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二十一話 所詮、棒振り 下下
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「ぬおりゃぁぁぁぁぁ!」
立とうとしているが、まだしゃがみこんで動けないヨアヒムにリョウジが飛びかかった。
身体全体で押し倒すように、というよりも途中でつんのめって転んだようにも見える無様さだ。
「な、なんでアカツキは素手で殴りかかってますの!?」
「片腕をどうにかしたようだな」
骨が折れた様子はないが、だらんと伸びたままの腕は指先から血が滴っている。
だが、あれくらい気にするような躾かたはしていないし、その証拠に額から流れる血はまったく気にせず、リョウジはヨアヒムに馬乗りになった。
「マウント取りましたわー!」
隠れるのを忘れたのか、ルーテシアは歓声を上げ両手を挙げて喜びを露にする。
ルーテシアの喜びの声に応えるように、リョウジはヨアヒムの顔面に思いきり拳を降り下ろした。
離れているこちらまで聞こえてくるような鈍い音、リョウジの表情に苦痛の色が現れる。
ヨアヒムの表情は草むらに隠れて見えないが、どうやら上手いことやったらしい。
「むう、あの土壇場で、拳に頭突きを合わぜるとは……」
「組打ちも仕込んであるからな」
拳に硬い額を打ち付ければ、自分も痛いが拳を打ち込んだ方は細い指の骨が馬鹿になりかねない。
もし馬乗りになられたら、こう返せというお手本通り拳を潰し、ヨアヒムは両の足怯んだリョウジの胴に絡ませ、その上半身を後ろに引き倒した。
「クロ!」
ヨアヒムの肩も妙な具合に歪み、はっきりと脱臼しているのが見える。
まだ身体が出来上がっていないヨアヒムがあれほどの強弓を扱うには、少しでも射が乱れれば肩くらいは簡単に外れてしまう。
まだ未熟だが、自分だけの力で戦おうとするのではなく、信頼する愛馬を使って勝とうとする姿勢は悪くない。
「ぬがぁぁぁぁ!」
ヨアヒムの馬が襲いかかろうとする前に、リョウジは再びヨアヒムに飛びかかり、二人は草むらに転げ回った。
少しでも離れれば、馬に襲われるとわかっているだけに抵抗するヨアヒムに、リョウジは必死に食い下がる。
「か、噛み付きなんて勇者のする事ですか!?」
「ふぎぃー! ふぎふぎふぎぃー!」
「なんという泥試合だ……」
途中まではかなり見るべき所があったのだが、どうしてこうなった。
「決着着きますの、これ」
「知らん、こうまで泥々では何とも言えん」
馬乗りに相手を殴れるわけでもなく、ひたすら転げ周りながら、ぼかぼかと殴りあう様はまるで子供の喧嘩だ。
いつもの柔らかな笑みはどこへ消えたのか、ヨアヒムは眦まなじりを吊り上げ、殴られれば負けてなるものかと必死に殴り返す。
自信と慢心の混ざりものではなく、純度の高い闘争心に彩られるヨアヒムの姿は、なかなか悪くない。
昨日までのヨアヒムは、あんなに見事な射は見せられなかった、あそこまで戦おうとはしなかった。
今日のヨアヒムは最後の最後まで足掻き、戦い抜くだろう。
リョウジと戦わせてよかった。
「ところで、どうずる、ソフィア」
「……どうするべきかな?」
「止めるか?」
子供の喧嘩は、どちらも相手を仕留める力も技もない。
精も根も使い果たしたリョウジとヨアヒムは、もはや子供の喧嘩の域だ。
ヨアヒムの馬もこれが命懸けの決闘ではなく、子供の喧嘩になっているとわかったのか、のんびりと草を食み始めた。
「砂かけるとか卑怯だろ!?」
「卑怯というのは油断した側が言うものです!」
顔中を腫らしながら、二人は何とも平和な殴り合いを続けている。
指でつついただけで倒れこみそうな頼りない足取りで、二人はよたよたと相手へと向かう。
そして、
「うおおおおお!」
へろへろとした拳が、
「はあああああ!」
お互いの顔面をとらえ、
「うぼっ」
「あう」
と、二人まとめて仰向けに倒れた。
相手の拳が効いたというより、ただ体力の限界を迎えただけのようだ。
「引き分けだな、これは」
