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第三章

「家」

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 ツォンフェンを見送った夜。

 コーデリアは静かな室内で、一人、机の上に魔石を並べていた。

 淡い灯りの下、それぞれの石が宿す魔力の色彩が、ほのかに揺らめいている。

 どれも見事な魔石だ。手をかざせば、わずかに波打つように魔素が共鳴するのがわかる。

 そっと指先で触れ、魔力を通す。

 次の瞬間、魔石の内に秘められた魔素が応え、美しい光が迸った。

 青、緑、紫――さまざまな輝きが、静かな炎のように瞬きながら、室内の壁や天井に映り込む。

 まるで星々の瞬きをそのまま閉じ込めたかのような幻想的な光景。

 コーデリアは、掌に乗る小さな光の欠片を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。

(まるで、夜空を閉じ込めたみたい)

 手のひらの上で揺れる輝きを、愛おしげに撫でながら、静かに弄んでいると。

 コンッ。

 扉をノックする音がした。

「……何をしている?」

 低く響く声に、コーデリアは驚いて顔を上げる。

 そこに立っていたのは、濡れた黒髪を無造作にかき上げたカイルだった。

 緩く開いた襟元から覗く鎖骨、湯気がほんのりと肌に残っている。

 どうやら風呂上がりのまま、部屋を訪れたようだった。

「カイル様」

 思わず名を呼ぶ。

 彼はふと視線を室内に向け、部屋のあちこちで踊る虹色の光に気づいた。

 天井を滑る青い輝き、壁に映る金色の軌跡。

 まるで魔法の余韻が宙に漂っているような、不思議な光景に、彼は息を呑んだようだった。

「……どういう仕組みなんだ?」

 カイルの問いに、コーデリアは微笑む。

「魔石に魔力を通せば、内包された魔素が反応して、魔力を光の形で放つんです。ほら、こんなふうに」

 手元の魔石にそっと魔力を注ぐ。

 途端に、光はゆらりと螺旋を描き、ふわりと宙に昇った。

 粒子のような光の欠片がゆっくりと舞い、まるで消えゆく流星のように儚く消えていく。

 カイルは目を細め、しばらくその幻想的な光景を眺めていた。

「……美しいな」

 率直な言葉に、コーデリアは少し照れくさくなる。

 こんなにも真っ直ぐに感想を述べられると、むず痒い気持ちになるものだ。

 ふと、彼の首元で揺れるペンダントに目が留まる。

「そのペンダントも、もっと美しく輝くんですよ」

 興味を惹くように微笑みながら、彼に問いかける。

「見てみませんか?」

 カイルはわずかに首を傾げたが、しばし考えたあと、静かに頷いた。



 **************



 カイルとコーデリアは厚手の外套を羽織り、夜の町を抜け出した。

 イェニーやマートルあたりにでも知られればとんだ大目玉だろうが、今日くらいは見逃して欲しいものである。

 もっとも、窓から屋根を経て外に出たので、気づいているとは思えない。

 地面に降り立った時、子供の悪戯のような表情を浮かべ顔を見合わせたコーデリアは、カイルと相乗りで夜を駆けた。

 ヴァドラドの町並みを見下ろせる、高台の平原。

 街の灯りは小さく瞬き、遠くに連なる森は闇に溶け込んでいる。

 見晴らしの良いこの場所に着く頃には、空は漆黒の帳に包まれ、無数の星が静かに瞬いていた。

 夜の空気は澄んで冷たく、頬を撫でる風が心地よい。

 コーデリアは手綱を引き、馬を落ち着かせる。

 近くの木に軽く繋ぎ、優しく首筋を撫でると、馬は穏やかに鼻を鳴らした。

 逃げ出さないよう確認しながら、そっと手を離し、ふたたびカイルの方を振り返る。

 月明かりに照らされた彼の首元では、青く透き通った雫型のペンダントが光を帯びて揺れていた。

「カイル様。ペンダントをお借りしてもよろしいですか?」
「……師からもらったと言っていたな」

 カイルは短く答えながら、ペンダントを外す。

 コーデリアはそれを受け取りながら、そっと指先で撫でた。

