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真相
真相1――日野聡の場合
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意を決して、俺は框の向こう、じわじわと闇が滲み始めたリビングを見つめた。
黒く沈んだ空気が部屋全体を覆い、床に伸びる影が歪み、揺らめいているように見える。まるで何かがそこにいるかのような、不定形の存在がゆっくりと形を成し、こちらを覗いているような錯覚を覚えた。
美知佳さんをホテルに残し、俺と水野さんは再び「あの家」へと向かった。
撤収することは既定路線だったが、雄介先輩は美知佳さんとともに「日野さん」の失踪について警察に相談しに行くことに決まり、俺たちだけが再びこの不気味な家へ足を踏み入れることになった。
雪乃さんの容態が気がかりではあるものの、それ以上に解決しなければならない問題が山積みだった。
水野さんは、この家の内部に何か異質なものが存在し、それが影響を及ぼして「雪乃さん」や「日野さん」が霊障を受けているのではないかと推測した。
撤収するにしても、家の中に残された機材を回収しなければならないし、もし霊障の原因が家に居座る何かであるなら、それを祓わない限り状況は悪化する一方だ。
あるいは、それがすでに雪乃さんや日野さんに取り憑いている可能性も考えられるが、病院のICUにいる雪乃さんを除霊することは現実的ではないし、行方不明のままの「日野さん」に対して除霊を行うこともできない。となると、結局はこの「家」に巣食うものをどうにかするほかに方法はない、というのが水野さんの意見だった。
「幽霊は意識に入り込んで幻覚を見せることがある」と水野さんは言い、今ここで俺たちが目にするものが現実かどうかを確かめるためにも、カメラを回しておくべきだと提案した。
家の中に設置していた機材は、おそらくほとんどがバッテリー切れか、まともに作動しないだろうということで、俺が使えるのは手元のスマホだけだった。幸いにも、バッテリーは十分に残っている。
足元の軋む音に、俺は思わず肩を震わせた。気のせいか、床のきしみが何かの囁きのように聞こえ、天井の隅で何かが動いたような気がした。
冷たい空気が頬を撫でる。息を詰めながら、俺はもう一度、框の向こうに目を凝らした。
*********
「さぁて。お客様、ご来店~」
ヘッドセットの接続状況を確認しながら、日野聡は三階の小屋裏、僅かに軋むフローリングの上に腰を下ろし、パソコンのモニターを眺めた。青白い光が彼の顔を不気味に照らし出し、唇に浮かんだ薄笑いの輪郭を際立たせる。金本美知佳が組んでくれたネットワーク設定は問題なく稼働し、延長コードで引いた電源のおかげでスマホの充電にも困らない。
この三角屋根の家の最上部、小屋裏は思いのほか広く、天井はむき出しの梁が走り、床の一部だけがフローリングで覆われている。荷物が無造作に積まれた隅を除けば、大人が三人ほど寝転がれるほどのスペースがあり、屈まずとも歩ける程度の天井高も確保されていた。二階の間取り図を慶太に見せると雄介が言い出した時、「さすがにバレるのでは?」と不満を漏らしたものの、どうやら杞憂だったようだ。
慶太に渡された図面には、二階までの間取りしか記されておらず、小屋裏に至るスライドタラップ式の階段についての記載がなかった。二階の階段を上がりきった踊り場の天井に隠されたその階段は、普段、鍵爪型の長い棒で施錠されており、簡単には引き出せない仕組みになっている。
階段の一段が通常より高く、足元を慎重に見ていなければ踏み外しかねないため、必然的に視線は下に向き、天井に目を向けることはほぼない。
その上、各部屋のカメラや計器のチェック時には、誰かしら「あやかし」のメンバーが随行し、巧妙に視線を誘導することで、慶太の意識が二階の踊り場の天井部に向かないよう細工を施していた。
気づくのは時間の問題だとは思ったが、今のところ、その作戦は成功している。
慶太は、まだ小屋裏の存在にすら気づいていない。
この隠れ場所へと続くルートは二つ。
一つはスライドタラップを降ろして通常の階段として利用する方法。
そしてもう一つは、二階の洋室のクローゼットの奥に隠された抜け道を使うこと。天井板を押し上げれば、そのまま小屋裏へと這い上がれる仕組みになっている。
