蒼旗翻天 -彼方へ 高衡後記-

香竹薬孝

文字の大きさ
12 / 42

第3章 狩りの会 2

しおりを挟む

「おや、高衡殿は狩りはお嫌いか?」

 雉や野兎といった得物を手に得意顔で陣へと戻ってくる武者達を眺めていた高衡と雪丸に話しかけてくる者達がいた。

 人の好さそうな初老の侍だった。年季が感じられながらも名品とわかる弓を携え、質素ながらも趣味の良い上等な狩衣を身に着けているあたり相当な大侍と見えた。

「貴殿は……」

「お目に掛るのは初めてかもしれぬが、某は其許のことを良く知っておる。和田義盛と申す」

「和田――!」

 高衡はハッとした。その後ろに控えていた雪丸の気配がサッと変わるのが判った。

「思い出されたか。奥州征伐では其許の兄上や奥羽の猛将秀綱と直接刃を交えたこともあるのだぞ」

 奥州「征伐」という謂いに含みを感じたが、義盛は気安げにニコニコと笑っているばかり。しかし高衡は内心穏やかではない。今目の前で言葉を交わす相手は兄国衡を討った敵の一人。

「……これは失礼仕った。奥州「合戦」についてはお互い過去のことと水に流し、今後は何卒貴殿と誼を深めたく存じまする」

 高衡の慇懃な言葉に込めた軽い意趣返しに気づいたのかどうか、義盛は声を上げて笑い、背後に控える侍達を紹介した。

「手前は三浦義村と申しまする。高衡殿の御噂はかねがね伺っておりまする。どうぞ何卒何卒、お見知りおきを」

 自分よりも遥かに格下の者に対して卑屈に過ぎる態度に高衡は内心不快感を覚えたが、反対にもう一人の男はひどく不愛想だった。

「浅利義遠と申す」

 と名乗ったきりプイとそっぽを向いた。

「この男は天下無双の弓の名手でしてな、我らは八島の英雄に肖って「与一」と呼んでいるくらいじゃ」

 義村が代わりに紹介する。

 高衡は困惑していた。

(この浅利という男は知らぬが、後の二人は景時様と犬猿の仲ではないか。そんな連中がなぜわざわざ身共に言い寄ってくるのだ?)

 特に和田義盛については景時と深い確執があり、かつて景時の秀でた事務能力に目を留めた頼朝が義盛に代わり彼を侍所別当に任命したことがあったが、それまでその職に就いていた義盛はその処遇に反発し、景時が卑劣な手を用いて自分の役職を取り上げたものだと深く恨みに思っていると聞いたことがあった。

 その他にも景時は頼朝に代わり進んで憎まれ役を買って出ていた節があり、御家人達からは恨みを買いやすい人柄でもあった。

「ところで先ほども問うたが、其許は狩りはされぬのか」

「は、身共は余り殺生を好みませぬ故、実は本日も弓の支度をしておりませぬ」

「ほほう。やはり合戦の心傷からかな?」

 さも気の毒そうに義盛が顔を顰める。

「いや、何も恥じることではない。あの戦ではわが将兵達にも心を病み廃物と化した者が大勢おった。特に阿津賀志山の戦いでは其許ら奥州の軍勢にとんでもない奴がおってな、遭遇し生き残った将兵の殆どが正気を失ってしまいおった」

 ぽんぽん、と高衡の肩を叩きながら義盛が顔を寄せる。

「それはまさしく陸の上で壇之浦を見ているようであったよ。八艘跳びもかくやという身のこなしで次々と我が兵達が血飛沫を上げて倒れていく。後にはバラバラになった無数の骸が残り、血煙が真っ赤に漂うばかり。信じられるか、たった一人の敵将にじゃぞ? 我ら源氏があれを見紛うはずがない。あれはまさしく九郎判官殿が鞍馬で会得したという術じゃ」

 す、と義盛の顔から笑みが消える。

「高衡殿よ、平泉から義経の首を鎌倉に持参したのは、たしか其許であったよな?」

「……身共が携えた首が偽物だとでも?」

 耳元で囁く義盛に、高衡が問い返す。今まで雪丸も見たことのない、奇妙な微笑を浮かべていた。

 いつの間にか義村、義遠の二人も距離を詰めていた。主を庇うように雪丸が二人の前に割って入る。



「――正直に答えよ。義経は生きておるのだろう?」



 ドスーン! という大きな地響きと共に、幾人かの悲鳴が聞こえた。

「な何事じゃ⁉」

 驚いて皆が振り向くと、大きな鹿の死骸に潰され、武者が数名目を回して伸びているのが見えた。

「はっはっ、どうやら本日は空から鹿が降ってくる日和のようじゃ。これなら合戦の最中に判官殿が墓から這い出てひと暴れしたとしても何ら不思議ではござらぬな」

 大笑いしながら、呆気にとられる義盛達に高衡が会釈する。

「なかなか面白い考察でござった。その鞍馬者とやらに生首がついていたかどうか、次の機会に身共に教えてくだされ。失礼致す」



 ふと、高衡は気づいて周囲を見回し、今更ながら驚いた。この狩場、奥州合戦で我らと刃を交えた者達しかおらぬ。

 しかし、すぐに首を振って思い直した。なに、驚くには当たらないこと。それほどあの合戦は大きなものであり、その分勝鬨を上げた者の武功は大きかったのだ。現に平家方からの帰順者も古参の源氏を相手に大きな顔をして弓矢自慢に興じているではないか。

 言い換えれば、武勇の優れた者であれば昨日の敵であろうと平等に取り立てる、頼朝という男の懐が大きかったのだろう。それが垣間見える一場面である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

処理中です...