくれるかな? 僕はそのアリアって子のことを知らないし、相手を知らないとどうしようもできないから」
「うん、分かりました……」
そう言った兄の笑顔が恐いと怯えてしまうユウナには頷くしかできなかった。
翌日学校に行くと、早速ジュードが突撃してきた。
「ユウナ!!」
あまりに大きな声に周囲の視線が集まる。
「なに? 大きな声出さないでよ」
もはやユウナがジュードを見る目は他人に対するものよりも無感情だった。
もう完全に見放したというのが、その眼差しから分かる。
ノアの帰宅ですっかり忘れていたが、ジュードとアリアを置いて先に帰ったのだったと思い出す。
きっとそのことで文句でも言うつもりなのか。
そう思っていたが、違う言葉の怒声が響く。
「俺が伯爵にならないってどういうことだよ!?」
ユウナは頭痛を覚えた。時と場所を考えろと言いたい。
ここは教室のど真ん中である。当然周囲には多くの生徒がいるのにまったく頭にないようだ。
きっとアリアから聞いて、その勢いでやってきたのだろう。
その考えのなさは本当に愚かでしかなかった。
「どうもこうも、その通りだけど?」
「だからなんでだよ!」
なんでなんでと聞かずに自分で調べろよ、と心の中で悪態を吐きつつ、ユウナは親切に教えてやる。
「昨日アリアさんにも説明したけど、私がジュードと結婚すれば、伯爵は弟が継ぐことになるわ」
「おかしいだろ! ユウナは伯爵にかわいがられてるんだろう? それなのに」
「おかしくないわよ。確かに祖父母にはかわいがってもらってるし、伯爵を継ぐための教育も行われているわ」
「だったらっ」
「けど、私は庶民の育ちだから、伯爵を継ぐにはきちんと貴族の教育を受けた貴族の旦那様をもらうのが絶対条件よ。平民であるジュードと結婚したら、その時点で私は跡継ぎから外されるわ」
「そんな……」
ジュードはひどくショックを受けている。
「それと、ジュードはなにか勘違いしてるようだから付け加えさせてもらうけど、功績を挙げていない、貴族の血も引いていない、そんな平民が貴族の当主になんてなれるわけないじゃない。私がなれるのは母が伯爵の一人娘で、他に継ぐ者がいないからよ」
ずっと、自分が伯爵になれるとでも思っていたのだろう。もしかしたら、周囲にもそう言い回っていたのかもしれない。なにせ、先程からジュードの友人達が恐い顔でヒソヒソとしているからだ。
ここははっきりと周知しておく必要がある。
「ジュードが伯爵なんて生まれ変わらない限りありえないわ。まさかと思うけど、自分は伯爵になるなんて言い回ったりしてないでしょうね?」
ジュードがびくりと体を震わせる。
「もしそうだとしたらすぐに訂正しておいてね。伯爵家の名に傷が付くから」
まあ、ジュード自ら訂正せずとも、周囲に生徒が大勢見守る中で、大声で説明すれば今日にでも周知されるだろう。恥をかくのは無知だったジュードだけである。
「おい、ジュード、どういうことだよ?」
ジュードの友人の一人が詰め寄ると、「うるさい!」と逆ギレして教室から出ていった。
きっと居たたまれなくなったのだろう。
少し溜飲が下がったユウナであった。
その後はジュードから遠目に睨まれるという精神攻撃を受けつつも、なにかを言ってくるでもないので放置してその日の授業は終わった。
帰ると、ノアが笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、ユウナ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるノアに呆れてしまう。
なにせ、朝も同じことをしていたからだ。毎日これではユウナが結婚する時が来たらどうなるのか先が思いやられる。もちろん、相手はジュード以外が前提だ。
「ただいま、兄様」
「ユウナにいい報告があるんだよ。着替えて兄様の部屋においで」
「いい報告?」
恐らく婚約についての話だろうと思いつつ、いい報告とはなんだと首を捻る。
着替えてからノアの部屋に行くと、ユウナの祖父母である伯爵夫妻の姿もあった。
「おじい様とおばあ様も来ていたんですか?」
「ユウナの一大事と聞けば来ぬわけにはいかないからな」
「ノアが私達にも手伝ってほしいと言ってきたのよ」
どういうことかとノアを見ると、座るようにと促された。
使用人がユウナの前にお茶を置くと、静かに部屋を出ていった。
「さて、これからユウナの婚約を解消するための話をしたいと思います」
「やっとか」
