【お題短編集】言葉の大海原を泳ぎ鯛uouo

mimimi456/都古

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時計屋の檸檬

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寂れた商店街を歩いたこともある。
本当にひとひとり居らず。
そこで偶然猫を追い掛けてみたりしたかった。

途中に見た本屋は開いてるのか閉まってるのか分からなかった。けど陽の光を避けた位置に店が構えてあって、開けたら閉める、とデカデカ書いてあるチラシの裏に極太油性ペンで書いた注意書きが、なんだか面白かった。

それさえも通り過ぎると、奥まった商店街、出口というか。
解放的な造りのせいで寂しさが増す入り口のアーケードとは違って、こっちは涼やかだった。

凛とした空気が漂っていた。
いつも通りそこに在る、何故か荘厳さを感じる様な店は時計屋だった。

そういえば、昔からホームセンターの端っこに設置してある小さな時計屋を売り場から覗き見るのが好きだった。全く動かない時計、かと思えばカコカコうるさいものや、ジーー、とネジ巻き式のおもちゃの車が走る時の様な音を立てる物も有って。

この店にも、興味をそそられた。

時計なんか最後に身に付けたのは何時だったか。

仕事を辞めた。
月末の出勤日のその帰り道に、腕から外し鞄の奥底へ一度は放り込んだ。滑り込む様にスルン、と入って行ったのが気に食わなかった。

ゴゾゴゾと駅までの道を道を歩きながら、鞄を漁り、また時計を掴み上げて、今度こそしっかり奥底に押し込めた。
二度と上がってくるなよ、と恨んだりしながら。

改札を通る為に、定期券へと手を伸ばして…ふと、思い立った。

真っ直ぐ帰るのは惜しいと思ったんだ。
それからクルリと回れ右をした。体育の授業で覚えた事をどれだけ社会人を経ていても覚えているのだから。子供の記憶力は凄いなと我ながら思ったりもした。

「あれは」

その時に買った本が、この時計屋にも並んでいた。
私のはホームセンターで買った安い本棚に突っ込んだままで、薄らと埃を被っているだろう。

本棚だけではないから、きっと本棚も本もそうに違いない。

美しい時計屋だ。
今時壁掛け時計等、そう見かける物ではない。
金色の針が、ショーケースに並ぶ文字盤のガラスが、何もかもが輝いて見えた。


「暇ならコーヒーでも飲みませんか。」

「は。」

深い緑のエプロンをした店主が、手元に持っていた部品から顔を上げ私に聞いた。目配せを浴びて釣られると、小さなメニュースタンドが有った。

「いただきます。」

てっきり、商談用の椅子かと思っていたが。
客にコーヒーを出す用だったとは。

コツリ、と置かれたソーサーがガラステーブルを鳴らす。
深く腰掛ければグゥ、と沈む豊かな革張りのソファだった。

人知れず、深く息を吐く自分が居た。

耳を澄ませなくても、聞こえてくる時計の針の音はうるさくもなく、煩わしくもなく、責め立てもせず、急かしもせず。
ただ私の呼吸の数を一緒に数えてくれているだけの様に感じた。


そんな事は、本当に久しぶりだ。

柔らかく深いソファ、鼻から胸までをあやすようなコーヒーの香り。舌で感じる苦味の中にある爽やかでスッキリとした味わい。

随分と焦げ付いた物が、はらはらと落ち行く様な気がしていた。だからつい、余計な事を聞いてしまった。

本についてだ。
ここは時計屋だろう。
時計屋がこうしてコーヒーまで出すのは、まだ理解出来るとして。そのカウンターに数冊並んだ本のラインナップが気になっていた。

これでも、学生時代には本の虫だった。
そのずっと昔は、まぁまぁな悪ガキだった。
母は手を焼いていたと今でも偶に笑って許してくれる。

とても人が通る様な道とは言えない様な細い道を、近道と称して、ベキベキ庭木の枝を折りながら通り過ぎたり、そこのブロック塀にチョークの様に線を引ける小石を見つけては、クソガキらしい落書きをしたりもした。

