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幸福
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それから私たち夫婦は、幸せな日々を過ごしていった。
旦那様は気まぐれで、かまってほしいと言わんばかりに私に擦り寄ってくる時もあればいくらこちらが声をかけても素っ気ない態度で、ツンとしている時もある。かかりつけ医が勧めてくれた玩具には目もくれず、その玩具が入れられていた箱の方に興味津々ということだって多々あった。でもそうやって翻弄されるのすら、妻となった私にとっては心の底から癒される至福の瞬間となっていた。
思えば私は周囲やルドルフ王子から「悪役令嬢」のレッテルを貼られ、ずいぶんと意固地になっていたように思う。公爵令嬢だから、貴族だから。そうやって無意識に見栄を張り、強がって、それで余計に余裕がなくなっていった。周りは誰も私を「クララ・リントナー」という一人の人間として見てくれないと嘆いていたくせに、当の自分が自分自身からずっと目を背けていた。
だけど私の「夫」、クラウス公爵は違った。彼はどんな時でも、そのくりっとした目で、柔らかな身のこなしで、フサフサの毛並みで私という人間を真っ直ぐに見つめてくれる。爵位や権力といった人間社会の事情に興味はない、ただ自分を可愛がる者だけに愛情を指し示すその姿はシンプルだが究極の愛の形だった。
クララ・クラウスとなった私は「公爵」の体を心配し、色々と世話を焼いた。その過程で爪切りを嫌がって暴れられたり、「かかりつけ医」に見てもらおうとして喧嘩になったこともあったけど私たち夫婦の間にある愛情は確かに存在していて……私はこれ以上ない安らぎと、充実した日々を送っていた。
だが――そんな日々も長くは続かない。
私たちが結婚して、数年後。旦那様は天国へと旅立っていった。死因は老衰だった。
わかってる、人間と猫の間には寿命に差がある。心のどこかでいつかそうなると覚悟はしていた。それでも、必死に抗おうとかかりつけ医と共に旦那様の健康管理には気を付けていたが……それでも、寄る年波には勝てなかったのだ。
「クララ様……今日も釣書が来ていますが、いかがなさいましょう……?」
「っやめて! 私は旦那様以外のお方と結婚する気はない! 帰ってちょうだい!」
「ですが、その、お嬢様はまだ若いし事実上『未婚』と言っても差し支えないのですから、今度は誰か人間の方と……」
「っ私は『未亡人』よっ! 私にとってクラウス公爵は最愛の『夫』だった! だから、もう、絶対に結婚なんてしないんだから!」
思わずヒステリックに叫んでしまうと、実家からやってきた侍女はすごすごと立ち去っていく。
彼女だって、傷心の私に結婚をせっつくのなんて無神経だとわかりきっているはずだ。だが、まだまだ政略結婚の「駒」として使える私を両親は放っておきたくない。
結局、私という人間そのものを心の底から愛してくれたのはクラウス公爵だけだったのだ――そんな現実に咽び泣いていると、旦那様のかかりつけ医だった女性がそっと私にホットミルクを差し出す。
「奥様、奥様が旦那様を失って悲しい気持ちを抱えているのはよくわかります。旦那様の死が受け入れられないことも、その死に怒りを感じることも決して悪いことではありません。から今は、その悲しみに浸っていてもいい……ですが、どうかそのまま人生を悲観しないでください。そんなことをなさったら、きっと天国にいった旦那様がどんなに悲しむことでしょう」
いつの間にか私を「奥様」、クラウス公爵を「旦那様」と躊躇いなく言えるようになった彼女はそのままそっと私に寄り添う。
「奥様が旦那様と一緒にいられて幸せだったように、旦那様も奥様のような優しい方と出会えてとても幸せだったと思います。だから奥様は、そんな旦那様との楽しい思い出を糧にして生きていきましょう。それからの身の振り方は、そうして前向きになっていってから考えても良いでしょうから」
かかりつけ医の彼女の言葉に、私の心の中にある巨大な悲しみの穴がほんの少し父待っていくのを感じる。
「っ……ありがとう、ございます……!」
涙交じりにそう言って、それでも嗚咽の止まらない私が落ち着くまでかかりつけ医の彼女はずっと側にいてくれたのだった。
そうやって少しずつ旦那様の死を受け入れ、なんとか立ち直った私はかつての旦那様のような猫たちを救う活動に力を入れ始めた。
種族を超えても家族になれる。それを実感した私はたった一人で寂しい思いを抱えている猫たちがなんとか素敵な家族と出会えるよう、かつて「悪役令嬢」だなんて言われ大勢の前で結婚式まで挙げた私が言うのだから間違いない。実は私の旦那様のファンだった、という方も活動に加わってくるようになり気が付けば私は町行く猫と人々を繋ぐ愛猫保護団体のリーダーとして活躍していた。
そんなことを思いながら、私は今までの結婚生活を振り返る。
些細な口論から猫と結婚するなんて、夢にも思わなかった。だけどその後、旦那様から惜しみない愛を受け取り私の心は徐々に氷解していった。今はこうして誰かのために働けることを誇りに思うほどに……
「そういえばルドルフ王太子は国庫金の使い込みがバレて、近々廃嫡にされる予定らしいですよ」
「あら、そうなの。あんな奴と結婚しなくて本当に良かったわ」
答えながら、私は改めて思う。
私は確かに悪役令嬢だったし、猫と結婚した。でも――そのお陰で誰よりも幸せな生活を送れたし、今の生活にだって満足できる。
