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八話 月下にて 上
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痛い、と俺が今まで思っていた痛みは、本当の痛みじゃなかった。
腹に穴が空いたんじゃないかと、確認してしまうくらいの、殴られたのか蹴られたのか魔術かもわからないけど、一撃はもう本当に立てる気がしない。
あのゴリラ女はどんだけ力があるんだ……。
女はうずくまって立てない俺を一瞥して、背を向けた。
どこにでもいる町娘のような、よく言えば素朴な、正直に言えば粗末な服を着た彼女は、俺から離れてどこかを見ている。
「……だよ……それ」
その表情は、俺の人生で一度も向けられた事のない表情だと、心の底から理解出来てしまった。
満月の光を浴びてキラキラと輝く彼女の金髪は美しいが、それもただの飾りにしかならないくらい、今の彼女は美しい。
俺の中にある言葉じゃ、恋する乙女くらいしか彼女を形容する言葉が見つからず、実際に今の彼女は恋に浮かされているんだろう。
幸せな気分の中、この明るい夜の中、今か今かと相手を待っている。
「なんだよ……それ」
そして、そんな表情を向けられた事は、俺のこれまでの人生で一度もない。
俺を好きだと言ってくれた女達は、誰一人して俺にこんな表情を向けてくれた事はなかった。
破裂した、と思っていた胃がぎゅうぎゅうと動き出し、胃液がこみ上げてくるけど、喉に詰まってただ苦い物だけが残る。
「お待ちしていました」
「ああ、こちらも待たせたな」
そんな俺を誰も気にする素振りもなく、アラストールのおっさんがゆっくりと現れた。
厚い鎧を着ながらも、おっさんの動きに不自然な所はない。
後から着いてくるもう一人の男は、どこかで見た事があるけど思い出せなかった。
しかし、鎧が擦れる音一つせず、彼もかなりの遣い手だとわかる。
「勇者様を拉致されたせいで、上役に叱られて、今になってやっと抜け出せた」
「宮仕えは大変ですな」
「何の因果で私はこんな仕事をしているのやら、たまに自分でもわからなくなる」
静かな、まるで仲のいい友達同士が久しぶりに出会ったような、そんな会話だった。
「お前ら……グルだったのか……!」
この落ち着いた雰囲気は、どう考えても人質を取り戻しに来たって感じじゃない……!
最初から皆で俺をハメるつもりだったのか!
「ふむ、勇者様にお怪我は……」
おっさんは俺の言葉が聞こえなかったのか、今更そんなのん気な事を言い始めた。
どこからどう見ても重傷だろ!
こんなにもあちこち痛くて仕方ない。
「ないようですな」
「なっ!?」
まともに声も出せず、後から後から涙が出てくるくらいの痛さで、怪我一つないように見えるなんて、おっさんの目は節穴か!?
袋に詰められていた時、どういう扱いをされていたのか、あちこちに擦り傷や切り傷で血が滲んでるし、最初に殴られた顔もじんじんと鈍い痛みがある。
「骨や内臓に残るような打撃はしませんとも」
「そ、そういう問題じゃ……!」
「少し、黙れ。 お前、戦う者なら黙って見ておくべきだ」
「うぐっ!?」
叫ぼうとした俺を、くぐもった声が抑えつけてきた。
物凄い力で俺の頭を抑えつけてる大きな手は、ゴツゴツとした手のひら。
抵抗出来るはずもなく、俺は地面に押し付けられてしまう。
「……このような者で、何を倒すおつもりだったので?」
「……『信じる心が力になる』だ。 他者からの信頼を得れば、飛躍的に力を増す勇者様の能力を使い、騎士やら何やらを当て促成で伸ばそうとしたのだ」
「それはそれは……なんともはや」
呆れたように肩を竦める彼女も目に入らず、俺は茫然としていた。
俺は、強くなった、はずじゃ。
でも、それは張り子の力で、実際は誰にも好かれていなくて。
俺は、何一つ変われていなかった。
「アラストール卿も、まぁ何というか大変ですな」
「……同情はいらん。 私が勇者様の育成に関わっていないとはいえ、王の決定だ」
「まったく……私のような美人からの熱いお誘いより、しなびた王様の冷たい仕打ちが好みとは、困った話ですな」
「性分だ、野良犬。 それよりも」
「ええ」
「立会人は我が弟子一番弟子のアグリッパが勤める」
「こちらは我が友マゾーガが」
おっさんは鍔鳴り一つなく、白一色の鞘からすらりと剣を抜く。
分厚く、真っ直ぐな、どこを探しても脆弱さの欠片も見当たらない剣。
おっさんらしいな、と何となく思った。
奇もてらいもない、まっすぐに構えた剣はどこまでも正道で、しっかりと根を張った大木のようだ。
「筆頭騎士ティリウス・アラストール」
しゃらん、と鈴が鳴るような澄んだ音がした。
黒に桜色が散った鞘から抜かれた刀は反りが強く、よく見てみれば分類として刀ではなく、太刀になるだろう。
月明かりを浴びて、銀色に輝く刃は、失望や屈辱や痛みにうずくまる俺の視線を無理矢理に引き寄せる。
「魔剣チィルダが主、ソフィア・ネート」
月でも斬るかのように、刀を天に掲げる彼女……ソフィアから、俺は目が離せず。
「いざ、参る」
どちらが言ったのかすらわからない言葉と共に、決闘が始まった。
