剣戟rock'n'roll

久保田

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二十一話 所詮、棒振り 下中

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 遊んでいる場合じゃない。
 わかっているけど気付いたら矢で狙われているとか、ぼやかずにはいられないだろう。

「僕が何をしたっていうんだ……」

 僕の言葉にヨアヒムくんから発せられる殺気が一段と強くなり、それだけで眉間に穴が空きそうなくらいだ。
 眉間に射るぞ、と誰でもわかるくらいはっきりと伝わってくるけど、これを凌ぐのはなかなか大変そうで困る。
 背を向けて逃げても、後頭部をぶち抜いて眉間から貫通させるくらいはしてくるだろう。
 何の因果かわからないけど、やるしかないらしい。

「覚悟は出来ましたか?」

「出来たら逃げたいです」

 そう言うと、ヨアヒムくんはにたりと笑った。
 これまでに見せた爽やかな笑みではなくて、どうにも性格の悪そうな笑い方だ。

「貴方を倒します」

「そこを何とか!」

「嫌ですよ。 それに」

 ぎりぎり、と更に弦が引き絞られる。
 弓体の唸りは聞くに耐えないほどになり、この矢が放たれた時、どんな一撃が飛び出してくるかわかったもんじゃない。

「口先では情けない事を言いながら、少しずつ立ち位置を変えてますね。 まだ勝とうと望んでいる相手を前に、僕は油断しません」

 上半身は揺らさず、足先だけでヨアヒムくんの正面に立ち位置を変えようとしていたのだけど、あっさりと気付かれてしまった。
 ヨアヒムくんに死角はないだろう。
 だけど、馬の首で正面には撃ちにくいはずだ。

「そして、僕が無意味にお喋りをしていたとは思わないでください」

 話している間に蓄えられた魔力が渦を巻く。

「汚い!?」

「戦術ですよ、これは」

 鏃がめらめらと燃え上がると、あっという間に矢全体に広がり、再び鏃に収束し蒼い炎と化した。
 それだけではなく、矢羽には目に見えるくらい圧縮された風が、弓を構えるヨアヒムくんの髪が揺らす。
 かっと見開かれた青い瞳は、僕のわずかな動作も見逃してくれそうにない。

「僕の矢はソフィア姉様にも届く」

 その言葉を聞いて、萎縮する寸前だった身体が動いた。

「まだソフィアさんより怖くはないね!」

 何をされたか思い出してきた……あの稽古という名の拷問に比べれば、このくらい!
 もう撃たれる前に動いて、あわよくば狙いを外そう、

「中あたります」

 というレベルではなかった。
 どう動いても、確実に僕に当たると確信出来る。
 ソフィアさんに仕込まれた、現状がさっぱりわからなくとも、それが記憶力喪失になろうと忘れられそうにないくらいに身体に叩き込まれた足さばきでも、避けられる気が全くしない。

「我が矢は、竜息の一撃」

 まずは爆発。
 台風でも来たみたいな暴風が、ヨアヒムくんの矢羽から巻き起こった。
 暴風と何本と束ねて作られた、常人では引くのも難しそうな太い弦が矢を前に押し出し、圧倒的な加速を生み出す。
 視認出来るどころじゃない、とんでもない速さ。
 けど、

「まっすぐ飛んで来るとわかってるなら!」

 ありったけの魔力を、とにかくぶちこむようにして魔術として変換。
 急ぎすぎて、暴発しそうになる構成を無理矢理ねじ伏せ、雷の魔術を発動させた。
 放たれたのは、九本の雷だ。

「これなら」

 うっすらわかっているけど、無理に決まっている。
 そう思考が形作られる前に、雷の魔術があっさりと貫かれた。

「ふっ!」

 踵を付け、力の入りやすい構えを取る。
 脱力、緊張、開放。
 その三つは同じように、剣速もこれまでにないくらい上げてくれる。
 矢の軌道に重ねるようにして振った聖剣は、ぎりぎりで間に合う。