しまらないオチだが、どちらかが死ぬよりはよかったのかもしれない、と気付けば私は安堵の溜め息を吐いていた。
「ふむ」
それがいいのか悪いのかはわからないが、人間くさい事だ。
甘くなったのか、それとも元々こうだったのか。
今の世ではこの歳になってやっと自由に歩き回れるようになり、前の世では自由だからこそ深く付き合えそうな相手から逃げてきた。
何とも我ながら情けない。
「行きますわよ!」
「ああ」
倒れた二人に向かい、走るルーテシアとマゾーガの背を見ながら、私はゆっくりと歩く。
ここで走らない自分が薄情なような気がしながらも、死んではいないのだから何とかなるだろうと思ってしまい、二人のように慌てられない。
揺れる心は弱さだと思い、揺れられない心もまた弱さという気もする。
人の世はなかなかに難しいものだ。
そして、まず気付いたのはルーテシアだった。
「っ!」
足を止め、愕然とした表情でこちらを振り返る。
だが視界は私を捉えていない。
「なにが」
あった、と問いかけようとした瞬間、私は弾かれるように背後を振り返る。
それは背筋が粟立ち、冷や汗が流れるほどの膨大な死、そのもの。
地を押し流す津波のような魔力が、遥か彼方から押し寄せてくる。
「魔王……」
呆然としたルーテシアの声が聞こえるが、私の中で意味を持った言葉として理解する余裕がない。
遥か遠くで無軌道に垂れ流されていた魔力が、暴力的なまでに乱暴な構成で力任せに折り畳まれ、悲鳴を上げながら編まれていく。
津波が一点に吸い上げられ、山々の向こうから自然にはあり得ない黒い光を成す。
それはまるで太陽だ。
黒い太陽が空に顕現し、人間達を照らす。
「落ちる……」
それはルーテシアの言葉か、マゾーガの言葉か、それとも私の言葉か。
あまりの光景に、私はわからなくなっていた。
山々の向こうに、ゆっくりと落ちていく黒い太陽がどうなるのかはわからない。
ただ一つだけわかる事がある。
あの太陽の下にいる全ての命は、絶対に助からない。
人間、魔物問わず絶対の死をもたらす。
数刻後、私達は王国軍が壊滅した事を知る。
立とうとしているが、まだしゃがみこんで動けないヨアヒムにリョウジが飛びかかった。
身体全体で押し倒すように、というよりも途中でつんのめって転んだようにも見える無様さだ。
「な、なんでアカツキは素手で殴りかかってますの!?」
「片腕をどうにかしたようだな」
骨が折れた様子はないが、だらんと伸びたままの腕は指先から血が滴っている。
だが、あれくらい気にするような躾かたはしていないし、その証拠に額から流れる血はまったく気にせず、リョウジはヨアヒムに馬乗りになった。
「マウント取りましたわー!」
隠れるのを忘れたのか、ルーテシアは歓声を上げ両手を挙げて喜びを露にする。
ルーテシアの喜びの声に応えるように、リョウジはヨアヒムの顔面に思いきり拳を降り下ろした。
離れているこちらまで聞こえてくるような鈍い音、リョウジの表情に苦痛の色が現れる。
ヨアヒムの表情は草むらに隠れて見えないが、どうやら上手いことやったらしい。
「むう、あの土壇場で、拳に頭突きを合わぜるとは……」
「組打ちも仕込んであるからな」
拳に硬い額を打ち付ければ、自分も痛いが拳を打ち込んだ方は細い指の骨が馬鹿になりかねない。
もし馬乗りになられたら、こう返せというお手本通り拳を潰し、ヨアヒムは両の足怯んだリョウジの胴に絡ませ、その上半身を後ろに引き倒した。
「クロ!」
ヨアヒムの肩も妙な具合に歪み、はっきりと脱臼しているのが見える。
まだ身体が出来上がっていないヨアヒムがあれほどの強弓を扱うには、少しでも射が乱れれば肩くらいは簡単に外れてしまう。
まだ未熟だが、自分だけの力で戦おうとするのではなく、信頼する愛馬を使って勝とうとする姿勢は悪くない。
「ぬがぁぁぁぁ!」
ヨアヒムの馬が襲いかかろうとする前に、リョウジは再びヨアヒムに飛びかかり、二人は草むらに転げ回った。
少しでも離れれば、馬に襲われるとわかっているだけに抵抗するヨアヒムに、リョウジは必死に食い下がる。
