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第一話
地域怪異対策課へようこそ!
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「ええ、と。ここで、間違いない……はずだよね」
天音は、私物を詰め込んだ段ボール箱を両腕に抱えたまま、目の前の扉を見上げた。
後頭部でひとくくりにしている焦げ茶色の毛束が大きく揺れる。
視線の先、頭上にかかっているのは白色の表札――だが、文字はすっかり消え去り、最初から何も書かれていなかったかのように色褪せて、薄黄色になっている。古びたアルミサッシに、申し訳程度にはめ込まれた薄汚れたすりガラスの向こうは、まったく様子がうかがえない。
だが多分、きっと、おそらく。
「うちの課に何か御用ですか?」
「ヒッ!」
ギィ、と音を立て扉が薄っすらと開いた。
その瞬間、腕の中の段ボールが大きく揺れ、危うく落としそうになり、天音は慌てて抱え直した。
扉の隙間からひょっこりと顔を出したのは――ウサギのような耳。薄桃色で縁取りが少しもふっとしている。
丸い茶色の眼鏡におかっぱ頭、十代後半ほどに見える顔立ちの女性だった。白いブラウスの上に縦ストライプのすっきりとしたベストを着込み、左胸のポケットには「三ノ海」と記されている。
「あ、もしかして」
ぽん、と丸い両手を打ち鳴らし、女性はぱっと破顔した。
きゅるっとした茶色の瞳の瞳孔は、あやかし特有の縦長だ。頭頂部からしなやかに伸びるウサギの耳が、ぴんと立つ。
「今日配属予定の新人さんですね! よろしくです。さ、中に入ってくださいな」
「え!? あの――」
言い終わる前に、女性はずいっと踏み出し、天音の腕の中にある段ボールに目を留めた。
「荷物重そうですね。貸してください」
「ちょ、ちょっと――」
制止する間もなく、段ボールはひょいと奪われる。見た目に反して意外な力だった。
そのまま、ぐい、と片腕を掴まれ、天音は半ば引きずり込まれるように中へ連れて行かれる。前のめりにたたらを踏みながら一歩踏み込むと、古臭い匂いが鼻を掠めた。まるで、長い間閉じ切ったままの倉庫のようなかび臭い匂いだ。
「さ。こっちですよ~」
三ノ海の声につられ、顔を上げれば右手の窓から薄黄色の斜陽が差し込んでいた。その光の帯の中で、掃除が行き届いていないことを雄弁に物語る埃が舞っている。
「音がしたから出てきたんです。こんな僻地に誰かなーって思ってたんですが、やっぱり新人さんですね。ようこそ! 私は地域怪異相談課唯一の専任分析官、三ノ海菜々花です。後輩が来るの、八年ぶりで、ものすごーく楽しみにしてたんですよね! あとで連絡先交換しましょうね!」
朗らかな笑顔の三ノ海は、段ボールを持っていない方の手で、天音の手をがっちりと掴むとぶんぶん上下に振る。
返答する間もなく、天音はぼんやりと頷いた。
――唯一の、専任分析官。
その言葉が、少し引っかかる。
通常、分析官は庁内の分析室に所属し、必要に応じて各部署と連携する。ひとつの課に専任で置かれること自体、異例だ。
「あの、三ノ海分析官」
「堅苦しい呼び名は苦手なので、ナナちゃん先輩って呼んでくれていいですよ。野郎は勘弁ですけど、可愛い女子はウェルカムなのです!」
くるん、と振り返り、幾手を阻むように積み上げられた段ボールの脇を器用にすり抜けていく三ノ海。その愛らしい顔立ちに、一瞬だけ険呑な皺が刻まれた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「三ノ海……ナナちゃん先輩……は、その。――兎のあやかしの血を引いていらっしゃるんですか?」
あやかし、と呼ばれる存在は、力の程度によって形状が大きく異なる。
人の姿に擬態できるものや、そもそも生まれが人の姿であったり。そうした「人の形を取ることができる」あやかしほど力が強く、その逆は弱いものが多い。
天音にも、ほんの僅かだが、あやかしの血が流れている。
幼い頃聞かされた父の話では、濃いものではなく、人由来のあやかしの血であるため、人以外の姿になることはできない――とのことだった。
天音自身も、人形以外の自分を想像したことはない。だから、そういうものなのだろうと、深く考えたこともなかった。
獣型と称される部類のあやかしは、力の強い者が多い。三ノ海のように、獣の特徴の一部が外見に現れている例も多く、たとえば尾であったり、獣の手であったり。ごく稀に、牙や角を持つ種族もいる。
完璧に人の姿に擬態できる個体も存在するが、それを看破するのは、かなり難しい。
古くからあやかしと隣り合って生きてきた人々にとって、異なる外見を持つ隣人がいること自体は珍しくない。いちいち騒ぎ立てる者はいないが、それでも、人にはない特徴である以上、無意識に視線を向けてしまい、興味を引かれることはある。
「この耳? そうだよ~。チャームポイント、ってやつ。でもやっぱり――」
そこで言葉を切り、三ノ海はしみじみと微笑んだ。
「ちゃんと、視えてるんだねえ」
そう言って、目の前の銅色の扉を指差した。
「ようこそ。地域怪異相談課へ、諏佐天音ちゃん。私たちはあなたを心から歓迎するよ。特に――怪異を見る目は、間違いなく本物みたいだから。とってもとっても、期待してるよ」
さ、入って。
ドアノブが引かれ、扉が開く。
