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2話 婚約破棄されましたが、別段問題はありません。
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(どうして今になって、あんな昔の記憶を思い出したのかしら?)
首を傾げてみても、その理由はわからなかった。ただ、鋭く突き刺さるような頭痛と、じくじくと疼く足の痛みが、これが夢などではなく紛れもない現実であることを突きつけてくる。
――もし、これが卒業前の最後の行事でなければ、出席する気など毛ほどもなかっただろう。
(挨拶を済ませたら、さっさと退散しようかしら)
アルテイシアはドレスの裾の奥に隠れている自分の足の状態を確かめるようにそっと動かし、静かにため息をついた。
一週間ほど前、王宮の図書室で文官見習いとして資料を運んでいた最中、背後から何者かに押されて転倒した。両手に抱えていた大量の資料や本のせいで受け身を取ることができず、全身に打ち身を負っただけでなく、左足を派手に痛めてしまった。
診察した医師によれば、骨にひびが入っている可能性が高く、絶対安静が必要とのことだった。しかし、ギプスでがっちりと固定し、鎮痛剤を打ち、さらには幼馴染が作った動作補助用の魔道具の力を借りることで、何とか動ける状態まで回復した。
両親や兄をはじめ、幼馴染たちは強硬に安静をすすめたが、それでもアルテイシアにはどうしても譲れないものがあった。
それは――。
(輿入れが決まっている王女殿下の足を引っ張るわけにはいかない)
兼ねてから文官見習いとしての道を志していたアルテイシアを推挙してくれたのは、王女の筆頭秘書官であり、親友でもあるエリーチェだった。彼女に迷惑をかけることなど、決してできない。
それに、夜会に出席したところで、婚約者からダンスを乞われるはずもないとわかっていたため、足の不調はそれほど問題にならないと楽観視していた。
(あぁ、もう。本当にめんどくさい)
卒業前の最後のイベントだからと、無理を押して参加したのがそもそもの間違いだったのだろうか。
アルテイシアは、痛みに耐えながらゆっくりと瞼を押し上げ毅然と目の前の男を見上げた。
「アルテイシア・フォン・エーデワルト! お前との婚約は、この場をもって破棄する! そして僕は、清廉潔白な誠実そのものの女神、パフィーネ・フォン・ルベルス子爵令嬢と結婚する!」
その声が響いた瞬間、大広間はざわめきに包まれた。貴族たちは好奇に満ちた目で成り行きを見守り、誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。
しかし、当のアルテイシアはただ深いため息をつくだけだった。
(また、なんとも下らないことを……正気? お酒が回ったわけじゃないわよね?)
婚約破棄――貴族の令嬢にとって最大級の不名誉を、わざわざ人目にさらす形で発表するとは、愚かにも程がある。本来ならばこうした話は互いの名誉のために内々で処理されるのが常識だ。
――しかも、婚約の破棄は既に既定路線だったのに、何をいまさら。
アルテイシアは胡乱な光を宿す赤紫の瞳を、目の前の人物へと向ける。
侯爵家の子息、アルフレッド・フォン・ローゼンベルク。
金髪碧眼の、さながら物語の主人公のような容姿を持つ青年だが、残念ながらその美貌に見合うだけの器量は備えていなかったらしい。そもそも、婚約者という立場にありながら別の女性と関係を持つこと自体、貴族の男として恥ずべき行為であり、相手の女性もまた身分ある令嬢ならば、それを弁えてしかるべきはずだった。
アルフレッドは彼女のことを「清廉潔白な誠実な女神」称えたが、パフィーネほどその言葉が似合わない者はいない。
(お前の目は節穴かッ! って目潰ししてやりたい気は満々だけど。時間の無駄ね。――類は友を呼ぶ、とはこのことかしら……。アルフレッド様にとって、彼女はまさに相応しい相手ということね)
アルテイシアはそう考えながら、彼の隣に立つ少女へと視線を移す。
藍色の目、茶色の髪の一見可愛らしい女性で、胸元の大きく開いた、卒業前夜祭の夜会には不釣り合いなほど露出の高い薄桃色のドレスを着ている。
パフィーネ・フォン・ルベルス子爵令嬢。