誰一人、俺を気にする事もなくて、身体の痛みよりもその事が俺を打ちのめしてくれた。
腹に穴が空いたんじゃないかと、確認してしまうくらいの、殴られたのか蹴られたのか魔術かもわからないけど、一撃はもう本当に立てる気がしない。
あのゴリラ女はどんだけ力があるんだ……。
女はうずくまって立てない俺を一瞥して、背を向けた。
どこにでもいる町娘のような、よく言えば素朴な、正直に言えば粗末な服を着た彼女は、俺から離れてどこかを見ている。
「……だよ……それ」
その表情は、俺の人生で一度も向けられた事のない表情だと、心の底から理解出来てしまった。
満月の光を浴びてキラキラと輝く彼女の金髪は美しいが、それもただの飾りにしかならないくらい、今の彼女は美しい。
俺の中にある言葉じゃ、恋する乙女くらいしか彼女を形容する言葉が見つからず、実際に今の彼女は恋に浮かされているんだろう。
幸せな気分の中、この明るい夜の中、今か今かと相手を待っている。
「なんだよ……それ」
そして、そんな表情を向けられた事は、俺のこれまでの人生で一度もない。
俺を好きだと言ってくれた女達は、誰一人して俺にこんな表情を向けてくれた事はなかった。
破裂した、と思っていた胃がぎゅうぎゅうと動き出し、胃液がこみ上げてくるけど、喉に詰まってただ苦い物だけが残る。
「お待ちしていました」
「ああ、こちらも待たせたな」
そんな俺を誰も気にする素振りもなく、アラストールのおっさんがゆっくりと現れた。
厚い鎧を着ながらも、おっさんの動きに不自然な所はない。
後から着いてくるもう一人の男は、どこかで見た事があるけど思い出せなかった。
しかし、鎧が擦れる音一つせず、彼もかなりの遣い手だとわかる。
「勇者様を拉致されたせいで、上役に叱られて、今になってやっと抜け出せた」
「宮仕えは大変ですな」
「何の因果で私はこんな仕事をしているのやら、たまに自分でもわからなくなる」
静かな、まるで仲のいい友達同士が久しぶりに出会ったような、そんな会話だった。
「お前ら……グルだったのか……!」
この落ち着いた雰囲気は、どう考えても人質を取り戻しに来たって感じじゃない……!
最初から皆で俺をハメるつもりだったのか!
「ふむ、勇者様にお怪我は……」
おっさんは俺の言葉が聞こえなかったのか、今更そんなのん気な事を言い始めた。
どこからどう見ても重傷だろ!
こんなにもあちこち痛くて仕方ない。
「ないようですな」
「なっ!?」
まともに声も出せず、後から後から涙が出てくるくらいの痛さで、怪我一つないように見えるなんて、おっさんの目は節穴か!?
袋に詰められていた時、どういう扱いをされていたのか、あちこちに擦り傷や切り傷で血が滲んでるし、最初に殴られた顔もじんじんと鈍い痛みがある。
「骨や内臓に残るような打撃はしませんとも」
「そ、そういう問題じゃ……!」
「少し、黙れ。 お前、戦う者なら黙って見ておくべきだ」
「うぐっ!?」
叫ぼうとした俺を、くぐもった声が抑えつけてきた。
物凄い力で俺の頭を抑えつけてる大きな手は、ゴツゴツとした手のひら。
抵抗出来るはずもなく、俺は地面に押し付けられてしまう。
「……このような者で、何を倒すおつもりだったので?」
「……『信じる心が力になる』だ。 他者からの信頼を得れば、飛躍的に力を増す勇者様の能力を使い、騎士やら何やらを当て促成で伸ばそうとしたのだ」
「それはそれは……なんともはや」
呆れたように肩を竦める彼女も目に入らず、俺は茫然としていた。
俺は、強くなった、はずじゃ。
でも、それは張り子の力で、実際は誰にも好かれていなくて。
俺は、何一つ変われていなかった。
「アラストール卿も、まぁ何というか大変ですな」
「……同情はいらん。 私が勇者様の育成に関わっていないとはいえ、王の決定だ」
「まったく……私のような美人からの熱いお誘いより、しなびた王様の冷たい仕打ちが好みとは、困った話ですな」
「性分だ、野良犬。 それよりも」
「ええ」
「立会人は我が弟子一番弟子のアグリッパが勤める」
「こちらは我が友マゾーガが」
おっさんは鍔鳴り一つなく、白一色の鞘からすらりと剣を抜く。
分厚く、真っ直ぐな、どこを探しても脆弱さの欠片も見当たらない剣。
おっさんらしいな、と何となく思った。
奇もてらいもない、まっすぐに構えた剣はどこまでも正道で、しっかりと根を張った大木のようだ。
「筆頭騎士ティリウス・アラストール」
しゃらん、と鈴が鳴るような澄んだ音がした。
黒に桜色が散った鞘から抜かれた刀は反りが強く、よく見てみれば分類として刀ではなく、太刀になるだろう。
月明かりを浴びて、銀色に輝く刃は、失望や屈辱や痛みにうずくまる俺の視線を無理矢理に引き寄せる。
「魔剣チィルダが主、ソフィア・ネート」
月でも斬るかのように、刀を天に掲げる彼女……ソフィアから、俺は目が離せず。
「いざ、参る」
どちらが言ったのかすらわからない言葉と共に、決闘が始まった。
誰一人、俺を気にする事もなくて、身体の痛みよりもその事が俺を打ちのめしてくれた。
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