三ノ海はそう言って、段ボールを抱えたまま、天音の背をやさしく――だが有無を言わせぬ力で押し出した。
――地域怪異相談課、その室内へ。
天音は、私物を詰め込んだ段ボール箱を両腕に抱えたまま、目の前の扉を見上げた。
後頭部でひとくくりにしている焦げ茶色の毛束が大きく揺れる。
視線の先、頭上にかかっているのは白色の表札――だが、文字はすっかり消え去り、最初から何も書かれていなかったかのように色褪せて、薄黄色になっている。古びたアルミサッシに、申し訳程度にはめ込まれた薄汚れたすりガラスの向こうは、まったく様子がうかがえない。
だが多分、きっと、おそらく。
「うちの課に何か御用ですか?」
「ヒッ!」
ギィ、と音を立て扉が薄っすらと開いた。
その瞬間、腕の中の段ボールが大きく揺れ、危うく落としそうになり、天音は慌てて抱え直した。
扉の隙間からひょっこりと顔を出したのは――ウサギのような耳。薄桃色で縁取りが少しもふっとしている。
丸い茶色の眼鏡におかっぱ頭、十代後半ほどに見える顔立ちの女性だった。白いブラウスの上に縦ストライプのすっきりとしたベストを着込み、左胸のポケットには「三ノ海」と記されている。
「あ、もしかして」
ぽん、と丸い両手を打ち鳴らし、女性はぱっと破顔した。
きゅるっとした茶色の瞳の瞳孔は、あやかし特有の縦長だ。頭頂部からしなやかに伸びるウサギの耳が、ぴんと立つ。
「今日配属予定の新人さんですね! よろしくです。さ、中に入ってくださいな」
「え!? あの――」
言い終わる前に、女性はずいっと踏み出し、天音の腕の中にある段ボールに目を留めた。
「荷物重そうですね。貸してください」
「ちょ、ちょっと――」
制止する間もなく、段ボールはひょいと奪われる。見た目に反して意外な力だった。
そのまま、ぐい、と片腕を掴まれ、天音は半ば引きずり込まれるように中へ連れて行かれる。前のめりにたたらを踏みながら一歩踏み込むと、古臭い匂いが鼻を掠めた。まるで、長い間閉じ切ったままの倉庫のようなかび臭い匂いだ。
「さ。こっちですよ~」
三ノ海の声につられ、顔を上げれば右手の窓から薄黄色の斜陽が差し込んでいた。その光の帯の中で、掃除が行き届いていないことを雄弁に物語る埃が舞っている。
「音がしたから出てきたんです。こんな僻地に誰かなーって思ってたんですが、やっぱり新人さんですね。ようこそ! 私は地域怪異相談課唯一の専任分析官、三ノ海菜々花です。後輩が来るの、八年ぶりで、ものすごーく楽しみにしてたんですよね! あとで連絡先交換しましょうね!」
朗らかな笑顔の三ノ海は、段ボールを持っていない方の手で、天音の手をがっちりと掴むとぶんぶん上下に振る。
返答する間もなく、天音はぼんやりと頷いた。
――唯一の、専任分析官。
その言葉が、少し引っかかる。
通常、分析官は庁内の分析室に所属し、必要に応じて各部署と連携する。ひとつの課に専任で置かれること自体、異例だ。
「あの、三ノ海分析官」
「堅苦しい呼び名は苦手なので、ナナちゃん先輩って呼んでくれていいですよ。野郎は勘弁ですけど、可愛い女子はウェルカムなのです!」
くるん、と振り返り、幾手を阻むように積み上げられた段ボールの脇を器用にすり抜けていく三ノ海。その愛らしい顔立ちに、一瞬だけ険呑な皺が刻まれた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「三ノ海……ナナちゃん先輩……は、その。――兎のあやかしの血を引いていらっしゃるんですか?」
あやかし、と呼ばれる存在は、力の程度によって形状が大きく異なる。
人の姿に擬態できるものや、そもそも生まれが人の姿であったり。そうした「人の形を取ることができる」あやかしほど力が強く、その逆は弱いものが多い。
天音にも、ほんの僅かだが、あやかしの血が流れている。
幼い頃聞かされた父の話では、濃いものではなく、人由来のあやかしの血であるため、人以外の姿になることはできない――とのことだった。
天音自身も、人形以外の自分を想像したことはない。だから、そういうものなのだろうと、深く考えたこともなかった。
獣型と称される部類のあやかしは、力の強い者が多い。三ノ海のように、獣の特徴の一部が外見に現れている例も多く、たとえば尾であったり、獣の手であったり。ごく稀に、牙や角を持つ種族もいる。
完璧に人の姿に擬態できる個体も存在するが、それを看破するのは、かなり難しい。
古くからあやかしと隣り合って生きてきた人々にとって、異なる外見を持つ隣人がいること自体は珍しくない。いちいち騒ぎ立てる者はいないが、それでも、人にはない特徴である以上、無意識に視線を向けてしまい、興味を引かれることはある。
「この耳? そうだよ~。チャームポイント、ってやつ。でもやっぱり――」
そこで言葉を切り、三ノ海はしみじみと微笑んだ。
「ちゃんと、視えてるんだねえ」
そう言って、目の前の銅色の扉を指差した。
「ようこそ。地域怪異相談課へ、諏佐天音ちゃん。私たちはあなたを心から歓迎するよ。特に――怪異を見る目は、間違いなく本物みたいだから。とってもとっても、期待してるよ」
さ、入って。
ドアノブが引かれ、扉が開く。
三ノ海はそう言って、段ボールを抱えたまま、天音の背をやさしく――だが有無を言わせぬ力で押し出した。
――地域怪異相談課、その室内へ。
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