ただ、最大の問題は、家の中に仕掛けられたカメラだった。監視カメラについては金本が掌握しているため、怪しい映像は事前に潰してしまえばいい。しかし、現場に到着した際に、何気なくチェックされるカメラデータに、日野や木村、金田、さらには雪乃の姿が頻繁に映り込んでいるようでは都合が悪い。
計画が露呈するわけにはいかなかった。
「水野さん、うまい具合にやってくださいよ~」
日野は祈るような気持ちで、リビングの映像に映る水野を見つめた。
彼は今まさに「儀式」の最中だった。
ぼんやりとしたLEDの光が、薄闇に沈む部屋の中で揺らめいている。手元に握られた数珠を静かに擦り合わせ、低く何事かを呟く水野の姿は、確かにそれらしく見えた。
慶太はまんまと信じ込んでいる――水野を「本物の霊能力者」だと。
だが、実際のところ彼は紛れもない偽物だった。
水野は元々、一人で「霊能捜査」めいた動画を配信していた。
能面をかぶり、今の「水野春明」という活動名とは違う名前を使い、それらしく演出を凝らしていたが、「あやかし」とのコラボがすべての歯車を狂わせた。
雄介と土屋に厳しく追及された末、「偽物」だと露見し、結果として彼は今の立場に落ち着いた。
もっとも、すべてが悪い話ではなかった。
水野が出演した回の動画は異常なほど再生数を稼ぎ、登録者数も劇的に跳ね上がった。さらに、単独で他チャンネルからのオファーまで舞い込むようになり、本人にとっても意外なほどの「旨味」があったのだ。だからこそ、この秘密は厳重に秘匿されたまま、互いに都合の良い関係が続いている。
今回の件も、その延長線上にある。
幽霊屋敷に仕立て上げられたこの古びた民家――その実態は、ただの取り壊しを待つだけの空き家にすぎない。しかし、「それらしく見せる」ことさえできれば、人は勝手に恐怖し、疑いようのない「本物」へと仕立て上げてくれる。
怨霊が巣食うかのような演出を加え、心霊スポットとして話題に仕立て上げようと持ちかけたのは、他ならぬ雄介だった。その時の彼の顔と、しぶしぶながらも協力せざるを得なくなった水野の苦い表情が、日野の脳裏に蘇る。
「さぁて、慶太くん。そろそろ『怖がってくれる』頃かな?」
ほくそ笑みながら、日野はモニターに映る慶太の姿を追った。
水野の背後でスマホを片手に微動だにせず様子を撮影しようとしている。
完全にこの家の仕掛けに絡め取られ、次第に疑念と恐怖に飲み込まれていく様子が、日野にはたまらなく滑稽に思えた。
モニターの光が、彼の笑みを一層、不気味に照らし出していた。
黒く沈んだ空気が部屋全体を覆い、床に伸びる影が歪み、揺らめいているように見える。まるで何かがそこにいるかのような、不定形の存在がゆっくりと形を成し、こちらを覗いているような錯覚を覚えた。
美知佳さんをホテルに残し、俺と水野さんは再び「あの家」へと向かった。
撤収することは既定路線だったが、雄介先輩は美知佳さんとともに「日野さん」の失踪について警察に相談しに行くことに決まり、俺たちだけが再びこの不気味な家へ足を踏み入れることになった。
雪乃さんの容態が気がかりではあるものの、それ以上に解決しなければならない問題が山積みだった。
水野さんは、この家の内部に何か異質なものが存在し、それが影響を及ぼして「雪乃さん」や「日野さん」が霊障を受けているのではないかと推測した。
撤収するにしても、家の中に残された機材を回収しなければならないし、もし霊障の原因が家に居座る何かであるなら、それを祓わない限り状況は悪化する一方だ。
あるいは、それがすでに雪乃さんや日野さんに取り憑いている可能性も考えられるが、病院のICUにいる雪乃さんを除霊することは現実的ではないし、行方不明のままの「日野さん」に対して除霊を行うこともできない。となると、結局はこの「家」に巣食うものをどうにかするほかに方法はない、というのが水野さんの意見だった。
「幽霊は意識に入り込んで幻覚を見せることがある」と水野さんは言い、今ここで俺たちが目にするものが現実かどうかを確かめるためにも、カメラを回しておくべきだと提案した。
家の中に設置していた機材は、おそらくほとんどがバッテリー切れか、まともに作動しないだろうということで、俺が使えるのは手元のスマホだけだった。幸いにも、バッテリーは十分に残っている。
足元の軋む音に、俺は思わず肩を震わせた。気のせいか、床のきしみが何かの囁きのように聞こえ、天井の隅で何かが動いたような気がした。
冷たい空気が頬を撫でる。息を詰めながら、俺はもう一度、框の向こうに目を凝らした。
*********
「さぁて。お客様、ご来店~」