伯爵である祖父は、やれやれという様子で呟いた。どうやら祖父にとってもこの婚約は不本意なものだったのだろう。
「最初にこれを」
そう言ってノアがテーブルの上に置いた何枚もの書類。
祖父はそれを手に取り、読み進めていくにつれて眉間のしわが濃くなっていく。
「兄様、それはなんですか?」
「あのクズ男と男爵令嬢の報告書だよ。簡単に言うと、あの二人は男爵の家ではたびたび会ってイチャついていたらしい。ユウナという婚約者がいながらね」
ノアの笑顔がなんとも恐い。本当はここでユウナこそ怒りを露わにしなければならないのだろうが、静かにキレているノアを見ていると、逆に怒りは吹き飛んだ。
「どうやって調べたんですか?」
イチャついていたとは言うが、それは男爵の家の中でのこと。その中のことなど外の者が分かるはずがない。ましてや貴族の屋敷ともなれば使用人も口が堅いだろうに。
「まあ、それは……ね。うん。ユウナのおかげと言ったらいいの……かな?」
珍しく歯切れの悪いノアに、ユウナは不思議がる。
「どういうことですか?」
「いや、この婚約解消について、協力者ができたとだけ言っておこう。ユウナは本当に変なのに好かれるね。兄様は心配で仕方がないよ。でも、諦めなさい。相手が悪すぎて兄様にもどうしようもないんだ」
憐れみの眼差しを向けられて、ユウナの頭の中は疑問でいっぱいだ。
「まったく分からないんですけど?」
「うん。分からない方がいいと思うよ。そのままのユウナでいておくれ」
そっとハンカチで目元を拭うノアに、ますます混乱する。いったいなにがあったのだ。
「まあ、話を戻して……。そこに書かれている報告書があれば、十分あちらの有責で婚約は破棄できると思うんですよ。けれど……」
「あちらは簡単には認めないか」
祖父の言葉にノアは頷く。
「なにせユウナのような優良物件をそう簡単に手放すはずがないですからね」
その言葉の中には若干兄の欲目が入っている気がするが、ユウナが優良物件なのは間違いない。
たとえユウナが伯爵を継がなかったとしても、伯爵家と縁故関係ができることに違いはなく、さらに国一番の商会とも縁づける。
そんなユウナとの婚約はなにがなんでもすがりつくだろう。
「そこで、お二人の出番です」
そう、ノアは祖父母に笑いかけた。
ユウナには悪魔の微笑みにしか見えなかったが、見た目だけは天使である。
それに気づいているだろうに、祖母は柔らかく微笑んだ。
「私達はなにをすればいいの?」
「簡単ですよ。社交界でジュードと男爵令嬢が恋仲であることをふれ回ってほしいんです」
「だが、そんなことをすれば、ユウナはいらぬ恥をさらすことにならないか?」
祖父は怪訝な表情で考え込む。婚約者に浮気された女という印象は、今後ユウナが伯爵を継ぐつもりなら避けたい醜聞だ。祖父の心配はもっともだった。
けれど、ノアはそれも織り込み済み。
「なので美談にするんですよ」
そう言ってノアはくっと口角を上げる。
「美談?」
祖父は疑問符を浮かべていたが、ユウナもまた同様だ。
その中で察しのいい祖母だけはなるほどという表情を浮かべており、ノアはユウナと祖父に説明を始める。
「ジュードには男爵令嬢という恋人がいる。家の契約での婚約者でしかないユウナも、それを応援していて婚約を解消しようとしているが、ジュードの父親がそれを認めない。このままでは恋人であるはずの二人は引き裂かれてしまう。ユウナはそれをなんとか阻止したいと奔走している。と」
「なるほど、貴族はそういう恋物語が好きだからな」
祖父は納得したようで、うんうんと頷いている。
「そして、貴族の中で二人への憐れみが大きくなったところで、おじい様は男爵に二人の仲を認めてやってほしいと頼んでください」
貴族も平民もそういう恋物語が好きではあるが、ユウナは待ったをかける。
「でも、兄様。アリアさんも男爵の一人娘です。家を継ぐなら結婚はやはり貴族、と男爵は考えていませんか?」
どうも貴族社会のことをよく知らない様子のアリアに当主になる力量はない。
そうなると、アリアには貴族社会に精通した相手が必要となるはずだとユウナは考えた。
「それなら大丈夫だよ。報告書によると男爵は娘に爵位を継がせるつもりはないらしい」
「そうなんですか?」
「ああ。体が弱いと言って勉強をしてこなかった娘に貴族を継ぐことは難しいだろうと、男爵は親族から養子を取る手続きを進めているところなんだ。娘の結婚相手を決めたら養子を迎えるらしい」
それならばアリアがとんちんかんな勘違いをしていたことも納得できる。
そもそも爵位を継がせる気がなく、貴族の勉強をしていなかったのだ。