 冷たい硝子のような感触。けれど、内に秘めた魔力が、まるで心音のように微かに脈打っているのを感じる。

「……ラドフェレーグは、私の魔法の師で、幼い頃からずっとそばにいてくれた一番の友人なんです」

 懐かしさが滲むように、微笑みながら静かに続ける。

「剣の師匠もいましたけど、あの人はどちらかというと『体を動かせばなんとかなる』って考えるタイプで。精神的な支えは、やっぱりラドフェレーグの方でした」

 夜の静寂に包まれながら、過去の記憶が蘇る。

 それは、どこか遠く、けれど確かに温かいものだった。

「ライグリッサへ来ることが決まった時、餞別として師匠から渡されました。……このペンダントには、身につけているだけで瘴気を払う力があります。でも、本当の力は別にあるんです」

 コーデリアは青い雫に視線を落としながら、ぽつりと呟く。

「……一度だけ、あらゆる瘴気の毒を癒すことができる。だから、本当は父に使うつもりでした。でも――」

 カイルに目を向け、泣き笑いのような顔で微笑む。

「カイル様のおかげで、使わずに済みました」

 静かに夜風が吹き抜ける。

 コーデリアはそっと目を閉じ、このライグリッサでの暮らしを思い返した。

 ここでの生活は、これまでのどんな日々よりも楽しく、幸せに満ちていた。

「領土に魔獣が溢れているのにか?」

 カイルの静かな問いにコーデリアは力強く首を横に振る。

「魔獣がいるかどうかは、私にとって些末な問題です。私が武器を持てるかどうかに関わらず……ここでの生活は、恵みに満ちています。気さくに声をかけてくれる領民たち。私の魔獣狩りに付き合ってくださる騎士団の皆さんに、𠮟ってくれる使用人たち。おいしいご飯に安心して休める場所――」
「屋敷はもうないが」

 苦笑するカイルの言葉に、コーデリアは振り返る。

 その漆黒の髪が夜風に舞い、月の光を受けて艶やかに揺れた。

「カイル様。それは違います」
「ちがう?」

 コーデリアはまっすぐにカイルの瞳を見つめ、深く頷く。

「……『家』というのは、建物のことではないし、目に見える形ではない。そう教えてくれたのはカイル様です」

 カイルは以前コーデリアに「本当の望みは何か」と問うた。

 ライグリッサでカイルにあった初日、まさか剣を取り交わすとは思わなかったが、その時、カイルはコーデリアに聞いたのだ。

『お前の望みは?』

 今でもしかと思い出せる。まっすぐ問いかけてきた、カイルの言葉を。

 コーデリアはそっとペンダントを両手で包み込み、魔力を注いだ。

 刹那。

 青い閃光が、小さく弾ける。

 それは夜空へと螺旋を描きながら昇り、やがて光の粒が空へと放たれた。

 星の瞬きよりも美しく、舞い踊る蒼の光。

 天へと駆け上がったかと思えば、一瞬にして広がり、まるで流星のように夜空を染めていく。

 幾重にも重なる光の軌跡が、青の燦めきを降らせた。

 カイルは目を見開き、呆然とその光景を見つめる。

「私の望みは、今でも変わりません。そしてそのほとんどは叶ってしまいました。残念ながらお屋敷の修繕はできませんでしたが、それでも心から安心できる場所で、思い切り自分の好きなことをやりたい、という望みは叶いました」

 煌めく雨のように降り注ぐ蒼の光。

 地に落ちる寸前にふっと消えていく、儚くも美しい輝き。

 コーデリアは美しく光り輝く光の中で、カイルにペンダントをそっと差し出す。

「私にとって大切で守りたいと思えるものがあり、心から安心できる私の居場所がある」

 コーデリアは、目の前に立つカイルを見つめ、穏やかに微笑む。

「それが、――私にとっての『家』なんです」

 ひときわ大きく、ペンダントから青い光が煌めいた。

 夜空に向けて高く高く。

 弾けた光が大きな尾を描き、星空の彼方に長く余韻を残す。

 雪のような淡く小さな光の欠片が音も無く静かに舞い降りる。

 カイルはゆっくりと瞬きをし、息を詰めた。

 そして、彼女の隣に立つと、同じように夜空を仰ぎ見た。

 青の光が、消えゆくまで――。



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