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第一話
銀杏降り落ちる境内で(2)
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忙しい。自宅に帰る暇がないほど仕事が溜まっている。連日連夜寝不足だ。それに、よく考えるまでもなく、配属日当日から何かと武見がらみの事案でひっかき回されている。
業務のすべてに慣れたか、職場の環境に慣れたかと問われれば、まだまだだ。けれども、以前いた場所と比べて、嫌な閉塞感や圧迫感は感じない。上司も同僚も気のいい人ばかりだ。――武見を除いて。
最初はこんな僻地に、本当に存在するのかと疑問に思った職場にも、いつの間にか慣れている自分にふと驚く。
天音はそれらを自分の中で咀嚼してから、やや遅れて返答した。
「少しずつですが」
「最大の難関は、あれだろう?」
あれ、と細めた目線で示すのは、社の左手にある茂みの方だ。正確には、その向こうにいるはずの人物のことを指しているのは言うまでもない。
植え込みの向こう。神社の裏手側の草を抜いてくると言ったきり、一向に戻ってこない図体と態度の大きな人物を思い出し、天音は「はい……」と項垂れた。
「まぁ。悪いやつじゃないんだよ。ぶっきらぼうだがね」
それはそうだろうが、悪すぎる態度は如何ともしがたい。
「面倒見はいいんだけどねぇ」
「面倒見……」
本当にそうだろうか。
口数は少ないし、ぶっきらぼうで、常に不機嫌そうだ。細かく指示をしてくることはないが、逆に何もなさすぎて、後輩を育成する仕事には向いていない気がする。そんな人物が面倒見がいいというのは、修造には悪いが、語弊があるように思えてしまう。
同意できない点が多すぎたせいだろう。
天音は、武見のせいで終わらない書類の山を思い出し、眉間に深く皺を寄せた。
「とても、――大変な方だと思います」
「そうだねぇ。とても大変だと思うよ。周りは、特にね」
しみじみと、とはまた違う。
深く考え込むような声色だった。
笑い飛ばされるかと思っていた天音は、意表を突かれる格好になる。
「それにしても、よく降るねぇ。今日は一段とあでやかだ」
修造の声につられて手を止め、彼を見ると、目尻に深く柔らかな皺が刻まれている。
彼にも、おそらく見えているのだろう。
銀杏の木の上で、烏帽子を被った稚児装束のあやかしが、楽しそうに枝を揺らし、葉を撒いて遊んでいる姿が。
「そうですね。とてもきれいです」
夕方に差し掛かった陽光を受け、縦筋の通った銀杏の葉が光を反射しながら、ぱらぱらと舞い落ちる。
その一枚が、ぱさ、と音を立てて天音の頭上に乗ると、あやかしの声が、少し甲高い喜色を帯びて響いた。
「おい。じいさん」
突然、武見が左手の植え込みの隙間から、ぬっと姿を現した。それと同時に、あやかしの姿が、さっと掻き消えるように見えなくなる。
「……いなくなってしまいました」
「何が」
のっそりと、武見が小さな袋を握ったまま姿を現す。頭や肩口には、引き抜いたばかりらしい雑草と土汚れが付着していた。
一体どんな体勢で草を抜けば、そこまで汚れるのか。
明らかに薄汚れている。
天音の視線を避けるように、武見は三縄のそばへ歩み寄った。
「あんたも、もう帰る時間だろ」
時間、と聞いて、天音は左手首に視線を落とす。腕時計は、十六時半を少し回っていた。
日差しはすっかり橙色に染まり、冷たい風が頬を撫でる。
「武見さん、そろそろ……」
行動予定表に記した時刻は、とうに過ぎている。帰りが遅れれば、未処理の仕事はさらに溜まる。
「また明日も来る」
「ほどほどにな」
その言葉に一瞬目を丸くしつつ、天音は武見に促され、箒を境内裏手の掃除道具入れへと足早に戻しに行った。
業務のすべてに慣れたか、職場の環境に慣れたかと問われれば、まだまだだ。けれども、以前いた場所と比べて、嫌な閉塞感や圧迫感は感じない。上司も同僚も気のいい人ばかりだ。――武見を除いて。
最初はこんな僻地に、本当に存在するのかと疑問に思った職場にも、いつの間にか慣れている自分にふと驚く。
天音はそれらを自分の中で咀嚼してから、やや遅れて返答した。
「少しずつですが」
「最大の難関は、あれだろう?」
あれ、と細めた目線で示すのは、社の左手にある茂みの方だ。正確には、その向こうにいるはずの人物のことを指しているのは言うまでもない。
植え込みの向こう。神社の裏手側の草を抜いてくると言ったきり、一向に戻ってこない図体と態度の大きな人物を思い出し、天音は「はい……」と項垂れた。
「まぁ。悪いやつじゃないんだよ。ぶっきらぼうだがね」
それはそうだろうが、悪すぎる態度は如何ともしがたい。
「面倒見はいいんだけどねぇ」
「面倒見……」
本当にそうだろうか。
口数は少ないし、ぶっきらぼうで、常に不機嫌そうだ。細かく指示をしてくることはないが、逆に何もなさすぎて、後輩を育成する仕事には向いていない気がする。そんな人物が面倒見がいいというのは、修造には悪いが、語弊があるように思えてしまう。
同意できない点が多すぎたせいだろう。
天音は、武見のせいで終わらない書類の山を思い出し、眉間に深く皺を寄せた。
「とても、――大変な方だと思います」
「そうだねぇ。とても大変だと思うよ。周りは、特にね」
しみじみと、とはまた違う。
深く考え込むような声色だった。
笑い飛ばされるかと思っていた天音は、意表を突かれる格好になる。
「それにしても、よく降るねぇ。今日は一段とあでやかだ」
修造の声につられて手を止め、彼を見ると、目尻に深く柔らかな皺が刻まれている。
彼にも、おそらく見えているのだろう。
銀杏の木の上で、烏帽子を被った稚児装束のあやかしが、楽しそうに枝を揺らし、葉を撒いて遊んでいる姿が。
「そうですね。とてもきれいです」
夕方に差し掛かった陽光を受け、縦筋の通った銀杏の葉が光を反射しながら、ぱらぱらと舞い落ちる。
その一枚が、ぱさ、と音を立てて天音の頭上に乗ると、あやかしの声が、少し甲高い喜色を帯びて響いた。
「おい。じいさん」
突然、武見が左手の植え込みの隙間から、ぬっと姿を現した。それと同時に、あやかしの姿が、さっと掻き消えるように見えなくなる。
「……いなくなってしまいました」
「何が」
のっそりと、武見が小さな袋を握ったまま姿を現す。頭や肩口には、引き抜いたばかりらしい雑草と土汚れが付着していた。
一体どんな体勢で草を抜けば、そこまで汚れるのか。
明らかに薄汚れている。
天音の視線を避けるように、武見は三縄のそばへ歩み寄った。
「あんたも、もう帰る時間だろ」
時間、と聞いて、天音は左手首に視線を落とす。腕時計は、十六時半を少し回っていた。
日差しはすっかり橙色に染まり、冷たい風が頬を撫でる。
「武見さん、そろそろ……」
行動予定表に記した時刻は、とうに過ぎている。帰りが遅れれば、未処理の仕事はさらに溜まる。
「また明日も来る」
「ほどほどにな」
その言葉に一瞬目を丸くしつつ、天音は武見に促され、箒を境内裏手の掃除道具入れへと足早に戻しに行った。
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