「だから、男爵としても娘に恋人がいるならそれを後押しするはず。クエンティン商会は男爵との取引がある。そんな男爵から婚約を解消して娘を娶るように頼まれれば、クズ男の父親も頷かざるをえないよ」
ふむふむとユウナは真剣に聞いていたところで、祖父が眉間にしわを寄せながら口を挟んだ。
「そんな回りくどいことをしなくとも、これだけの証拠があれば、あちらの有責で破棄してしまえばいいのではないか?」
祖父の疑問は彼だけの疑問ではなかった。
先程からノアは『破棄』ではなく『解消』を前提で話を進めている。けれど、証拠があるなら手っ取り早くあちらの有責にしてしまえばいいのだ。その方が手っ取り早い。
すると、ノアの目が憎々しさ満点に半目に細められる。
「そんなことをしてしまったら、クエンティン商会はうちのクズ親父に土地を渡してしまわなければなりません。クズ親父のお仕置きのためにも、話し合いでの解決を望みます」
「あ~」
その件が残っていたなと、ユウナも納得した。このままあの父親の思う通りになるのは癪に障る。確かに、破棄ではなく解消で済ませるのが一番かもしれない。
早速、婚約解消に向けて祖父母には動いてもらい、その間にユウナとノアはジュードの父親との話し合いに臨むために、ジュードの屋敷を訪れていた。
「婚約解消にしてほしいだって!?」
ジュードの父親ガゼルは、ノアからの提案に寝耳に水と身を乗り出して驚いている。
まあ、そんな素振りは一切なかったので寝耳に水だろう。
けれど、ユウナからしたら、よくもった方だ。
「何故だ!? いったいどうして急にそんなことを言い出すんだ!」
動揺が隠せないガゼルに対して、ノアは笑顔すら見せる冷静さで告げる。
「何故とはおかしなことを。ガゼル殿も知っていると思っていたのですが?」
「な、なにをだ?」
「あなたの息子であるジュード君と、幼馴染みのアリア嬢が恋仲であるということです」
「なんだと!?」
本当に気がついていなかったのか? ユウナはガゼルの鈍感さに呆れ果てる。
ユウナですら、アリアとの関係は近すぎると感じていたのに。それに、分かっていたからこそ、ガゼルもリューンも、ユウナの前でアリアと特別親しく見せつけていたのではないかと、うがった見方をしてしまう。
「ユウナはそれを知って泣く泣く婚約者を降りようと考えているのですよ」
すると、ガゼルが突然笑い出した。
「あははは。どうやらユウナさんは勘違いしているんだよ。確かに二人は仲がいいが、あくまで幼馴染みでしかない。焼きもちを焼くのは仕方がないが、婚約を解消するなんて飛躍しすぎだよ。君は婚約者なのだから、胸を張ってドンと構えていないと、伯爵の跡なんて継げないよ?」
「えっ? 私は伯爵家を継げませんよ?」
余計なお世話だこの野郎と、ガゼルに対して心の中であらゆる罵声を吐きつつ、ユウナはきょとんとした顔をしてみせた。
「は?」
「ですから、私がジュードさんと結婚した場合、弟が継ぐので平民のままです」
ユウナとしては、やっと言えたという感想だった。
これまでなんだかんだ口を挟む時間を与えられずにいたので、ようやく教えられる。
というか、ガゼルの様子を見る限り、ジュードから話は聞いていないようだ。
ジュードのことだからすぐに両親に事実を問いただしたと思ったが、違ったようだ。
「な、な、なん、なんで」
分かりやすく動揺するガゼルに笑いが込み上げてきたが、表には出さない。
「最初から決まっていたことです。どうやらなにか勘違いをされているようだなと思ってはいたのですが、本当にそうだったんですね」
ガゼルは呆然としている。まだ理解が追い付いていないのだろう。
さらにノアが追い打ちをかける。
「ユウナが伯爵になると思っての婚約でしたら、なおのこと解消するべきかと。ジュード君の恋人であるアリア嬢は男爵家の一人娘ですし、貴族との縁を持ちたいのであれば、そちらの方が可能性があるかもしれませんよ」
優しい笑みでなんとも性格が悪い。ノアは、アリアが男爵家を継がないと知っていて言うのだから。
「まあ、なんにせよ、我が家としては恋人がいるジュード君との結婚を許すことはありません。それならば無駄な時間を消費するよりさっさと婚約を解消して、新たな人生を歩むべきだと思うのです」
言葉を失うガゼルに向かって、ノアはさらに続ける。
「本当ならば恋人を作ったジュード君の有責での破棄というところでしょうが、ユウナは二人を応援していましてね。破棄ではなく解消、もしくは白紙ということで、お互い悔恨を残さずということにしませんか?」
