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第7章 蒼旗翻天 1

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 建仁元年(一二〇一)、二月二十五日、京信乃小路、藤原範季邸。



 離れの一室にて。

「――捕らえられていた城一門の郎党らが、今日、首を打たれたとのことでございます」

「……もうじき我らの番が来るな」

 雪丸の報告に、高衡は頷いて小さく息を吐いた。



 反乱勢から離脱した高衡達はその後、父秀衡の旧友であった京の公卿藤原範季の下に匿われていた。

 幼少の頃、一門の京屋敷に同行した際に、父に連れられ遊びに来ていた高衡の顔を覚えていた範季は大喜びし、快く屋敷の離れを提供してくれた。



「雪丸よ、去年鎌倉の屋敷に咲いていた菖蒲の花を覚えておるか?」

「よく覚えておりまする。あの後、沙羅様が訪ねてこられた」

「やはり、あれが最後の菖蒲になったな」

 哀し気に呟く高衡に、雪丸は首を振って微笑みかける。

「……ならば、次の世にては我らが毛越寺の菖蒲となって咲きましょう。菖蒲が過ぎれば、次は中尊寺の蓮となって咲きましょう。夏は市井の朝顔に、秋は北上川の薄の花に。春が廻れば、平泉を見下ろす金鶏山の、山の桜と咲きましょう」

「雪丸よ」

 高衡が顔を上げ、あらためて永き時を共に歩んだ従者を見つめる。

「身共より先に咲いてくれるなよ」

 無理にお道化顔を作って見せる主に、ふ、と寂しく俯き言葉を紡ごうとした雪丸が――さっと顔色を変え立ち上がった。

「……この屋敷に向かってくる者らがおりまする!」

 それを聞いた高衡も表情を強張らせる。

「範季殿の客人ではないな。参内の為明日まで留守にされていることは知人や宮中の者らは周知のはず」

 表に耳を澄まし刀の柄に手を掛ける雪丸の眼差しがますます強いものになる。

「鎧を着た者、馬の蹄の音、騎馬が数騎。徒の者は皆武装しております。……ざっと四十」

「遂に来たか!」

 傍らの太刀に手を伸ばす高衡にハッとした雪丸が問う。

「……自害なさるおつもりか?」

 高衡は頷き、蒼白の顔に強いて笑みを浮かべた。

「こんなに早く居所を知られるとはな。何の礼もできぬまま、範季殿の屋敷を汚して去るのは無念じゃ」

 涙を浮かべながら、高衡は雪丸を真直ぐに見つめ礼を言った。




「雪丸、長い間よく身共に仕えてくれたな。……ありがとう。――さらばじゃ」




 太刀を抜き、己の首に刃を添わせようとする高衡に、雪丸が叫んだ。

「待って!」

 駆け寄り刃を掴むと、自分の左胸にその切っ先を押し当てた。その掌から血が滴り落ちる。

「雪丸?」

 泣き笑いの表情で、雪丸が戸惑う主の顔を見つめる。

「あなただけ先に死なせない!」

 高衡の顔が悲壮に歪む。

「頼む! お前だけでも生き延びてくれぬか?」

 雪丸が涙を流しながら首を振る。震える手で自らの刀を主の左胸に向ける。

「言ったはずでございます。最後まで御傍にお仕えいたしまする。決して殿の元を離れぬと!」

 高衡の頬を涙が伝う。

「小雪よ……すまぬ。共に、平泉の菖蒲の花と咲こう」

 刀を握り直し、互いに力を込める。

 遠くから、唄声が聞こえる。

 高衡が顔を上げる。

「――この唄は……?」

 その歌声に、すっと刀を下ろし、ゆらりと立ち上がった高衡が呆然と呟く。

 驚いた顔で、雪丸が主を見上げる。

「……忘れもせぬ。我が所領、本吉の漁唄いさりうたじゃ!」
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