散華の紅雪

香竹薬孝

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第1章 2

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 時折白霞の切れる時もあったが、目指す集落に辿り着いた頃は恐らく夕暮れ時、しかし茜の空も菫の宵の入りも白い霞の向こうなので、正確な時刻は判らない。

畦道の両脇に段々と並ぶ棚田の所々から野良仕事の村人たちが顔を上げ、胡乱気にこちらを睨みつけてくる。しかし中には作業を止めて近づき「ヨォ」と声を掛けてくる気さくな村人もいた。村道も半ばを過ぎたあたりから野良帰りの村人たちが周囲に集まり始めた。

「あンだ、深芦ケ谷の舎弟っ子だべ? 采女取峠越えてきたのスかや?」

 人の好さそうな年配の村人に呼び止められる。深芦ケ谷は生家の屋号だ。舎弟とは次男坊を差す。

「なンと遠ォくから良く来たごど。 ほれ、平坊。深芦のズンツァマさ知らせでだイ」

 カカと笑う村人が私の背後に声を掛ける。振り向くと、いつの間にか私の背後には村の子供らがぞろぞろと行列を作っていて、そのうちの一人がトタトタと草履を鳴らして駆けていった。

「洋服来たお客さんは珍しいからねえ。たまに来る巡査さんか、兵隊にとられた若いのが盆と正月に帰ってくるくらいしかこの子らは見たことないのさ」

 子供らの頭を撫でながら野良着姿に姉さん被りの女性が笑う。この人だけ、言葉が違う。

「深芦さんならアタシの帰り道の途中だ。丁度御勤めも終わったところだし今から案内してあげようね」

 そう言って周囲に集まっていた幾人かの村人を振り返ると――女性は彼らに向かって両手を合わせて合掌した。村人たちも恭しく合掌する。

「ほンで、まんず」

「よく帰ってきてけだっちゃ。 後で俺ら家サ飲みサござイ」

 笑顔で見送る村人たちに子供たちは窘められたのか流石にもう後からついては来なかった。

「あの山道を越えてきたンだって? 大変だったねえ、いつまでいるつもりなンだい?」

 生家へと向かう道すがら女性はニコニコと話しかけてくる。歳を勘繰るのは不躾かもしれないが、二八は越えていないだろう。言葉だけではない。先ほどの村人たちとは違う不思議な雰囲気があった。

「ああ、アタシは蓮華っていうンだ。この先の破れ寺で住職をしているのさ」

「庵主さんなのですか?」

「尼寺ではないンだけどね。アタシは上総の出身なンだけどさ、いろいろやらかしてここまで流れてきた挙句、先代の住職様に拾っていただいて、何年か前に先代様がご入滅して以来跡目を継いだって次第さね」

 道理で言葉や物腰が他の者とは違うと思った。先ほどの様子や子供らの懐き方からも察するに村人たちからも相当信頼を寄せられているらしい。

「ときに……十何年ぶりに故郷の土を踏む君に拙僧から一つ忠告しようか」

 足を止め、顔を向けると目の前に庵主の双眸が寄せられた。切れ長の双眸、何か得体のしれないものを予感させるようにじっとわたしの両目を覗き込む。


「――いつまで逗留するつもりか知らないが長居はしないほうがいい」


 思わず怯んだ私の顔を見てふっと口元を薄く吊り上げ後ろに顎をしゃくった。

「この里に下りてから心当たりはあるだろう? さっきみたいな気持ちよく声を掛けてくれる連中もいればそうでもない連中もいる……めんどくさい村なンだよ、ここは」

 そう言われてみれば、村に着いて暫く無言で向けられていた視線は決して好意的なものではなかった。村の中心に近づくにつれ、いつしかそういったものは薄らいできたためすっかり忘れてしまっていたが、あれは余所者を警戒するといった生温い風のものではなかったかもしれない。再び歩き出しながら庵主は続けた。

「まあ、いずれ雪が降り始めたら山は越えられなくなる。こンな痩せた山奥で餅も食えずに年を越してもツマンないだろうし、山が紅くなる前に都会に帰った方が利巧さね……と、そろそろ着くよ」

 いつの間にか生家のすぐ傍まで来ていた。十数年振りに訪れた生家は、話し込んでいては素通りしてしまうような、変哲もない佇まいだった。
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