「んなっ!?」

 聖剣と矢が噛み合った瞬間、鏃が大きく爆発して弾き返されるけど、まだ僕の眉間には尻の穴がきゅっと締まるような悪寒がある。
 不思議と、爆煙がスロー再生のように、ゆっくりと広がっていく。
 なんだこれ、と思う間もなく、煙の中心が広がる。
 ヨアヒムくんの放った矢が生み出す風が、勢いよく煙を吹き飛ばす。
 考えるまでもなく僕の眉間をぶち抜くコース、スローになった時間の中で、放れた矢だけが元の時間の中にある。
 刻一刻と距離を縮める矢、僕の身体はまるでコンクリート詰めにされたように動かない。
 動かなければ死ぬ。

「嫌だ」

 死ぬのは怖いし、ルーは怒るだろうし、マゾーガは静かに悲しむだろう。
 出会ってきた人達も悲しんでくれるかもしれないけど、それを救いと思えるほど達観出来てない。
 死ぬのは嫌で、痛いのは嫌で、悲しませるのは嫌で、辛いのも嫌だ。
 そこでソフィアさんは、と考えた。
 仕方のない奴だ、と呆れるだろうか。 
 情けない奴め、と冷たく見下すだろうか。
 それとも何かの間違いで、悲しんでくれるだろうか?

「というか……!」

 腕を斬られて、足を斬られて、投げ飛ばされて、気絶したら水ぶっかけられて、殺気浴びせられて、まだ終わらないし、いつまで続くのかわからないし、もうやめてっていってもやめてくれないししんじゃうもうむりだしかんべんしてくだ、やめてやめてにんげん、そんなことできない、さきにうごいたらしぬ、うごかなかったらしぬ、かんぺきにつんでますし、どんだけ……!

「あの稽古続けるよりは、今の方が生き残れるだろ!」

 そう考えれば、まだマシだ!
 動きだしは肩から、緊張していた筋肉をふわりと緩める。
 その緩みは肘へと伝わり、指先へと通った。
 握り締めていた邪魔な聖剣は地に落ちて、右腕が自由を取り戻す。
 同時に再び力を籠め、勇者の力を全て右腕に集める。
 毛細血管の隅々まで勇者の力が流れるイメージ、自分でも驚くくらいにスムーズに流れた。
 指先の血管が、集め過ぎた力のせいで破裂するけど、そんな事に頓着したせいで脳ミソに風穴が開く未来は認められない。
 足はべた足で、身体全体に力を籠める。

「う」

 始めは足指、

「ご」

 次は腰、

「け!」

 肩、肘、手指までの力を一気に開放。

「取った!」

 硬い感触が手の中に生まれる。
 見るまでもなく、矢だった。
 たらりと垂れてくる血は、眉間から。
 軽く刺さってる……!

「止めてくると思いましたよ!」

「そんな信頼感いらない!」

 ぱからぱから、と能天気な音ではなく、まるで地響きのような音を立てながら、黒く巨大な馬が駆ける。
 走るトラックの正面に立った気分、だけど左右に避けたら間違いなくヨアヒムくんに撃たれる未来しか見えない。

「もうやだ、この姉弟!」

「正面から!? 正気ですか!」

 敵に正気を疑われながら、僕は真っ直ぐに前に出た。
 左右なら馬を避け、矢を避けという二手。
 正面なら馬を避けるだけの一手。
 合理的に考えて、これが正解のはずなんだけど、自分でもちっとも合理的に思えないのは何故だろう。

「正気でソフィアさんの稽古を受けられるかー!」

「くあっ!?」

 全力で飛び込んでみたら、自分でも思ってもみなかった速さが生まれ、ヨアヒムくんに身体ごとぶつかってしまった。

「げほっ、げほっ!」

 ヨアヒムくんを馬から叩き落とし、一緒に落ちた衝撃は案外大きく、頭がくらくらする。
 掴んだはずのヨアヒムくんを見失い、どこだ、と顔を回して探してみれば、向こうもこちらを探していたらしく目が合った。
 戦意は消えていないけど、左の肩がおかしな具合に歪んでいる。
 落馬した時に脱臼でもしたのかもしれないが、僕も矢を掴んだ時から右腕がぴくりとも動かない。
 そして聖剣を片腕で振るのは厳しいし、このまま待てば馬が戻ってきてしまう。

「ちくしょう……!」

 たまにはスマートでクールに勝ちたい!
 そんな事を思いながら、僕はヨアヒムくんに駆け寄った。
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