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第1話 冤罪
「誘拐です! 誰か助けてください!」
色彩が失せ、何もかもが灰色の景色。木の葉を吹き散らす寒い冬の中で、少女は告げた。
厚科篤志とは交際関係にありクラスメイトでもある井上姫菜は、妹である天使を守るように抱き寄せている。
「────は?」
当の本人である篤志は身に覚えのない罪に、困惑して立ち尽くす。
その後、周囲にいた通行人らによって身柄を押さえられると、警察へ引き渡された。
姫菜による虚偽の証言で篤志は冤罪を掛けられ、勾留されることとなった。
幸い、姫菜の両親が慰謝料による示談を望んだことで被害届を出されず、篤志が刑罰に処される事はなかった。
とはいえ、その交渉は穏便なものではなかった。
「土下座だ。土下座しろ!」
謝罪に来た篤志とその両親に向かって、姫菜の父親が土下座を迫る。
「父さん……?」
床にひざまつき、両手をついて深く頭を下げる父に篤志が動揺を隠せずにいると、母が土下座をするよう隣から促した。
その場で誠心誠意謝らされた篤志は、悔しさと屈辱でどうにかなりそうだった。
なぜこんなことをしたのか理解できず、問いただそうとするが、当事者である姫菜と天使は終始姿を現すことはなく、確かめることはできなかった。
この一件は噂となると、たちまち周囲へと広がっていった。
そのため、篤志らは加害者家族として扱われることを余儀なくされ、家庭環境が壊れていくのは必然だった。
「そんな子に育てた覚えはないわよ!」
ヒステリックで狂いだしたような叫びが、リビングに響き渡る。
「違う……俺は、やってな──」
「黙れ! 自分が何をやったのか分かってるのか?」
無実を訴える篤志だったが、その声は届くことはなかった。
額に血管を浮かび上がらせ、頬をピクピクと動かし、歯をむき出しにして胸ぐらを掴む父の姿は普段のものとはかけ離れていた。
初めてみる父の形相に怯え、反射的に身構える篤志。
「やめてよ、こんなのおかしいって!」
姉である鈴音が父を引き剥がすと、庇うように篤志の前に割って入った。
「────そんなに俺が信じられないのか?」
「そうだ」
冷たくて言い放った父の背中に、篤志の胸はギュッと締めつけられ、ショックで顔を歪ませた。
「どうしてこんなことに。これから一体どうすればいいのよ…………っ」
部屋にはすすり泣く母の声だけが残り、静かに涙を流す篤志を慰めるよう、鈴音は抱き締めるのだった。
「まさか自分のクラスからこんなことが起きるなんて」
そう頭を抱えるのは篤志の担任である矢幡だ。
噂を聞き付けた他の保護者から苦情が多く寄せられているようで、連日その対応に迫られていると嘆く矢幡に、篤志とその両親はひたすら頭を下げるしかなかった。
そんな状況だからか、学校中から篤志が白い目で見られるのは当然のことだった。
それは暴力沙汰を始め、薬物や窃盗。挙げ句の果てには姫菜に対するDV疑惑にまで助長され、根も葉もない噂が飛び交う程にエスカレートしていった。
「ほんとうなんだ、俺は誘拐なんてやってない! お願いだから信じてくれよ!」
いくら篤志が訴えようとも、その声に耳を貸そうとするクラスメイトは居なかった。
「姫菜! 頼む、本当の事を話してくれ!」
堪え難い焦燥感に駆られ、藁にもすがるような気持ちで姫菜に視線を飛ばす篤志。
それに反応して、肩をピクッと揺らす姫菜だったが、逃げるように顔を背けて口を固く閉じた。
「井上さんが嘘をついてるって言いたいのか? そんなことして井上さんに何のメリットがあるっていうんだ!」
姫菜を擁護する声に他のクラスメイトも賛同すると、次々と篤志へ非難する言葉が投げ掛けられる。
結局、姫菜が答えることはなく、クラスメイトの誤解が晴れることはなかった。
「もう来んな」
「顔も見たくない」
「最低」
「友達やめるわ」
「性犯罪者」
「嘘つき」
容赦のない罵り騒ぐ声に、篤志は無表情に息を止めた。
友人にすら見放され、篤志が孤立するのは時間の問題だった。
誰だって噂のよくない人とは親しくしたくないのだ。
もはや、篤志に抵抗する気力など残ってはおらず、虐めを黙って耐えるしかなかった。
「いけいけ! やっちまえ!」
けたけたと笑う下品な声と共に、突如として篤志の背中を衝撃が襲う。
篤志の視界が飛び、体制を崩すと床に倒れ込む。
「ざまー」
「よっわ」
周囲からは暢気に嗤う声が上がる。それは、一連の出来事を大いに面白がっている証拠であった。
「いい加減、罪を認めたらどうだっての。それとさぁ、邪魔だからさっさと死んでくんねーかな?」
そう顔を歪めて笑うのは、クラスのムードメーカ的存在である林竜也だった。
他のクラスメイトは一切関わろうとせず、見て見ぬふりを決める。
泣くな。泣きたくない……っ!