とんだ女狐であるのは確かで、どうにも手を焼いていたが――まさか、アルフレッドを唆してとんでもない強硬策に出てくれたものだと、ある意味感心してしまう。
というのも。
彼女は非常に「嘘つき」だった。
首を傾げてみても、その理由はわからなかった。ただ、鋭く突き刺さるような頭痛と、じくじくと疼く足の痛みが、これが夢などではなく紛れもない現実であることを突きつけてくる。
――もし、これが卒業前の最後の行事でなければ、出席する気など毛ほどもなかっただろう。
(挨拶を済ませたら、さっさと退散しようかしら)
アルテイシアはドレスの裾の奥に隠れている自分の足の状態を確かめるようにそっと動かし、静かにため息をついた。
一週間ほど前、王宮の図書室で文官見習いとして資料を運んでいた最中、背後から何者かに押されて転倒した。両手に抱えていた大量の資料や本のせいで受け身を取ることができず、全身に打ち身を負っただけでなく、左足を派手に痛めてしまった。
診察した医師によれば、骨にひびが入っている可能性が高く、絶対安静が必要とのことだった。しかし、ギプスでがっちりと固定し、鎮痛剤を打ち、さらには幼馴染が作った動作補助用の魔道具の力を借りることで、何とか動ける状態まで回復した。
両親や兄をはじめ、幼馴染たちは強硬に安静をすすめたが、それでもアルテイシアにはどうしても譲れないものがあった。
それは――。
(輿入れが決まっている王女殿下の足を引っ張るわけにはいかない)
兼ねてから文官見習いとしての道を志していたアルテイシアを推挙してくれたのは、王女の筆頭秘書官であり、親友でもあるエリーチェだった。彼女に迷惑をかけることなど、決してできない。
それに、夜会に出席したところで、婚約者からダンスを乞われるはずもないとわかっていたため、足の不調はそれほど問題にならないと楽観視していた。
(あぁ、もう。本当にめんどくさい)
卒業前の最後のイベントだからと、無理を押して参加したのがそもそもの間違いだったのだろうか。
アルテイシアは、痛みに耐えながらゆっくりと瞼を押し上げ毅然と目の前の男を見上げた。
「アルテイシア・フォン・エーデワルト! お前との婚約は、この場をもって破棄する! そして僕は、清廉潔白な誠実そのものの女神、パフィーネ・フォン・ルベルス子爵令嬢と結婚する!」
その声が響いた瞬間、大広間はざわめきに包まれた。貴族たちは好奇に満ちた目で成り行きを見守り、誰かが小さく息をのむ音が聞こえた。
しかし、当のアルテイシアはただ深いため息をつくだけだった。
(また、なんとも下らないことを……正気? お酒が回ったわけじゃないわよね?)
婚約破棄――貴族の令嬢にとって最大級の不名誉を、わざわざ人目にさらす形で発表するとは、愚かにも程がある。本来ならばこうした話は互いの名誉のために内々で処理されるのが常識だ。
――しかも、婚約の破棄は既に既定路線だったのに、何をいまさら。
アルテイシアは胡乱な光を宿す赤紫の瞳を、目の前の人物へと向ける。
侯爵家の子息、アルフレッド・フォン・ローゼンベルク。
金髪碧眼の、さながら物語の主人公のような容姿を持つ青年だが、残念ながらその美貌に見合うだけの器量は備えていなかったらしい。そもそも、婚約者という立場にありながら別の女性と関係を持つこと自体、貴族の男として恥ずべき行為であり、相手の女性もまた身分ある令嬢ならば、それを弁えてしかるべきはずだった。
アルフレッドは彼女のことを「清廉潔白な誠実な女神」称えたが、パフィーネほどその言葉が似合わない者はいない。
(お前の目は節穴かッ! って目潰ししてやりたい気は満々だけど。時間の無駄ね。――類は友を呼ぶ、とはこのことかしら……。アルフレッド様にとって、彼女はまさに相応しい相手ということね)
アルテイシアはそう考えながら、彼の隣に立つ少女へと視線を移す。
藍色の目、茶色の髪の一見可愛らしい女性で、胸元の大きく開いた、卒業前夜祭の夜会には不釣り合いなほど露出の高い薄桃色のドレスを着ている。
パフィーネ・フォン・ルベルス子爵令嬢。
とんだ女狐であるのは確かで、どうにも手を焼いていたが――まさか、アルフレッドを唆してとんでもない強硬策に出てくれたものだと、ある意味感心してしまう。
というのも。
彼女は非常に「嘘つき」だった。
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