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 翌朝、朝早くに父が出かけていった。私がテレスの婚約者になってからは毎日早いらしいが、この頃は特に早い気がする。ひょっとして私がテレスの王太妃という地位を突然退いたことの尻拭いをさせられているのかもしれない。尻拭いとは言わないまでも、何か関係があるのは間違いないだろう。とても責任を感じる。どんな事情があれ、私のせいであることは間違いのだから。どうして私とテレスとの婚約関係が解消されたばかり、あんなに優しい父が苦労しなくてはならないのだろう。胸が痛い。父にはどうか無理だけはしないでもらいたいと思った。

 父の影響で、私も毎朝早くに起きるようになった。厳密にいうと、家がかなり狭いため1人が起きだすと他のみんなも起こしてしまうというわけだ。
 それにしても早起きは気持ちがいい。私は母を起こさないように、できるだけ物音を立てずにそおっと家の外に出た。田舎の空気をいっぱい吸い込む。息を吐くと、近くにタッカーがいることに気づいた。タッカーは息が上がっている。私よりも早く起きたみたいだ。


「おはよう、タッカー。走ってきたの?」


「そう! 俺、兵士だったからさ、腕が鈍っちゃって」


 屈託のない笑顔で話すが、タッカーにはタッカーなりの嫌な思い出があるはずだ。本来であれば今もダルハザン帝国の兵士として、日々鍛錬を積んでいたはずだ。本当はこんなところで私の使用人なんてやっていなかったはずだし、やりたくもなかったはずだ。もしもタッカーがバルデン王国に連れてこられることもなく、今でもダルハザン帝国で兵士として活躍を続けていたとしたら、腕が鈍るなんてことは絶対になかっただろうし、年を重ねるごとに昇進できたかもしれない。タッカーの兵士としての明るい未来は、もうない。


「タッカーは、どうしてそんなに笑顔でいられるの」


「ん? どうしたの?」


「タッカーはさ、無理矢理こっちの国に連れてこられて、自分の人生も台無しになって、本当の家族とも離れ離れになって、どうしてそんなに笑顔でいられるの? どうしてそんなに眩しいの? つらいでしょ? つらいんでしょう? いいんだよ、つらかったら、無理して笑わないで。ありのままでいいんだよっ!」



 そんなつもりもなかったのに、感極まって涙が溢れた。



「ありのままだよ」


「えっ」


「確かに、俺は捕虜になって、こっちにきた。ダルハザン帝国の軍令部条項により、故郷には帰れない。兵士としての未来も、家族と会うことも、もうない。捕虜にさえならなければ、こんなことにはならなかったはずだ」


「そうでしょ、じゃあ、どうして」


 私は思わず訪ねた。


「捕虜にさえならなければ、セルナとも会えなかったから」


「えっ」


 タッカーの言葉の意味が、私にはわからなかった。


「セルナは俺にとって大切な存在であることは確かだ。俺は、過去を恨むよりも、今、現実に起こっていること、目の前に広がるありのままを、ありのままで受け入れたい」


 そう言って、タッカーは照れ臭そうにはにかんだ。私はなんと答えていいかわからず、その場には沈黙が流れた。なんとも言えない空気に耐えきれなくなったタッカーは、遠くを指差した。


「見て、セルナ。ウサギがいるよ!」


 確かにウサギがいる。楽しそうに野原を跳ね回っている。タッカーはウサギを嬉しそうに見つめていた。


「前にも話したかもしれないけど、ダルハザン帝国にウサギはいないんだ。だからこっちにきて、初めて見た時は感動した。この感動もさ、捕虜にならなければ味わえなかったことだ」


 間違いない。私はこの時、確信した。タッカーは強い。私にはタッカーが、実際よりもだいぶ大きく見えてならなかった。
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