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第二章
26.予想外の「駒」
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あれほど目を放すなと言い含めたのに。
呆れの中に微かな苛立ちを感じながらアルバートは回廊の影から庭園へと視線を移動させた。噴水へ向かって小径を歩く少女の小柄な背中が目に入った。
大広間ではセリウスが随分と頑張っていたようだが、その後を引きずり回されるようにちょこちょことついて行くパートナーはかわいそうだと思った。壁の花にでもして、もっと動きやすくすればいいものをとは思ったが、それではわざわざ「彼女」を提案した意味がないと気づいて嘆息する。
アルヴィス・クロフト。
ファロンヴェイルの片田舎に住む「泥かぶり」の子爵令嬢。
エヴァンスとは古くからの仲だというのは知っていたが、直接の面識はない。
友人の交友関係を知るうちに、その中に身分としても育った環境としても「異質」な彼女という存在が浮かび上がり、頭の片隅に記憶していただけだ。
友人の診療所にたびたび出入りしていたことは知っていたが、色も華もない貧相な小娘だと思っていた。最初は財の貧しさからエヴァンスに取り入ろうとしているのかと思ったが違い。自らの有能性を誇示するようにせっせと診療所に通っているのかと思えば全く違った。
調べたところによると王都には数か月に一度の頻度にしか来ないという。
それも新種の薬草の学術的な調査や意見交換に携わる場合や、エヴァンスの依頼により製作した手製の試薬の持ち込みや在庫の補充がほとんどで、彼女がごく個人的な私用で訪れたことはほぼ皆無に近いようだった。一時期は貴族の子女が通うマナースクールに在籍していたというが、非常に優秀な成績で大人しく地味であるという以外、特筆とするべきものは何もなかった。
ただこの頃から、彼女に関する不名誉なうわさ話が社交に流れるようになり、いつしか「泥かぶり」と揶揄されることとなったようだ。それは暇を持て余した貴族の令嬢が、ファロンヴェイルの領地事業の一つである薬草園の運営を泥くさいと称し。労働階級の土臭い仕事を貴族令嬢が主導して携わっているということに対し、悪意を込めて流した蔑称であった。
貴族の連中が暇つぶしに何をしようが、何を嬲ろうが自分に関係ないのだから、実に下らないという感想以外何も持たなかった。
ただ今回はその令嬢たちのおかげで目隠しの為の「盾」として利用できるというわけなのだが。
「意外に骨がある」
とは素直な感想だ。特に意味はない。
悪手だとは思ったが、利用できる道具があるのなら何でも利用した方が合理的だ。
提案しておいてなんだが、最初は見た目通り自分の評価が気になって怖気づいて断るか、よしんば話を漕ぎつけたとしても途中で逃げ出すかと思っていた。
そうなっては困るから「目を放すな」とエヴァンスに告げたのだし、エヴァンスもセリウスによく言い聞かせたはずだ。
もしセリウスの手に余る様なら、他の用事で忙しいエヴァンスに代わって持てる手管を使って会場に彼女を留め置くための時間稼ぎをするはずだったのだが。
「杞憂に終わったな」
正直見誤ったとアルバートは形の良い顎先を軽く撫でた。
見誤ったのは彼女のことばかりではない。あの夜会嫌いのセリウスが、よくもまあうまい立ち回りを見せるものだと感心した。
元々外面だけはよく、見た目もいい。爵位もある。要領もまあ悪いとは言えない。事実、部下だったときは有能で手放しがたい存在だった。自分とは違い自然と人を引き寄せ魅了する性格なのだろう。彼の側には常に人がまとわりつく。
ただ、持ち前の性分と才能は乖離を起こすことがよくある。
それを拗らせて社交嫌いになってしまったセリウスを脳裏に浮かべ、アルバートは目を伏せた。その彼がまるで童子のようにパートナーの不調にも気づかないほど浮かれているのにあきれ果ててしまう。仮にも今日の夜会の主催は彼の元婚約者の両親だし、主役は元婚約者殿だ。