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪える篤志の前に、一人の女子生徒が現れる。
「や、やめて!」
身を挺して庇うように両手を広げる彼女は、篤志の幼馴染みである人見穂乃香であった。
「女に守られるとかダサ。あーもう、しらけたわ。やめやめ」
林は罰が悪そうに手を振ると、取り巻きを連れて教室を後にした。
「大丈夫? 痛くない?」
保健室に移り、篤志は穂乃香から転倒するときに出来た掠り傷の手当てを受けていた。
穂乃香はそっと篤志の頬に絆創膏を貼り終えると、胸苦しそうにポツリと呟く。
「ごめんね……。すぐに助けてあげられなくて」
そんな穂乃香を気遣うよう、篤志は笑顔の仮面を作る。
「心配かけてごめん。でも、もう大丈夫だから」
そう明るく振る舞う篤志だったが、その表情にほんの少し陰が差しているのを穂乃香は見逃さなかった。
──放課後の下校時。
篤志は疲れた顔に足を引きずり、照り返す夕日に顔をしかめた。
※
「──つし、篤志?」
ふと、自分を呼ぶ声に振り向くと、そこには心配そうに顔を覗き込む鈴音の姿があった。
「ごめん、ボーッとしてて」
そうやって微笑む篤志だが、ここ最近元気がないのは明らかだった。
とはいえ、プライバシーな問題にどこまで踏み込んでいいか分からず、今の鈴音には慰める言葉を掛けることしかできなかった。
「困ったらいつでも言いなさいよ。私はいつでも篤志の味方だから」
鈴音は篤志の隣に座ると、肩に手を回す。
「ありがとう。でも、ほんとに大丈夫だから…………」
いらぬ心配を掛けたくない。
ここでも本音を隠し、篤志は気丈に振る舞ってみせた。
そのぎこちない笑顔に鈴音は胸を痛め、今すぐにでも抱き締めてあげたいという気持ちが込み上げる。
それを何とか抑えると、代わりに篤志を抱き寄せるのだった──
※一人称視点
部屋に入った途端、張り巡らせていた気が抜け、ドアを背にぐったりとその場で座り込む。
それから俺は頭を抱え、そっとため息を吐く。
精神は疲弊し、とっくに限界を迎えていた。
「なんで、なんでこんな事に……」
いくら嘆いたところで仕方がない。
姉さんと穂乃香に迷惑と苦労ばっかり掛ける自分に嫌気が差す。
二人は大丈夫と言ってくれるけど、俺のせいで人生まで巻き込んで壊したくない。
姉さんは大学で忙しそうにしている時だから、尚更だ。
何もかも失くして不条理“仕方ない”なんて、いつまで言えるだろうか。
暗く陰ったこの道の先では、もう全部がどうでもいいとさえ思える。
「俺が何をしたっていうんだっ…………!」
言い様のない悔しさに、俺は顔をくしゃくしゃにする。
もう無理だ。しんどい。耐えられない。
普通の生活は奪われ、いくら現実から目を逸らそうとしたって……失望の目が、悪意に満ちた声が頭から消えてくれない。
ここまでして頑張る必要はあるのだろうか?
