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二十五話 恋焦がれるように 下
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勝ちも負けも、どこか遠い。
その心持ちは軽かった。
頭で考える、ということがこんなにも身体の邪魔になるのか、と新鮮な驚きが浮かび、泡のように消える。
視界は広々としているくせに、見えるのはソフィアさんだけだ。
袴の内では足が動き、構えが上段から柄を耳の横で立てるような右八双に変化していた。
ソフィアさんは微妙に柄の持ち手を調整しており、これまで間合いを取らせて貰えなかった理由の一つにやっと気付けた。
数ミリか、大きくて一センチほどの差だけど、見切ろうと思ったら、その僅かな差が大きい。
元の世界の剣道では邪道だろうが、必要な理由があるならソフィアさんは何でもするだろうし、僕もする。
それは卑怯未練ではなくて、ただ全てを出し切ろうという意思だし、やられる方が間抜けなんだ。
正しい剣の道かどうかは知らないけれど、必要があるならやる。
「ーーーぁ」
長く、細く息を吐き切る。
しかし、呼吸すら自分の思うがままに出来ないこの状況では、小細工をしている余裕なんてない。
脇を見せるような脇構えから、右足の横にだらりとたらした下段へとソフィアさんは移っていく。
腹をさらけ出すのは、怖い。
だけど、身体は勝手に聖剣を天に掲げる。
腹を相手につき出すくらいの上段で、ソフィアさんを迎え撃つ。
どこで行く、と考える。
ソフィアさんから発せられる気は、波打ち際のように押しては引き、引いては押す。
しかし、これは実なのだろうか。
猫族のアンジェリカ・ゴッドスピードのような虚の流れかもしれない。
そう考えると一歩踏み込んで剣を振るだけの簡単な動作が、清水の舞台から飛び降りるような無理難題に思えてくる。
どうする、と考えようと答えは見付からず、頭の中が迷いと焦りで満たされてしまう。
もう一度、どうする?と僕は自分に問いかける。
答えはない。
柄を握る手の平には汗が滲み出し、足元を途端に不安に思い始める。
自分がまばたきをしていたかどうかも思い出せないくらい、どうしようもなく目が乾く。
身体の中を流れる勇者の力は消え失せ、いつものように力強い脈動をまったく感じない。
なんだ、これは。
膝が僅かに震えを帯び、喚き出したくなり、ふと気付いた。
ソフィアさんの額に、汗が浮かんでいる。
真珠のような汗が眉間を流れ、眼窩の窪みに落ち、形のいい鼻筋を通る。
微笑の浮かんだ口端を掠め、綺麗な顎からぽたりと落ちた。
ああ、ソフィアさんも疲れているんだ。
ソフィアさんも人間なんだと僕はその時、初めて気付いた。
完璧でもなく、疲れを知らない無敵でもない。
確かに地面から雲の上を想像するような、遥かな高みにソフィアさんはいるんだろう。
でも彼女は人間だ。
ソフィアさんは僕と同じ人間だったんだ。
「なら」
全知全能の神様じゃない。
息を大きく吸い込んで、大きく吐いた。
瞼を閉じて、自分の中の闇を見る。
肩から余計な力を抜き、足の指先が地を噛む事を確かめ、柄を強く握り締め過ぎて白くなっていた指先から力を抜いて血を送り込む。
この隙に斬られるかもしれない、と考えてみたものの、目をつぶって生まれた闇の中でとくん、とくんと自分の鼓動を二回聞いて、目をしっかりと開いた。
ソフィアさんの青い目が、とても綺麗だと気付く。
踏み出す足は軽く、降り下ろした剣は僕の最速。
これまでの人生にもなく、これからの人生にもあるかわからないくらいの一振りだ。
しかし、ソフィアさんが簡単に斬れるはずもない。
僕の最良の一撃は、下段から振り抜かれた一撃とぶつかり合う。
火花が飛び散り、剣と剣が弾かれる。
一瞬遅れて、打ち合う音がした。
虚を突けたはずで、僕の最高の一撃だったはずだ。
なのにソフィアさんは止めてみせてくれた。