ヘッドセットの接続状況を確認しながら、日野聡は三階の小屋裏、僅かに軋むフローリングの上に腰を下ろし、パソコンのモニターを眺めた。青白い光が彼の顔を不気味に照らし出し、唇に浮かんだ薄笑いの輪郭を際立たせる。金本美知佳が組んでくれたネットワーク設定は問題なく稼働し、延長コードで引いた電源のおかげでスマホの充電にも困らない。
この三角屋根の家の最上部、小屋裏は思いのほか広く、天井はむき出しの梁が走り、床の一部だけがフローリングで覆われている。荷物が無造作に積まれた隅を除けば、大人が三人ほど寝転がれるほどのスペースがあり、屈まずとも歩ける程度の天井高も確保されていた。二階の間取り図を慶太に見せると雄介が言い出した時、「さすがにバレるのでは?」と不満を漏らしたものの、どうやら杞憂だったようだ。
慶太に渡された図面には、二階までの間取りしか記されておらず、小屋裏に至るスライドタラップ式の階段についての記載がなかった。二階の階段を上がりきった踊り場の天井に隠されたその階段は、普段、鍵爪型の長い棒で施錠されており、簡単には引き出せない仕組みになっている。
階段の一段が通常より高く、足元を慎重に見ていなければ踏み外しかねないため、必然的に視線は下に向き、天井に目を向けることはほぼない。
その上、各部屋のカメラや計器のチェック時には、誰かしら「あやかし」のメンバーが随行し、巧妙に視線を誘導することで、慶太の意識が二階の踊り場の天井部に向かないよう細工を施していた。
気づくのは時間の問題だとは思ったが、今のところ、その作戦は成功している。
慶太は、まだ小屋裏の存在にすら気づいていない。
この隠れ場所へと続くルートは二つ。
一つはスライドタラップを降ろして通常の階段として利用する方法。
そしてもう一つは、二階の洋室のクローゼットの奥に隠された抜け道を使うこと。天井板を押し上げれば、そのまま小屋裏へと這い上がれる仕組みになっている。
ただ、最大の問題は、家の中に仕掛けられたカメラだった。監視カメラについては金本が掌握しているため、怪しい映像は事前に潰してしまえばいい。しかし、現場に到着した際に、何気なくチェックされるカメラデータに、日野や木村、金田、さらには雪乃の姿が頻繁に映り込んでいるようでは都合が悪い。
計画が露呈するわけにはいかなかった。
「水野さん、うまい具合にやってくださいよ~」
日野は祈るような気持ちで、リビングの映像に映る水野を見つめた。
彼は今まさに「儀式」の最中だった。
ぼんやりとしたLEDの光が、薄闇に沈む部屋の中で揺らめいている。手元に握られた数珠を静かに擦り合わせ、低く何事かを呟く水野の姿は、確かにそれらしく見えた。
慶太はまんまと信じ込んでいる――水野を「本物の霊能力者」だと。
だが、実際のところ彼は紛れもない偽物だった。
水野は元々、一人で「霊能捜査」めいた動画を配信していた。
能面をかぶり、今の「水野春明」という活動名とは違う名前を使い、それらしく演出を凝らしていたが、「あやかし」とのコラボがすべての歯車を狂わせた。
雄介と土屋に厳しく追及された末、「偽物」だと露見し、結果として彼は今の立場に落ち着いた。
もっとも、すべてが悪い話ではなかった。
水野が出演した回の動画は異常なほど再生数を稼ぎ、登録者数も劇的に跳ね上がった。さらに、単独で他チャンネルからのオファーまで舞い込むようになり、本人にとっても意外なほどの「旨味」があったのだ。だからこそ、この秘密は厳重に秘匿されたまま、互いに都合の良い関係が続いている。
今回の件も、その延長線上にある。
幽霊屋敷に仕立て上げられたこの古びた民家――その実態は、ただの取り壊しを待つだけの空き家にすぎない。しかし、「それらしく見せる」ことさえできれば、人は勝手に恐怖し、疑いようのない「本物」へと仕立て上げてくれる。
怨霊が巣食うかのような演出を加え、心霊スポットとして話題に仕立て上げようと持ちかけたのは、他ならぬ雄介だった。その時の彼の顔と、しぶしぶながらも協力せざるを得なくなった水野の苦い表情が、日野の脳裏に蘇る。
「さぁて、慶太くん。そろそろ『怖がってくれる』頃かな?」
ほくそ笑みながら、日野はモニターに映る慶太の姿を追った。
水野の背後でスマホを片手に微動だにせず様子を撮影しようとしている。
完全にこの家の仕掛けに絡め取られ、次第に疑念と恐怖に飲み込まれていく様子が、日野にはたまらなく滑稽に思えた。
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