「……少し考えさせてくれ」
ガゼルはたっぷりの沈黙の後、それだけを口にした。
ノアはにっこりと笑って了承したのである。
ジュードの父親と話し合いをしてから数日。
ユウナはロゼットに会いに屋敷を訪ねていた。相も変わらず所作の美しいロゼットは見ているだけでお手本になる。さすが生まれながらの伯爵令嬢。
「それで、婚約解消はできたのかしら?」
「それがまだなのよね。やっぱりジュードと結婚した場合に伯爵を継がないって言っただけじゃ、私と結婚した時の利益を考えると素直に動かないみたい。だからおじい様とおばあ様が作戦第二段階に動いてるわ」
「同情作戦ってやつね。私のところにも噂は届いてるわよ」
「うん、そう。おじい様とおばあ様には社交の場でたくさん言いふらしてもらわないと。クエンティン商会ではもみ消しができないほどにね。……あ~、早く縁切りたい!」
ユウナの心の叫びが思わず口から出る。
「かなりきてるわねぇ」
「そりゃそうよ。だって毎日学校で顔を合わせてるんだもの。その度に恨めしそうな目で見られるんだから。それだけならまだしも、実際に文句まで言ってくる始末よ。どうにか伯爵を継げないのか? ってさ。無理に決まってるのに何度説明しても納得しないんだから、本当に参っちゃうわよ」
その心の中を見通すような眼差しに、ユウナは目を背けたくなった。
「クエンティン商会のジュードの噂は俺でも知っている。問題大ありな馬鹿息子だと。そんなジュードと婚約したのには納得した。お互いに約束をして証文を交わしたなら守らなければならない。商人は信用が第一だからね。けれど、どうして今も婚約しているんだい?」
ひやりとしたものがユウナの背を駆け抜け、思わず口元が引き攣る。
「どうしてとは?」
「こんな不良物件、婚約したらとっとと破棄してしまえばよかっただろう? それなのにユウナはいまだに馬鹿の婚約者でいる。どうしてだい?」
言葉遣いは優しげなのに、声色からノアが怒っているのを察する。
「えーと……」
父親に続き、今度尋問されるのはユウナだった。
先程までの父親の気持ちがよく分かる。ノアは絶対に敵に回してはいけない相手だ。
その圧倒するような空気はまるで貴族のよう。自分より遥かに、貴族社会で生きていくのにふさわしいのはノアであるとユウナは感じていた。ノア自身が辞退したので仕方がないが、貴族社会でも上手に立ち回れるに違いないのにもったいない。
「ユウナ?」
にこりと微笑むその目はまったく笑っていない。
これ以上口をつぐむのは得策ではないと、ユウナは観念した。
「兄様は隣国でも商売できるよう、人脈を作るために留学しているわけでしょう?」
「そうだね」
ユウナの家の商会は、国内では最大規模を誇るが、隣国にはほとんどコネを持っていない。
ノアはそんな隣国でも店を出せるよう販路拡大のため動いていた。
「クエンティン商会は隣国でいくつものコネがあるから、ジュードと婚約していれば商会の役に立つんじゃないかなって思って……」
その瞬間、ノアから冷気が発せられた。
「ユウナ、それは兄様を信じていないってことかい?」
「ち、違う。そうじゃない!」
余計に怒らせた! と、ユウナは心の中で悲鳴をあげながら慌てて否定する。
「けれど、そうだろう? 俺の力が信用できないから、ユウナは自分を売ってまでコネを作ろうとしたわけだ」
「うう……」
別に自分の身を犠牲にしようと思ったことは一度もないが、ノアにそう受け取られても仕方ないので、下手に反論できない。
「兄様は悲しいよ。最愛の妹に信用されてないなんて」
ノアは大袈裟に手で顔を覆って上を向いた。
「ご、ごめんなさい。でも、私も商会の娘だし、政略結婚は想定内だったから、ちょっとでも兄様に有利になるようにしたかったのよ。だって私が伯爵を継ぐことになったとしても、政略結婚になるだろうし。それなら家に少しでも益になる方がいいかと思って」
しゅんとするユウナに。ノアは深いため息を吐いた。
「馬鹿なことをしたね」
「それは反省してる。……まあ、婚約は今日、限界を突破したから破棄するつもりだったんだけど」
「なにがあったんだい?」
ユウナは、今日だけでなく、これまであったことをノアに詳細に説明した。
ユウナから話を聞き終えたノアの顔がいっそう笑顔になる。
これはノアがブチ切れているサインだ。
ユウナは心の中でジュードに合掌した。
「あのクズがっ」
吐き捨てるようなそれは、如実にノアの怒りを表している。
