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第三章

小神殿での会合(1)

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 ツォンフェンとの会合から数日後。

 朝の冷え込みがまだ残る時間帯、コーデリアはカイルと共に小神殿へと足を運んでいた。

 石造りの厳かな小さな建物の前には、重厚な木製の扉が静かにそびえている。

 いつも固く閉じられているだけの扉の両脇には、珍しく騎士たちが控え、その視線は鋭く、まるで侵入者を警戒するかのようだった。

 扉が開かれると、静謐な空間が広がる。正面奥の台座に設置されている魔道具から左右に伸びる青色の美しい光が、いつもと同じように天井の頂に向けて伸びていた。

 神聖なはずの空間はしかし、今は妙な緊張感に包まれていた。

 すでに中には何人かの人物が待っていた。

 フェンネルとイェニー。

 商人ツォンフェンとその部下二名。

 魔道具技師のアゼラとフィリル。

 そして、露天商のヒュー。

 アゼラたちはコーデリアの姿を見るとやや驚いたように目を見開いたが、すぐさま表情を整え、恭しく礼を取る。呆けているフィリルの脇腹を肘でつつけば、彼もそれに倣い、ツォンフェン達と最後に遅れてヒューからも貴族に対する正式な礼を受ける。

 カイルと共に礼を返しながら、用意された椅子に座れば、緊張はますます高まった。

(ものすごく物々しいんだけど……)

 場の雰囲気が異様だった。

 それぞれがコーデリアとカイルの向かい側に机を挟んで座っており、ツォンフェンすらも大人しく着席している。いつもの軽薄な態度は鳴りを潜め、かなり真剣な表情が見て取れる。

 その傍らに座るヒューも同じように戸惑っているらしく、「こんなところに、来ちゃっていいのかしら……」と隣のツォンフェンに小声で呟きながら、そわそわと落ち着かない様子を見せていた。

 コーデリアは自分の姿を見下ろししばし沈黙する。
 
 何故今日に限って念入りにめかし込まれたのか、その理由がようやくわかったからだった。



 ****



 時刻は数時間前にさかのぼる。

「今日は気合を入れねばならない日ですからね」

 ザッとカーテンを開けられ、突然いつもより早く目覚めさせられたコーデリアの耳にマートルの鶴の一声が響いた。

 寝ぼけた頭で何のことかと考える間もなく、侍女たちに囲まれ、座らされる。

 イェニーたちの手によって、髪は手際よく複雑に編み上げられ、後れ毛すら一筋も逃さぬ完璧な仕上がりに整えられていった。

(……このドレス、どこから調達したのかしら……?)

 促されるままそでを通したのは良いものの、全く見慣れない衣装だった。
 
 驚くほど丁寧に仕立てられた濃紺色のドレス。布地はシルクだろうか。

 袖には金糸で繊細な蔦模様が刺繍され、胸元には透かし細工のレースが優雅に重ねられていた。軽やかながらもしっかりと体に沿う作りで、違和感なく動ける。

 まるで戦闘服のような、隙のない装い。

 胸元には、華美すぎず洗練されたデザインの繊細なペンダントが添えられていた。

 重さはなく、肌なじみも良い。魔石で作られたペンダントのようで、美しい紫色の輝きがドレスの色を引き立てていた。

(初めて見るペンダントね)

 思わず鏡の前でじっと見つめていると、イェニーが近づき、薄化粧を施しながら言った。

「奥様、今日はどうぞ、お願いいたしますね」

 その言葉に、コーデリアは首を傾げた。

 おしとやかでなかったことがあるだろうか、とぽつりとそう呟いた瞬間、鏡越しにイェニーの赤い瞳がギラリと鋭く光った。

「奥様?」

 ぞくり、と背筋が凍る。

「……はい」

 コーデリアは、大人しく頷くしかなかった。




 *****



(……そして、今に至るわけですが……)

 全員が着席し、アルマーによって一人一人が紹介をされていくのを耳にしながら、コーデリアは胸元のペンダントにそっと触れた。

 細かなディティールはきちんと確認していないが、鏡越しにパッと見た時にはとても美しいペンダントだと思った。精緻な細工が施された金色の装飾枠に、石の色は確か紫。身に着けているだけで魔力がゆったりと循環しているような安心感を覚える、不思議な魔石だった。

 カイルが胸元に下げているペンダントにも似た性質の魔石で、明らかに高価な品であり、ただの装飾品ではないことがわかる。わかるが、これが一体何を意味しているのか、何故わざわざ貴婦人然としてこの場に居合わせているのか全く判然としない。

 モヤモヤ、というかじりじりとした焦燥感が胸に差し迫ってくる。

(旦那様は、何も教えてくださらないし……今は切り出せないし、どうしたものかしらね)

 コーデリアは僅かに視線を巡らせ、そっと伺いみるようにカイルに視線を向けたが、彼は表情ひとつ動かさずにアルマーに何か指示をしていた。アルマーは小さく頷くと、一瞬コーデリアを見て同じように首肯した後、背後で控えるイェニーの所に行き、何事か話し込んでいる。

 イェニーは真剣な表情で頷いて、小神殿の内部に一つだけある小さな扉。控室に繋がる扉へ向かい、部屋を出て行った。

 ツォンフェンはヒューと談笑をしているが、言葉尻が妙な発音の敬語になるくらいには緊張が続いているらしい。

 それぞれがざわざわと思い思いに言葉を交わしている端で、じっと椅子に座っているだけのコーデリアは、ふと強い視線を感じて顔を向けた。それまで一言もしゃべらなかったカイルが、まっすぐにこちらを見下ろしている。

 何か言い掛けるように口を動かし、迷うように視線を動かしたが、結局何も告げることなく頷いただけだった。

 いつしか沈黙が部屋を満たしており、コーデリアは深呼吸するように鼻から息を吸い、そして時を待った。

「まずは、急に呼びつけてしまったことを詫びよう」

 落ち着いた低音が、広い室内に染み渡る。

 ツォンフェンは無言で頷き、アゼラとフィリルも何かを考えるように視線を伏せた。

 カイルの目がゆっくりと周囲を巡る。

「今日、ここに来てもらった理由を説明する」

 その言葉に、一同の緊張が徐々に高まるのを感じた。

「本来であれば、今後のライグリッサの未来について話したいところだが――、目下、直面している事案について、専門家として意見を聞かせてもらいたい」

 その言葉に、誰もの表情が強張り、ざわつく。

(まさか……魔素だまりと魔石のこと……?)

 ライグリッサ邸の中庭に突如発生した魔素だまり――それは、ごく限られた者しか知らない情報だ。

 騎士団内ですら、その存在を知る者と知らぬ者がいるほど秘匿されている。

 さらに、魔石の再結晶化については、ほんの数人しか把握していない。

 この場にいる者たちの顔ぶれを考えれば、話される内容が決して軽いものではないことは明白だった。

 カイルの声が、さらに低く、重く響いた。

「話す内容は秘匿性が高い。よって、これから話す情報については、魔法契約を結んでもらう」

 魔法契約――。

 それは決して軽んじることのできない誓約。

 一度結べば、破った際に何らかの制約や罰則が課せられる。

 拒否することもできるが、それは同時に、この場から退場することを意味する。

「もし、難しいと判断する者がいるならば――」

 カイルの視線が、一人一人をゆっくりと捉える。

「今すぐ、小神殿の外へ出てもらって構わない」

 沈黙。

 誰もが、一瞬だけ考える素振りを見せたが、結局、誰一人として席を立つ者はいなかった。

「よろしい」

 カイルは満足げに頷き、わずかに瞳を細めた。

「では――本題に入る」

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