「か、噛み付きなんて勇者のする事ですか!?」
「ふぎぃー! ふぎふぎふぎぃー!」
「なんという泥試合だ……」
途中まではかなり見るべき所があったのだが、どうしてこうなった。
「決着着きますの、これ」
「知らん、こうまで泥々では何とも言えん」
馬乗りに相手を殴れるわけでもなく、ひたすら転げ周りながら、ぼかぼかと殴りあう様はまるで子供の喧嘩だ。
いつもの柔らかな笑みはどこへ消えたのか、ヨアヒムは眦まなじりを吊り上げ、殴られれば負けてなるものかと必死に殴り返す。
自信と慢心の混ざりものではなく、純度の高い闘争心に彩られるヨアヒムの姿は、なかなか悪くない。
昨日までのヨアヒムは、あんなに見事な射は見せられなかった、あそこまで戦おうとはしなかった。
今日のヨアヒムは最後の最後まで足掻き、戦い抜くだろう。
リョウジと戦わせてよかった。
「ところで、どうずる、ソフィア」
「……どうするべきかな?」
「止めるか?」
子供の喧嘩は、どちらも相手を仕留める力も技もない。
精も根も使い果たしたリョウジとヨアヒムは、もはや子供の喧嘩の域だ。
ヨアヒムの馬もこれが命懸けの決闘ではなく、子供の喧嘩になっているとわかったのか、のんびりと草を食み始めた。
「砂かけるとか卑怯だろ!?」
「卑怯というのは油断した側が言うものです!」
顔中を腫らしながら、二人は何とも平和な殴り合いを続けている。
指でつついただけで倒れこみそうな頼りない足取りで、二人はよたよたと相手へと向かう。
そして、
「うおおおおお!」
へろへろとした拳が、
「はあああああ!」
お互いの顔面をとらえ、
「うぼっ」
「あう」
と、二人まとめて仰向けに倒れた。
相手の拳が効いたというより、ただ体力の限界を迎えただけのようだ。
「引き分けだな、これは」
しまらないオチだが、どちらかが死ぬよりはよかったのかもしれない、と気付けば私は安堵の溜め息を吐いていた。
「ふむ」
それがいいのか悪いのかはわからないが、人間くさい事だ。
甘くなったのか、それとも元々こうだったのか。
今の世ではこの歳になってやっと自由に歩き回れるようになり、前の世では自由だからこそ深く付き合えそうな相手から逃げてきた。
何とも我ながら情けない。
「行きますわよ!」
「ああ」
倒れた二人に向かい、走るルーテシアとマゾーガの背を見ながら、私はゆっくりと歩く。
ここで走らない自分が薄情なような気がしながらも、死んではいないのだから何とかなるだろうと思ってしまい、二人のように慌てられない。
揺れる心は弱さだと思い、揺れられない心もまた弱さという気もする。
人の世はなかなかに難しいものだ。
そして、まず気付いたのはルーテシアだった。
「っ!」
足を止め、愕然とした表情でこちらを振り返る。
だが視界は私を捉えていない。
「なにが」
あった、と問いかけようとした瞬間、私は弾かれるように背後を振り返る。
それは背筋が粟立ち、冷や汗が流れるほどの膨大な死、そのもの。
地を押し流す津波のような魔力が、遥か彼方から押し寄せてくる。
「魔王……」
呆然としたルーテシアの声が聞こえるが、私の中で意味を持った言葉として理解する余裕がない。
遥か遠くで無軌道に垂れ流されていた魔力が、暴力的なまでに乱暴な構成で力任せに折り畳まれ、悲鳴を上げながら編まれていく。
津波が一点に吸い上げられ、山々の向こうから自然にはあり得ない黒い光を成す。
それはまるで太陽だ。
黒い太陽が空に顕現し、人間達を照らす。
「落ちる……」
それはルーテシアの言葉か、マゾーガの言葉か、それとも私の言葉か。
あまりの光景に、私はわからなくなっていた。
山々の向こうに、ゆっくりと落ちていく黒い太陽がどうなるのかはわからない。
ただ一つだけわかる事がある。
あの太陽の下にいる全ての命は、絶対に助からない。
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数刻後、私達は王国軍が壊滅した事を知る。
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