「話には聞いていたが、予想以上だったね。うちのクソ親父と同じぐらいクズだな。けれど、そのアリアという子もいい性格をしているようだね」
それはユウナも思った。
「仮にも令嬢が愛人枠を狙うとは、男爵家はどんな教育をしているのやら」
ましてやジュードは平民だ。ユウナやノアのように母親が元貴族など、貴族の血を色濃く継いでいるわけでもなく、ジュードの先祖をさかのぼっても貴族だった者はいない。
伯爵になると思っていたとしても、プライドの高い一般的な令嬢なら、平民の愛人になろうなど考えもしないだろう。
ユウナは現在まで平民として暮らしつつ貴族の教育を受けているので、特に身分で差別するなどないが、貴族社会では血を重んじる家柄は少なくない。
「さすがに、それを聞いて私も愛想が尽き果てたっていうか……。関わると面倒くさいことになるなと思って、さっさと帰ってきました」
「賢明な判断だ。しかも、伯爵を継げると思っているところがアホすぎる。確かに平民の家だったら、婿に入ると大体は男が継ぐなんて前時代的な傾向はいまだにある。だが、貴族では血を重視しているから女性の相続が可能だ。実際に現国王も女性だというのに、どうしたら平民の婿が伯爵になれると思うんだ。貴族の知識が足りなさすぎる」
「自分の都合のいいように夢見てるんじゃない? ジュードのお父様も、私が伯爵を継ぐと思ってるみたいだから、そこからさらに勘違いしたジュードが伯爵を自分が継げると思ったのかも」
以前、女性が爵位を継ぐことはできなかった。
跡継ぎが女性しかいなかった場合は、他家から婿を取り、その婿が爵位を継いだのだ。
それもあって、ジュードはユウナと結婚すれば、自分が伯爵になれると思ったのかもしれない。
けれど、現女王の即位と同時にそれは撤廃され、女性でも爵位が継げるようになって久しい。
それはここ数年の話というわけではないので、ある程度の教育を受けていれば知っているはずだが、どうやらジュードやアリアは知らなかったようだ。
ジュードはまだしも、男爵令嬢であるアリアが知らないのは問題だろうに。
なにせ、男爵家はアリアしか子がいないので、継ぐならアリアのはずである。
だと言うのに、伯爵になったジュードの愛人を狙うなど、自分が男爵を継げることを知らないとしか思えない。
もしくは、男爵より伯爵の方が美味しいと思ったのか……
いや、恐らく前者だろうなと、ユウナはなんとなく思った。
なにせ、アリアは体が弱いという理由で教師の授業をサボっている様子だった。ジュードの話を聞くところによると、勉強になると体調を崩すらしい。
なんとも都合のいい体調である。
「とりあえず、婚約は破棄……いや、解消だ。いいね、ユウナ」
「うん。私の方から父様にお願いしようと思ってたところですし。けど、ジュード側が素直に受け入れてくれるかなぁ?」
伯爵の一員になれると思っている上に、商会との繋がり。
双方をジュードの父親が逃すのか。
さらに、ジュードの有責の場合、クエンティン商会は一等地の土地を手放すことになる。
絶対に阻止したいだろう。
その辺りをどうするのかとノアに問うと……
「少し、時間をくれるかな? 僕はそのアリアって子のことを知らないし、相手を知らないとどうしようもできないから」
「うん、分かりました……」
そう言った兄の笑顔が恐いと怯えてしまうユウナには頷くしかできなかった。
翌日学校に行くと、早速ジュードが突撃してきた。
「ユウナ!!」
あまりに大きな声に周囲の視線が集まる。
「なに? 大きな声出さないでよ」
もはやユウナがジュードを見る目は他人に対するものよりも無感情だった。
もう完全に見放したというのが、その眼差しから分かる。
ノアの帰宅ですっかり忘れていたが、ジュードとアリアを置いて先に帰ったのだったと思い出す。
きっとそのことで文句でも言うつもりなのか。
そう思っていたが、違う言葉の怒声が響く。
「俺が伯爵にならないってどういうことだよ!?」
ユウナは頭痛を覚えた。時と場所を考えろと言いたい。
ここは教室のど真ん中である。当然周囲には多くの生徒がいるのにまったく頭にないようだ。
きっとアリアから聞いて、その勢いでやってきたのだろう。
その考えのなさは本当に愚かでしかなかった。
「どうもこうも、その通りだけど?」
「だからなんでだよ!」
なんでなんでと聞かずに自分で調べろよ、と心の中で悪態を吐きつつ、ユウナは親切に教えてやる。
「昨日アリアさんにも説明したけど、私がジュードと結婚すれば、伯爵は弟が継ぐことになるわ」
「おかしいだろ! ユウナは伯爵にかわいがられてるんだろう? それなのに」
