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第4章 景時の変 3
しおりを挟む「景時様」
高衡は、差し出された太刀を一顧だにせず景時を見つめた。
景時が微笑む。
「ずっと悔いておったのだ。平泉を陥し、焼け落ちた御所を目の当たりにした時から、儂は悔恨に苛まれておった。泰衡の奥方が主の首級の前で血を吐くほどに号泣し、明くる朝自害された際も、儂は何度死んで詫びようと思ったか知れぬ。だが、其許が下河辺行平に付き添われ投降したと知り、やっと僅かでも我が身の罪を注ぐ機会を天より与えられたと知った。さあ、剣を取るがよい」
高衡が初めて太刀に目を落とす。この刀で、幾人の奥州武者、平家の侍が命を絶たれたことだろう。
「いずれ儂は遠からず北条の手に討たれることになろう。坂東武者の風上にも置けぬ姑息な輩に討たれるよりも、合戦で正々堂々と我らと刃を交えた其許の手で討たれるのが武士の本望じゃ」
じっと太刀を見つめていた高衡が、やがて顔を上げる。
「……我ら奥州藤原一門は、初代清衡より四代に亘り、百歳に亘る平安を培ってまいりました」
戸惑いの色を見せる景時に、高衡は続けて言った。
「四海に戦のなき世を求め、奥州の地に浄土の礎を目指した一族の末裔たる身共が、恨みに走り人を殺めたとあっては、我らが父祖、そして死の間際まで鎌倉との和睦と共存を望んだ亡き兄の菩提に、どうして顔向けできましょうや」
そう言って、刀を辞しながら高衡が笑う。
「何よりも、身共は義経奴の腐れ首をこの手で斬り落として以来、恨みで剣を振るうことを己に禁じておりまする故、折角の御厚意忝くも、御志のみ頂戴申し上げまする」
低頭する高衡に目を丸くしていた景時が、やがて堪え切れず大笑いした。
「まことに、其許の一族を滅ぼしてしまったのは、この景時一生の不覚であったわい」
一頻り笑った後、刀を納めた景時が、哀しそうに微笑んだ。
「もし争わずに済んだのならば、今頃我ら坂東武者と藤原の武将達と、こうして面白く宴を共にできたかもしれぬのにな」
景時の下を辞し、屋敷を出た高衡は、幾らも進まぬうちにその場に蹲り、声を殺して号泣した。
(――ああ、許してくれ! 兄上、皆、許してくれ!)
様々な人々の面影が浮かんでは消えた。
最後に浮かんだのは、一人の女性。
儚い、まるで触れれば折れてしまいそうにたおやかでいて、時には荒ぶる韋駄天のような凛々しさを垣間見せ高衡を圧倒し、そして魅了した、――まるで蜻蛉か泡沫のようにあっという間に高衡の目の前から消えてしまった女性。
――決して憎しみで剣を振ってはなりませぬ
(皆鶴殿……これで良かったのだろう? お願いじゃ、教えてくれ!)
「……良いのじゃ。貴公は何も間違ってはおらぬ」
顔を上げると、先に帰ったはずの長茂が立っていた。
涙を拭い身を起こす高衡に長茂が手を貸してやる。
「盗み聞きをするつもりはなかったが。無礼を許されよ」
「長茂殿……」
「もう一つだけ、許されよ」
首を傾げる高衡に、長茂はそっぽを向いて言った。
「……今まで貴公という男を誤解しておった」
思わず吹き出しそうになる高衡だったが、長茂に真面目な顔を向けられ、笑いを引っ込めた。
「景時様の復帰、共に力を合わせて成し遂げようぞ」
「勿論。我らは謂わば景時党でございまする故」
両君共に肩を揺らして笑い合った。
明くる朝、見送る者のないままに景時は一族を引き連れ寓居を去り、二度と鎌倉に戻ることはなかった。
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