何のために生きてるのかも、自分自身すらも分からない。
終わりの見えない絶望に、何度打ちのめされた事か。
居場所と呼べる場所もどこにもない。
もう、苦しみたくない。
こんな思いをしてまで生きたいとは思えない。
──もし。もし、死んだとしたなら、この地獄から救われるのだろうか。
色彩が失せ、何もかもが灰色の景色。木の葉を吹き散らす寒い冬の中で、少女は告げた。
厚科篤志とは交際関係にありクラスメイトでもある井上姫菜は、妹である天使を守るように抱き寄せている。
「────は?」
当の本人である篤志は身に覚えのない罪に、困惑して立ち尽くす。
その後、周囲にいた通行人らによって身柄を押さえられると、警察へ引き渡された。
姫菜による虚偽の証言で篤志は冤罪を掛けられ、勾留されることとなった。
幸い、姫菜の両親が慰謝料による示談を望んだことで被害届を出されず、篤志が刑罰に処される事はなかった。
とはいえ、その交渉は穏便なものではなかった。
「土下座だ。土下座しろ!」
謝罪に来た篤志とその両親に向かって、姫菜の父親が土下座を迫る。
「父さん……?」
床にひざまつき、両手をついて深く頭を下げる父に篤志が動揺を隠せずにいると、母が土下座をするよう隣から促した。
その場で誠心誠意謝らされた篤志は、悔しさと屈辱でどうにかなりそうだった。
なぜこんなことをしたのか理解できず、問いただそうとするが、当事者である姫菜と天使は終始姿を現すことはなく、確かめることはできなかった。
この一件は噂となると、たちまち周囲へと広がっていった。
そのため、篤志らは加害者家族として扱われることを余儀なくされ、家庭環境が壊れていくのは必然だった。
「そんな子に育てた覚えはないわよ!」
ヒステリックで狂いだしたような叫びが、リビングに響き渡る。
「違う……俺は、やってな──」
「黙れ! 自分が何をやったのか分かってるのか?」
無実を訴える篤志だったが、その声は届くことはなかった。
額に血管を浮かび上がらせ、頬をピクピクと動かし、歯をむき出しにして胸ぐらを掴む父の姿は普段のものとはかけ離れていた。
初めてみる父の形相に怯え、反射的に身構える篤志。
「やめてよ、こんなのおかしいって!」
姉である鈴音が父を引き剥がすと、庇うように篤志の前に割って入った。
「────そんなに俺が信じられないのか?」
「そうだ」
冷たくて言い放った父の背中に、篤志の胸はギュッと締めつけられ、ショックで顔を歪ませた。
「どうしてこんなことに。これから一体どうすればいいのよ…………っ」
部屋にはすすり泣く母の声だけが残り、静かに涙を流す篤志を慰めるよう、鈴音は抱き締めるのだった。
「まさか自分のクラスからこんなことが起きるなんて」
そう頭を抱えるのは篤志の担任である矢幡だ。
噂を聞き付けた他の保護者から苦情が多く寄せられているようで、連日その対応に迫られていると嘆く矢幡に、篤志とその両親はひたすら頭を下げるしかなかった。
そんな状況だからか、学校中から篤志が白い目で見られるのは当然のことだった。
それは暴力沙汰を始め、薬物や窃盗。挙げ句の果てには姫菜に対するDV疑惑にまで助長され、根も葉もない噂が飛び交う程にエスカレートしていった。
「ほんとうなんだ、俺は誘拐なんてやってない! お願いだから信じてくれよ!」
いくら篤志が訴えようとも、その声に耳を貸そうとするクラスメイトは居なかった。
「姫菜! 頼む、本当の事を話してくれ!」
堪え難い焦燥感に駆られ、藁にもすがるような気持ちで姫菜に視線を飛ばす篤志。
それに反応して、肩をピクッと揺らす姫菜だったが、逃げるように顔を背けて口を固く閉じた。
「井上さんが嘘をついてるって言いたいのか? そんなことして井上さんに何のメリットがあるっていうんだ!」
姫菜を擁護する声に他のクラスメイトも賛同すると、次々と篤志へ非難する言葉が投げ掛けられる。
結局、姫菜が答えることはなく、クラスメイトの誤解が晴れることはなかった。
「もう来んな」
「顔も見たくない」
「最低」
「友達やめるわ」
「性犯罪者」
「嘘つき」
容赦のない罵り騒ぐ声に、篤志は無表情に息を止めた。
友人にすら見放され、篤志が孤立するのは時間の問題だった。
誰だって噂のよくない人とは親しくしたくないのだ。
もはや、篤志に抵抗する気力など残ってはおらず、虐めを黙って耐えるしかなかった。
「いけいけ! やっちまえ!」
けたけたと笑う下品な声と共に、突如として篤志の背中を衝撃が襲う。
篤志の視界が飛び、体制を崩すと床に倒れ込む。
「ざまー」
「よっわ」
周囲からは暢気に嗤う声が上がる。それは、一連の出来事を大いに面白がっている証拠であった。
「いい加減、罪を認めたらどうだっての。それとさぁ、邪魔だからさっさと死んでくんねーかな?」
そう顔を歪めて笑うのは、クラスのムードメーカ的存在である林竜也だった。
他のクラスメイトは一切関わろうとせず、見て見ぬふりを決める。
泣くな。泣きたくない……っ!