「おかしくないわよ。確かに祖父母にはかわいがってもらってるし、伯爵を継ぐための教育も行われているわ」
「だったらっ」
「けど、私は庶民の育ちだから、伯爵を継ぐにはきちんと貴族の教育を受けた貴族の旦那様をもらうのが絶対条件よ。平民であるジュードと結婚したら、その時点で私は跡継ぎから外されるわ」
「そんな……」
ジュードはひどくショックを受けている。
「それと、ジュードはなにか勘違いしてるようだから付け加えさせてもらうけど、功績を挙げていない、貴族の血も引いていない、そんな平民が貴族の当主になんてなれるわけないじゃない。私がなれるのは母が伯爵の一人娘で、他に継ぐ者がいないからよ」
ずっと、自分が伯爵になれるとでも思っていたのだろう。もしかしたら、周囲にもそう言い回っていたのかもしれない。なにせ、先程からジュードの友人達が恐い顔でヒソヒソとしているからだ。
ここははっきりと周知しておく必要がある。
「ジュードが伯爵なんて生まれ変わらない限りありえないわ。まさかと思うけど、自分は伯爵になるなんて言い回ったりしてないでしょうね?」
ジュードがびくりと体を震わせる。
「もしそうだとしたらすぐに訂正しておいてね。伯爵家の名に傷が付くから」
まあ、ジュード自ら訂正せずとも、周囲に生徒が大勢見守る中で、大声で説明すれば今日にでも周知されるだろう。恥をかくのは無知だったジュードだけである。
「おい、ジュード、どういうことだよ?」
ジュードの友人の一人が詰め寄ると、「うるさい!」と逆ギレして教室から出ていった。
きっと居たたまれなくなったのだろう。
少し溜飲が下がったユウナであった。
その後はジュードから遠目に睨まれるという精神攻撃を受けつつも、なにかを言ってくるでもないので放置してその日の授業は終わった。
帰ると、ノアが笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、ユウナ」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるノアに呆れてしまう。
なにせ、朝も同じことをしていたからだ。毎日これではユウナが結婚する時が来たらどうなるのか先が思いやられる。もちろん、相手はジュード以外が前提だ。
「ただいま、兄様」
「ユウナにいい報告があるんだよ。着替えて兄様の部屋においで」
「いい報告?」
恐らく婚約についての話だろうと思いつつ、いい報告とはなんだと首を捻る。
着替えてからノアの部屋に行くと、ユウナの祖父母である伯爵夫妻の姿もあった。
「おじい様とおばあ様も来ていたんですか?」
「ユウナの一大事と聞けば来ぬわけにはいかないからな」
「ノアが私達にも手伝ってほしいと言ってきたのよ」
どういうことかとノアを見ると、座るようにと促された。
使用人がユウナの前にお茶を置くと、静かに部屋を出ていった。
「さて、これからユウナの婚約を解消するための話をしたいと思います」
「やっとか」
伯爵である祖父は、やれやれという様子で呟いた。どうやら祖父にとってもこの婚約は不本意なものだったのだろう。
「最初にこれを」
そう言ってノアがテーブルの上に置いた何枚もの書類。
祖父はそれを手に取り、読み進めていくにつれて眉間のしわが濃くなっていく。
「兄様、それはなんですか?」
「あのクズ男と男爵令嬢の報告書だよ。簡単に言うと、あの二人は男爵の家ではたびたび会ってイチャついていたらしい。ユウナという婚約者がいながらね」
ノアの笑顔がなんとも恐い。本当はここでユウナこそ怒りを露わにしなければならないのだろうが、静かにキレているノアを見ていると、逆に怒りは吹き飛んだ。
「どうやって調べたんですか?」
イチャついていたとは言うが、それは男爵の家の中でのこと。その中のことなど外の者が分かるはずがない。ましてや貴族の屋敷ともなれば使用人も口が堅いだろうに。
「まあ、それは……ね。うん。ユウナのおかげと言ったらいいの……かな?」
珍しく歯切れの悪いノアに、ユウナは不思議がる。
「どういうことですか?」
「いや、この婚約解消について、協力者ができたとだけ言っておこう。ユウナは本当に変なのに好かれるね。兄様は心配で仕方がないよ。でも、諦めなさい。相手が悪すぎて兄様にもどうしようもないんだ」
憐れみの眼差しを向けられて、ユウナの頭の中は疑問でいっぱいだ。
「まったく分からないんですけど?」
「うん。分からない方がいいと思うよ。そのままのユウナでいておくれ」