薄暗い庭園の中を黙々と歩く彼女を目で追いながら、アルバートは横を通り過ぎる貴族たちに軽く会釈をする。警備の一環だろうと疑うこともなく、軽い挨拶を取り交わして彼らは去っていく。
庭園や噴水の根元などあちこちに照らされた光源のおかげで、広間ほどではないが距離を詰めれば顔を視認できる程度の明るさがあった。遠目からでも彼女だとわかるのはそのおかげだ。
噴水の縁に腰掛けた少女が水面に深く顔を近づけている。
水の底に何か仕掛けでもあるのか、淡い光の帯が波のように彼女の横顔を照らしていた。光は湖面の揺らぎのように揺蕩いながらその横顔を彩っていた。
あんな浅い水場に顔を突っ込んで何をしようと思っているのかと考える間もなく、彼女は姿勢を戻すとおもむろに手袋を外した。
細い首筋から肩口のショールの中を辿り、しなやかな曲線を描いて肌色がひと続きになる。
指先が吸い込まれるように水に沈み込んでいく様子にアルバートは眉根を寄せた。
最初は遠巻きに監視するだけで良いと考えていた。
自分が投じた一石であることは理解しているが、彼女は想定外のことばかり引き起こしてくれる。夜会しかり、セリウスのことしかりだ。
知らず知らずのうちに、足が噴水の方へ向き、気づけば速度を上げるように足が動いていた。
彼女はきょろきょろと周囲を警戒するように首を巡らせると、そっと靴を脱いで素足を露わにする。水色の布地の隙間から小さな足がちらりと覗き、さらに自分の眉間に深くしわが刻まれていくのをアルバートは自覚した。
淑女としてあり得ない行動だが、よく見ると、何かを確認するように自分の足を見下ろしているのがわかる。
「何をしている」
仄かな苛立ちが口からついて出た。小さな呟きはすぐ夜の闇に溶けていく。
「あ、あの、私は……」
想像していたのとは違う、意外なほど涼やかで聞き心地の良い滑らかな声が耳朶を打つ。
びくりと肩を震わせた少女の灰緑の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
アルバートの中の何かがかすかに揺れた。
あれほど目を放すなと言い含めたのに。
呆れの中に微かな苛立ちを感じながらアルバートは回廊の影から庭園へと視線を移動させた。噴水へ向かって小径を歩く少女の小柄な背中が目に入った。
大広間ではセリウスが随分と頑張っていたようだが、その後を引きずり回されるようにちょこちょことついて行くパートナーはかわいそうだと思った。壁の花にでもして、もっと動きやすくすればいいものをとは思ったが、それではわざわざ「彼女」を提案した意味がないと気づいて嘆息する。
アルヴィス・クロフト。
ファロンヴェイルの片田舎に住む「泥かぶり」の子爵令嬢。
エヴァンスとは古くからの仲だというのは知っていたが、直接の面識はない。
友人の交友関係を知るうちに、その中に身分としても育った環境としても「異質」な彼女という存在が浮かび上がり、頭の片隅に記憶していただけだ。
友人の診療所にたびたび出入りしていたことは知っていたが、色も華もない貧相な小娘だと思っていた。最初は財の貧しさからエヴァンスに取り入ろうとしているのかと思ったが違い。自らの有能性を誇示するようにせっせと診療所に通っているのかと思えば全く違った。
調べたところによると王都には数か月に一度の頻度にしか来ないという。
それも新種の薬草の学術的な調査や意見交換に携わる場合や、エヴァンスの依頼により製作した手製の試薬の持ち込みや在庫の補充がほとんどで、彼女がごく個人的な私用で訪れたことはほぼ皆無に近いようだった。一時期は貴族の子女が通うマナースクールに在籍していたというが、非常に優秀な成績で大人しく地味であるという以外、特筆とするべきものは何もなかった。
ただこの頃から、彼女に関する不名誉なうわさ話が社交に流れるようになり、いつしか「泥かぶり」と揶揄されることとなったようだ。それは暇を持て余した貴族の令嬢が、ファロンヴェイルの領地事業の一つである薬草園の運営を泥くさいと称し。労働階級の土臭い仕事を貴族令嬢が主導して携わっているということに対し、悪意を込めて流した蔑称であった。