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪える篤志の前に、一人の女子生徒が現れる。
「や、やめて!」
身を挺して庇うように両手を広げる彼女は、篤志の幼馴染みである人見穂乃香であった。
「女に守られるとかダサ。あーもう、しらけたわ。やめやめ」
林は罰が悪そうに手を振ると、取り巻きを連れて教室を後にした。
「大丈夫? 痛くない?」
保健室に移り、篤志は穂乃香から転倒するときに出来た掠り傷の手当てを受けていた。
穂乃香はそっと篤志の頬に絆創膏を貼り終えると、胸苦しそうにポツリと呟く。
「ごめんね……。すぐに助けてあげられなくて」
そんな穂乃香を気遣うよう、篤志は笑顔の仮面を作る。
「心配かけてごめん。でも、もう大丈夫だから」
そう明るく振る舞う篤志だったが、その表情にほんの少し陰が差しているのを穂乃香は見逃さなかった。
──放課後の下校時。
篤志は疲れた顔に足を引きずり、照り返す夕日に顔をしかめた。
※
「──つし、篤志?」
ふと、自分を呼ぶ声に振り向くと、そこには心配そうに顔を覗き込む鈴音の姿があった。
「ごめん、ボーッとしてて」
そうやって微笑む篤志だが、ここ最近元気がないのは明らかだった。
とはいえ、プライバシーな問題にどこまで踏み込んでいいか分からず、今の鈴音には慰める言葉を掛けることしかできなかった。
「困ったらいつでも言いなさいよ。私はいつでも篤志の味方だから」
鈴音は篤志の隣に座ると、肩に手を回す。
「ありがとう。でも、ほんとに大丈夫だから…………」
いらぬ心配を掛けたくない。
ここでも本音を隠し、篤志は気丈に振る舞ってみせた。
そのぎこちない笑顔に鈴音は胸を痛め、今すぐにでも抱き締めてあげたいという気持ちが込み上げる。
それを何とか抑えると、代わりに篤志を抱き寄せるのだった──
※一人称視点
部屋に入った途端、張り巡らせていた気が抜け、ドアを背にぐったりとその場で座り込む。
それから俺は頭を抱え、そっとため息を吐く。
精神は疲弊し、とっくに限界を迎えていた。
「なんで、なんでこんな事に……」
いくら嘆いたところで仕方がない。
姉さんと穂乃香に迷惑と苦労ばっかり掛ける自分に嫌気が差す。
二人は大丈夫と言ってくれるけど、俺のせいで人生まで巻き込んで壊したくない。
姉さんは大学で忙しそうにしている時だから、尚更だ。
何もかも失くして不条理“仕方ない”なんて、いつまで言えるだろうか。
暗く陰ったこの道の先では、もう全部がどうでもいいとさえ思える。
「俺が何をしたっていうんだっ…………!」
言い様のない悔しさに、俺は顔をくしゃくしゃにする。
もう無理だ。しんどい。耐えられない。
普通の生活は奪われ、いくら現実から目を逸らそうとしたって……失望の目が、悪意に満ちた声が頭から消えてくれない。
ここまでして頑張る必要はあるのだろうか?
何のために生きてるのかも、自分自身すらも分からない。
終わりの見えない絶望に、何度打ちのめされた事か。
居場所と呼べる場所もどこにもない。
もう、苦しみたくない。
こんな思いをしてまで生きたいとは思えない。
──もし。もし、死んだとしたなら、この地獄から救われるのだろうか。
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