そっとハンカチで目元を拭うノアに、ますます混乱する。いったいなにがあったのだ。
「まあ、話を戻して……。そこに書かれている報告書があれば、十分あちらの有責で婚約は破棄できると思うんですよ。けれど……」
「あちらは簡単には認めないか」
祖父の言葉にノアは頷く。
「なにせユウナのような優良物件をそう簡単に手放すはずがないですからね」
その言葉の中には若干兄の欲目が入っている気がするが、ユウナが優良物件なのは間違いない。
たとえユウナが伯爵を継がなかったとしても、伯爵家と縁故関係ができることに違いはなく、さらに国一番の商会とも縁づける。
そんなユウナとの婚約はなにがなんでもすがりつくだろう。
「そこで、お二人の出番です」
そう、ノアは祖父母に笑いかけた。
ユウナには悪魔の微笑みにしか見えなかったが、見た目だけは天使である。
それに気づいているだろうに、祖母は柔らかく微笑んだ。
「私達はなにをすればいいの?」
「簡単ですよ。社交界でジュードと男爵令嬢が恋仲であることをふれ回ってほしいんです」
「だが、そんなことをすれば、ユウナはいらぬ恥をさらすことにならないか?」
祖父は怪訝な表情で考え込む。婚約者に浮気された女という印象は、今後ユウナが伯爵を継ぐつもりなら避けたい醜聞だ。祖父の心配はもっともだった。
けれど、ノアはそれも織り込み済み。
「なので美談にするんですよ」
そう言ってノアはくっと口角を上げる。
「美談?」
祖父は疑問符を浮かべていたが、ユウナもまた同様だ。
その中で察しのいい祖母だけはなるほどという表情を浮かべており、ノアはユウナと祖父に説明を始める。
「ジュードには男爵令嬢という恋人がいる。家の契約での婚約者でしかないユウナも、それを応援していて婚約を解消しようとしているが、ジュードの父親がそれを認めない。このままでは恋人であるはずの二人は引き裂かれてしまう。ユウナはそれをなんとか阻止したいと奔走している。と」
「なるほど、貴族はそういう恋物語が好きだからな」
祖父は納得したようで、うんうんと頷いている。
「そして、貴族の中で二人への憐れみが大きくなったところで、おじい様は男爵に二人の仲を認めてやってほしいと頼んでください」
貴族も平民もそういう恋物語が好きではあるが、ユウナは待ったをかける。
「でも、兄様。アリアさんも男爵の一人娘です。家を継ぐなら結婚はやはり貴族、と男爵は考えていませんか?」
どうも貴族社会のことをよく知らない様子のアリアに当主になる力量はない。
そうなると、アリアには貴族社会に精通した相手が必要となるはずだとユウナは考えた。
「それなら大丈夫だよ。報告書によると男爵は娘に爵位を継がせるつもりはないらしい」
「そうなんですか?」
「ああ。体が弱いと言って勉強をしてこなかった娘に貴族を継ぐことは難しいだろうと、男爵は親族から養子を取る手続きを進めているところなんだ。娘の結婚相手を決めたら養子を迎えるらしい」
それならばアリアがとんちんかんな勘違いをしていたことも納得できる。
そもそも爵位を継がせる気がなく、貴族の勉強をしていなかったのだ。
「だから、男爵としても娘に恋人がいるならそれを後押しするはず。クエンティン商会は男爵との取引がある。そんな男爵から婚約を解消して娘を娶るように頼まれれば、クズ男の父親も頷かざるをえないよ」
ふむふむとユウナは真剣に聞いていたところで、祖父が眉間にしわを寄せながら口を挟んだ。
「そんな回りくどいことをしなくとも、これだけの証拠があれば、あちらの有責で破棄してしまえばいいのではないか?」
祖父の疑問は彼だけの疑問ではなかった。
先程からノアは『破棄』ではなく『解消』を前提で話を進めている。けれど、証拠があるなら手っ取り早くあちらの有責にしてしまえばいいのだ。その方が手っ取り早い。
すると、ノアの目が憎々しさ満点に半目に細められる。
「そんなことをしてしまったら、クエンティン商会はうちのクズ親父に土地を渡してしまわなければなりません。クズ親父のお仕置きのためにも、話し合いでの解決を望みます」
「あ~」
その件が残っていたなと、ユウナも納得した。このままあの父親の思う通りになるのは癪に障る。確かに、破棄ではなく解消で済ませるのが一番かもしれない。
早速、婚約解消に向けて祖父母には動いてもらい、その間にユウナとノアはジュードの父親との話し合いに臨むために、ジュードの屋敷を訪れていた。
「婚約解消にしてほしいだって!?」
ジュードの父親ガゼルは、ノアからの提案に寝耳に水と身を乗り出して驚いている。