細い道だから、暫くは家主すらも気が付かなかったが。
子供がわいわいはしゃぎながら集落を走り回れば、誰かが見ている物だ。

脳天に拳骨を浴び、庭の落ち葉を掃除させられ、そこの犬の散歩までやった。早朝に集落でやる廃品回収の手伝いまでやらされた。
それを大人達は、微笑ましく見守る様な田舎だった。
クソガキからしてみれば、羞恥心の苦行で仕方なかったが。

自分がネクタイを締めて、契約書を結ばせ、売上に貢献し、表彰されたり何たりする様になって気付くことになる。
あの頃の、あの時の大人達は優しかったんだなと。

会社を辞めた理由なんか、クソだったからと言う他無い。

高卒から勤めた。まさか30も過ぎて半ば目前で辞めることになるなんて、思いもしなかった。
嫌気が差したんだ。

もうこれ以上、俺ひとりがどう頑張った所で何も変化は生まれず。ただ、俺の功績が業績へとカウントされるのみで。俺は、もう...頑張れないと悟った。

好きな本が有った。

紡錘形の爽やかな色とその香りで胸がスッと軽くなる、そんな話だった。学生の俺には、少しイカレタ男の話だと思ったが。社会へ出て暫くして気が付いた。

あれは、今の俺だと。

不思議と嫌悪感は無かった。
ただ、納得出来た。肯定していいのだと、許された様な気がして。一時期、装丁が変わる度に買っていた。

夏が来る度に表紙が変わるのを、本屋に行く度に手に取ってレジに並んだ。中身は同じだ。全く同じ。けれど何故か、集めてしまう。

その内のひとつがこの時計屋の小さなラックに並んでいるのを見つけた。

「あれは、読んでみてもいいですか」

店主は俺を見ると頷いて、また手元の時計部品へと取り掛かる。

パラ、と1ページ目を捲る。
目次があって、短編集なんだ。
その一番初めのタイトルを、私は何度も見た。

何度も中身を読んだ筈なのに、目で本の文字を追う事すら随分久しぶりの様な気がする。最後に本を読んだのは何時だったか。文字なら、活字なら何時も見ていた。契約書、納品書、見積もり書、他にもありとあらゆる書類を紙や液晶で見てきた。