それは悔しさよりも、不思議と嬉しさの方が勝り、
「ああ」
勝利の確信と共に、僕は悲しさを得た。
その心持ちは軽かった。
頭で考える、ということがこんなにも身体の邪魔になるのか、と新鮮な驚きが浮かび、泡のように消える。
視界は広々としているくせに、見えるのはソフィアさんだけだ。
袴の内では足が動き、構えが上段から柄を耳の横で立てるような右八双に変化していた。
ソフィアさんは微妙に柄の持ち手を調整しており、これまで間合いを取らせて貰えなかった理由の一つにやっと気付けた。
数ミリか、大きくて一センチほどの差だけど、見切ろうと思ったら、その僅かな差が大きい。
元の世界の剣道では邪道だろうが、必要な理由があるならソフィアさんは何でもするだろうし、僕もする。
それは卑怯未練ではなくて、ただ全てを出し切ろうという意思だし、やられる方が間抜けなんだ。
正しい剣の道かどうかは知らないけれど、必要があるならやる。
「ーーーぁ」
長く、細く息を吐き切る。
しかし、呼吸すら自分の思うがままに出来ないこの状況では、小細工をしている余裕なんてない。
脇を見せるような脇構えから、右足の横にだらりとたらした下段へとソフィアさんは移っていく。
腹をさらけ出すのは、怖い。
だけど、身体は勝手に聖剣を天に掲げる。
腹を相手につき出すくらいの上段で、ソフィアさんを迎え撃つ。
どこで行く、と考える。
ソフィアさんから発せられる気は、波打ち際のように押しては引き、引いては押す。
しかし、これは実なのだろうか。
猫族のアンジェリカ・ゴッドスピードのような虚の流れかもしれない。
そう考えると一歩踏み込んで剣を振るだけの簡単な動作が、清水の舞台から飛び降りるような無理難題に思えてくる。
どうする、と考えようと答えは見付からず、頭の中が迷いと焦りで満たされてしまう。
もう一度、どうする?と僕は自分に問いかける。
答えはない。
柄を握る手の平には汗が滲み出し、足元を途端に不安に思い始める。
自分がまばたきをしていたかどうかも思い出せないくらい、どうしようもなく目が乾く。
身体の中を流れる勇者の力は消え失せ、いつものように力強い脈動をまったく感じない。
なんだ、これは。
膝が僅かに震えを帯び、喚き出したくなり、ふと気付いた。
ソフィアさんの額に、汗が浮かんでいる。
真珠のような汗が眉間を流れ、眼窩の窪みに落ち、形のいい鼻筋を通る。
微笑の浮かんだ口端を掠め、綺麗な顎からぽたりと落ちた。
ああ、ソフィアさんも疲れているんだ。
ソフィアさんも人間なんだと僕はその時、初めて気付いた。
完璧でもなく、疲れを知らない無敵でもない。
確かに地面から雲の上を想像するような、遥かな高みにソフィアさんはいるんだろう。
でも彼女は人間だ。
ソフィアさんは僕と同じ人間だったんだ。
「なら」
全知全能の神様じゃない。
息を大きく吸い込んで、大きく吐いた。
瞼を閉じて、自分の中の闇を見る。
肩から余計な力を抜き、足の指先が地を噛む事を確かめ、柄を強く握り締め過ぎて白くなっていた指先から力を抜いて血を送り込む。
この隙に斬られるかもしれない、と考えてみたものの、目をつぶって生まれた闇の中でとくん、とくんと自分の鼓動を二回聞いて、目をしっかりと開いた。
ソフィアさんの青い目が、とても綺麗だと気付く。
踏み出す足は軽く、降り下ろした剣は僕の最速。
これまでの人生にもなく、これからの人生にもあるかわからないくらいの一振りだ。
しかし、ソフィアさんが簡単に斬れるはずもない。
僕の最良の一撃は、下段から振り抜かれた一撃とぶつかり合う。
火花が飛び散り、剣と剣が弾かれる。
一瞬遅れて、打ち合う音がした。
虚を突けたはずで、僕の最高の一撃だったはずだ。
なのにソフィアさんは止めてみせてくれた。
それは悔しさよりも、不思議と嬉しさの方が勝り、
「ああ」
勝利の確信と共に、僕は悲しさを得た。
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