まあ、そんな素振りは一切なかったので寝耳に水だろう。
けれど、ユウナからしたら、よくもった方だ。
「何故だ!? いったいどうして急にそんなことを言い出すんだ!」
動揺が隠せないガゼルに対して、ノアは笑顔すら見せる冷静さで告げる。
「何故とはおかしなことを。ガゼル殿も知っていると思っていたのですが?」
「な、なにをだ?」
「あなたの息子であるジュード君と、幼馴染みのアリア嬢が恋仲であるということです」
「なんだと!?」
本当に気がついていなかったのか? ユウナはガゼルの鈍感さに呆れ果てる。
ユウナですら、アリアとの関係は近すぎると感じていたのに。それに、分かっていたからこそ、ガゼルもリューンも、ユウナの前でアリアと特別親しく見せつけていたのではないかと、うがった見方をしてしまう。
「ユウナはそれを知って泣く泣く婚約者を降りようと考えているのですよ」
すると、ガゼルが突然笑い出した。
「あははは。どうやらユウナさんは勘違いしているんだよ。確かに二人は仲がいいが、あくまで幼馴染みでしかない。焼きもちを焼くのは仕方がないが、婚約を解消するなんて飛躍しすぎだよ。君は婚約者なのだから、胸を張ってドンと構えていないと、伯爵の跡なんて継げないよ?」
「えっ? 私は伯爵家を継げませんよ?」
余計なお世話だこの野郎と、ガゼルに対して心の中であらゆる罵声を吐きつつ、ユウナはきょとんとした顔をしてみせた。
「は?」
「ですから、私がジュードさんと結婚した場合、弟が継ぐので平民のままです」
ユウナとしては、やっと言えたという感想だった。
これまでなんだかんだ口を挟む時間を与えられずにいたので、ようやく教えられる。
というか、ガゼルの様子を見る限り、ジュードから話は聞いていないようだ。
ジュードのことだからすぐに両親に事実を問いただしたと思ったが、違ったようだ。
「な、な、なん、なんで」
分かりやすく動揺するガゼルに笑いが込み上げてきたが、表には出さない。
「最初から決まっていたことです。どうやらなにか勘違いをされているようだなと思ってはいたのですが、本当にそうだったんですね」
ガゼルは呆然としている。まだ理解が追い付いていないのだろう。
さらにノアが追い打ちをかける。
「ユウナが伯爵になると思っての婚約でしたら、なおのこと解消するべきかと。ジュード君の恋人であるアリア嬢は男爵家の一人娘ですし、貴族との縁を持ちたいのであれば、そちらの方が可能性があるかもしれませんよ」
優しい笑みでなんとも性格が悪い。ノアは、アリアが男爵家を継がないと知っていて言うのだから。
「まあ、なんにせよ、我が家としては恋人がいるジュード君との結婚を許すことはありません。それならば無駄な時間を消費するよりさっさと婚約を解消して、新たな人生を歩むべきだと思うのです」
言葉を失うガゼルに向かって、ノアはさらに続ける。
「本当ならば恋人を作ったジュード君の有責での破棄というところでしょうが、ユウナは二人を応援していましてね。破棄ではなく解消、もしくは白紙ということで、お互い悔恨を残さずということにしませんか?」
「……少し考えさせてくれ」
ガゼルはたっぷりの沈黙の後、それだけを口にした。
ノアはにっこりと笑って了承したのである。
ジュードの父親と話し合いをしてから数日。
ユウナはロゼットに会いに屋敷を訪ねていた。相も変わらず所作の美しいロゼットは見ているだけでお手本になる。さすが生まれながらの伯爵令嬢。
「それで、婚約解消はできたのかしら?」
「それがまだなのよね。やっぱりジュードと結婚した場合に伯爵を継がないって言っただけじゃ、私と結婚した時の利益を考えると素直に動かないみたい。だからおじい様とおばあ様が作戦第二段階に動いてるわ」
「同情作戦ってやつね。私のところにも噂は届いてるわよ」
「うん、そう。おじい様とおばあ様には社交の場でたくさん言いふらしてもらわないと。クエンティン商会ではもみ消しができないほどにね。……あ~、早く縁切りたい!」
ユウナの心の叫びが思わず口から出る。
「かなりきてるわねぇ」
「そりゃそうよ。だって毎日学校で顔を合わせてるんだもの。その度に恨めしそうな目で見られるんだから。それだけならまだしも、実際に文句まで言ってくる始末よ。どうにか伯爵を継げないのか? ってさ。無理に決まってるのに何度説明しても納得しないんだから、本当に参っちゃうわよ」
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