毎日、毎日、毎日。

スマホの文字なんかは、もう見てすらいない。
あれはただの景色の背景のどこか隅っこの何かみたいに脳が処理をする。

だから、短い動画を延々とスクロールして、よくわからない快感を、可能な限りの睡眠時間を削りながら補充する毎日だった。

それなのに。
こうして少しザラつく表紙をサラリ、ザラリ、サラリ。
ほんの一息。

呼吸ひとつ分、撫でただけでいま、胸がざわついた。
ゴポリ、と泡立つこれは何だ。
理由なんかひとつも思い当たらない、けれど瞼が熱い。

なんだ、これ。

さっきいただいた淹れたてのコーヒーより、熱い、
涙が出そうな理由なんか、何処にある

そんなものは、無いだろ。

ぱらり、またページを捲る。
文字を読んですらいないのに、目に入るよう単語だけで幾つも思い出せるシーンが有る。

汚い洗濯物、向日葵、絵の具、びいどろ、

「嗚呼」


懐かしいなーー。

昔は、こういうのが好きだった
ずっと憧れだった
ふらふらと何をするでもなく店に入り、本を眺め、気が済むまで綺麗な万年筆を眺めて思い馳せる。

それだけで良かった。

楽しかったんだ、

それが何時から、何時から私はどこにも行かなくなった。

怖かった。
この仕事しかした事がなかったから。
他の職場を知らずに30を過ぎた。転勤もなく、ただひとつの場所であれもこれもと、こなしてきた。

そうだ。

丸太で作った橋、なんかが昔は有った。
家の裏は山で、小川が流れていたりするど田舎だから。
そんな橋がまだそこかしこに有った。

あれを延々と渡っているかの様な、気分だったのかも知れない。

最悪な事に足元は滑りやすい革靴で、おまけに右足の靴紐の右の部分の蝶結びの方が長かったりなんかして。
そういうのが一々、気になるのが私の良くない所だった。

必ず、キチンと、靴紐は右も左も対象になっていて。
同じ時間、同じ物、同じ手順を守って働くのが好きだった。
時計だって、ずっと同じものを使っていた。何度も電池交換して、ベルトだって変えた。金属はどうにも嫌いで、革にしていたから2年毎に変えないといけないくらいボロボロで。

それをメンテするのが好きだった。

あの日、鞄の奥底に押し込めた時計は多分、まだそこに有る。
革靴はまだ履けるだろうか。
どうだろうな。
最近は、踵を潰したスニーカーしか履いていない。

ワイシャツも、アイロン掛けた記憶すらないな。

使われないままだった有給があと2日で終わる。
次の就職先なんか決まっていない。だけど、明日から12月が始まる。

何か、何かを変えるきっかけは今日しかない、と思った。

時間だけは腐るほど有った。
だからSNSを意味も無く摂取し続け、ひとつだけ面白そうだと思った物が有った。

散歩、だ。

よく言うだろ。
気晴らしになるかも知れない、何かヒントでも掴めるかも知れない、何か、童心に帰る様な...何かっ、何かが欲しかった。

希望か、変化か、勇気か、自己肯定か、慰めか。
分からないけれど、今を終わらせる何か前に進みたくなる物が欲しかった。


読まないまま、ページだけを巡った本をガラステーブルに置いた。指先がまだ少し痺れているな。
だけど、コーヒーを味わうのに支障は無かった。

さっきと同じ。
苦にならない苦み中にある爽やかさ。
それとスッキリとした味わいが、けれどグッと画素数を上げて。鮮やかに、ハッキリ舌で、この目で見て取れる。

カップの色は青で、ソーサーにも白地に青で薔薇が描いてある。こんなに目の覚める様な青だったか。

綺麗な色だな。

美味いコーヒー、美しい青色のカップ、手触りの良い紙の本、それからこのコトコト時を数えてくれる、針の音。

良いな。

会計を済ませながら、ひとつ尋ねた。

「時計のメンテナンスをここで、お願いしても良いですか。」

ジャラジャラと小銭をレジから出してくれながら、掌で受け止めて、財布に仕舞う。
何となく、何時もは捨てるしかないレシートを持て余してるカードケースに折り畳んで突っ込んだ。

また見返そう、と思って。

「何時になさいますか。」

「明日っ、来ますっ。」

「明日ですね。はい、お待ちしていますよ。」


店を出て、クルリと右を向く。
来た道を戻る、家へ帰ってやる事ができた。

まずは、鞄の底から時計を探し出すんだ。
それから、ワイシャツを全部洗濯して、アイロンを掛けて、鞄の中を綺麗に片付けて。


それから、それからあれもして、これもして、そう言えば。


俺は、この数ヶ月何して生きていていたのか。
全く記憶がない程に、ぼうっと呼吸だけをして生き延びていたのだと、今更思い知った。

限界だったんだな。

なんだ、やっばりそうじゃないか。
辞めて正解だったんだ。

メンテナンスに出すんだろ、時計を。
それと同じことをしていたんだろう。
俺も、支度しよう。

来年、良い年にしたい。
今年をあと少し、健やかに支度をして勢いをつけて一歩踏み出すんだ。

丸太の橋だろうと、きっと渡れる筈だ。
何せ長い経歴が有る。それは、唯一ではあるが無いよりはマシな武器の筈だ。

「さぁ。」


やってやるぞ。

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