貴族の連中が暇つぶしに何をしようが、何を嬲ろうが自分に関係ないのだから、実に下らないという感想以外何も持たなかった。
ただ今回はその令嬢たちのおかげで目隠しの為の「盾」として利用できるというわけなのだが。
「意外に骨がある」
とは素直な感想だ。特に意味はない。
悪手だとは思ったが、利用できる道具があるのなら何でも利用した方が合理的だ。
提案しておいてなんだが、最初は見た目通り自分の評価が気になって怖気づいて断るか、よしんば話を漕ぎつけたとしても途中で逃げ出すかと思っていた。
そうなっては困るから「目を放すな」とエヴァンスに告げたのだし、エヴァンスもセリウスによく言い聞かせたはずだ。
もしセリウスの手に余る様なら、他の用事で忙しいエヴァンスに代わって持てる手管を使って会場に彼女を留め置くための時間稼ぎをするはずだったのだが。
「杞憂に終わったな」
正直見誤ったとアルバートは形の良い顎先を軽く撫でた。
見誤ったのは彼女のことばかりではない。あの夜会嫌いのセリウスが、よくもまあうまい立ち回りを見せるものだと感心した。
元々外面だけはよく、見た目もいい。爵位もある。要領もまあ悪いとは言えない。事実、部下だったときは有能で手放しがたい存在だった。自分とは違い自然と人を引き寄せ魅了する性格なのだろう。彼の側には常に人がまとわりつく。
ただ、持ち前の性分と才能は乖離を起こすことがよくある。
それを拗らせて社交嫌いになってしまったセリウスを脳裏に浮かべ、アルバートは目を伏せた。その彼がまるで童子のようにパートナーの不調にも気づかないほど浮かれているのにあきれ果ててしまう。仮にも今日の夜会の主催は彼の元婚約者の両親だし、主役は元婚約者殿だ。
薄暗い庭園の中を黙々と歩く彼女を目で追いながら、アルバートは横を通り過ぎる貴族たちに軽く会釈をする。警備の一環だろうと疑うこともなく、軽い挨拶を取り交わして彼らは去っていく。
庭園や噴水の根元などあちこちに照らされた光源のおかげで、広間ほどではないが距離を詰めれば顔を視認できる程度の明るさがあった。遠目からでも彼女だとわかるのはそのおかげだ。
噴水の縁に腰掛けた少女が水面に深く顔を近づけている。
水の底に何か仕掛けでもあるのか、淡い光の帯が波のように彼女の横顔を照らしていた。光は湖面の揺らぎのように揺蕩いながらその横顔を彩っていた。
あんな浅い水場に顔を突っ込んで何をしようと思っているのかと考える間もなく、彼女は姿勢を戻すとおもむろに手袋を外した。
細い首筋から肩口のショールの中を辿り、しなやかな曲線を描いて肌色がひと続きになる。
指先が吸い込まれるように水に沈み込んでいく様子にアルバートは眉根を寄せた。
最初は遠巻きに監視するだけで良いと考えていた。
自分が投じた一石であることは理解しているが、彼女は想定外のことばかり引き起こしてくれる。夜会しかり、セリウスのことしかりだ。
知らず知らずのうちに、足が噴水の方へ向き、気づけば速度を上げるように足が動いていた。
彼女はきょろきょろと周囲を警戒するように首を巡らせると、そっと靴を脱いで素足を露わにする。水色の布地の隙間から小さな足がちらりと覗き、さらに自分の眉間に深くしわが刻まれていくのをアルバートは自覚した。
淑女としてあり得ない行動だが、よく見ると、何かを確認するように自分の足を見下ろしているのがわかる。
「何をしている」
仄かな苛立ちが口からついて出た。小さな呟きはすぐ夜の闇に溶けていく。
「あ、あの、私は……」
想像していたのとは違う、意外なほど涼やかで聞き心地の良い滑らかな声が耳朶を打つ。
びくりと肩を震わせた少女の灰緑の瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
アルバートの中の何かがかすかに揺れた。
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