悪役令嬢として猫と結婚したことは、私の人生にとって間違いなく幸福なことでありこれからの人生をプラスに変えられる出来事だった。その喜びを噛みしめ、私は今後も猫たちの保護活動に力をいれなければと改めて決意するのだった。
◇おわり◇
旦那様は気まぐれで、かまってほしいと言わんばかりに私に擦り寄ってくる時もあればいくらこちらが声をかけても素っ気ない態度で、ツンとしている時もある。かかりつけ医が勧めてくれた玩具には目もくれず、その玩具が入れられていた箱の方に興味津々ということだって多々あった。でもそうやって翻弄されるのすら、妻となった私にとっては心の底から癒される至福の瞬間となっていた。
思えば私は周囲やルドルフ王子から「悪役令嬢」のレッテルを貼られ、ずいぶんと意固地になっていたように思う。公爵令嬢だから、貴族だから。そうやって無意識に見栄を張り、強がって、それで余計に余裕がなくなっていった。周りは誰も私を「クララ・リントナー」という一人の人間として見てくれないと嘆いていたくせに、当の自分が自分自身からずっと目を背けていた。
だけど私の「夫」、クラウス公爵は違った。彼はどんな時でも、そのくりっとした目で、柔らかな身のこなしで、フサフサの毛並みで私という人間を真っ直ぐに見つめてくれる。爵位や権力といった人間社会の事情に興味はない、ただ自分を可愛がる者だけに愛情を指し示すその姿はシンプルだが究極の愛の形だった。
クララ・クラウスとなった私は「公爵」の体を心配し、色々と世話を焼いた。その過程で爪切りを嫌がって暴れられたり、「かかりつけ医」に見てもらおうとして喧嘩になったこともあったけど私たち夫婦の間にある愛情は確かに存在していて……私はこれ以上ない安らぎと、充実した日々を送っていた。
だが――そんな日々も長くは続かない。
私たちが結婚して、数年後。旦那様は天国へと旅立っていった。死因は老衰だった。
わかってる、人間と猫の間には寿命に差がある。心のどこかでいつかそうなると覚悟はしていた。それでも、必死に抗おうとかかりつけ医と共に旦那様の健康管理には気を付けていたが……それでも、寄る年波には勝てなかったのだ。
「クララ様……今日も釣書が来ていますが、いかがなさいましょう……?」
「っやめて! 私は旦那様以外のお方と結婚する気はない! 帰ってちょうだい!」
「ですが、その、お嬢様はまだ若いし事実上『未婚』と言っても差し支えないのですから、今度は誰か人間の方と……」
「っ私は『未亡人』よっ! 私にとってクラウス公爵は最愛の『夫』だった! だから、もう、絶対に結婚なんてしないんだから!」
思わずヒステリックに叫んでしまうと、実家からやってきた侍女はすごすごと立ち去っていく。
彼女だって、傷心の私に結婚をせっつくのなんて無神経だとわかりきっているはずだ。だが、まだまだ政略結婚の「駒」として使える私を両親は放っておきたくない。
結局、私という人間そのものを心の底から愛してくれたのはクラウス公爵だけだったのだ――そんな現実に咽び泣いていると、旦那様のかかりつけ医だった女性がそっと私にホットミルクを差し出す。
「奥様、奥様が旦那様を失って悲しい気持ちを抱えているのはよくわかります。旦那様の死が受け入れられないことも、その死に怒りを感じることも決して悪いことではありません。から今は、その悲しみに浸っていてもいい……ですが、どうかそのまま人生を悲観しないでください。そんなことをなさったら、きっと天国にいった旦那様がどんなに悲しむことでしょう」
いつの間にか私を「奥様」、クラウス公爵を「旦那様」と躊躇いなく言えるようになった彼女はそのままそっと私に寄り添う。
「奥様が旦那様と一緒にいられて幸せだったように、旦那様も奥様のような優しい方と出会えてとても幸せだったと思います。だから奥様は、そんな旦那様との楽しい思い出を糧にして生きていきましょう。それからの身の振り方は、そうして前向きになっていってから考えても良いでしょうから」
かかりつけ医の彼女の言葉に、私の心の中にある巨大な悲しみの穴がほんの少し父待っていくのを感じる。
「っ……ありがとう、ございます……!」
涙交じりにそう言って、それでも嗚咽の止まらない私が落ち着くまでかかりつけ医の彼女はずっと側にいてくれたのだった。
そうやって少しずつ旦那様の死を受け入れ、なんとか立ち直った私はかつての旦那様のような猫たちを救う活動に力を入れ始めた。
種族を超えても家族になれる。それを実感した私はたった一人で寂しい思いを抱えている猫たちがなんとか素敵な家族と出会えるよう、かつて「悪役令嬢」だなんて言われ大勢の前で結婚式まで挙げた私が言うのだから間違いない。実は私の旦那様のファンだった、という方も活動に加わってくるようになり気が付けば私は町行く猫と人々を繋ぐ愛猫保護団体のリーダーとして活躍していた。
そんなことを思いながら、私は今までの結婚生活を振り返る。
些細な口論から猫と結婚するなんて、夢にも思わなかった。だけどその後、旦那様から惜しみない愛を受け取り私の心は徐々に氷解していった。今はこうして誰かのために働けることを誇りに思うほどに……
「そういえばルドルフ王太子は国庫金の使い込みがバレて、近々廃嫡にされる予定らしいですよ」
「あら、そうなの。あんな奴と結婚しなくて本当に良かったわ」
答えながら、私は改めて思う。
私は確かに悪役令嬢だったし、猫と結婚した。でも――そのお陰で誰よりも幸せな生活を送れたし、今の生活にだって満足できる。
悪役令嬢として猫と結婚したことは、私の人生にとって間違いなく幸福なことでありこれからの人生をプラスに変えられる出来事だった。その喜びを噛みしめ、私は今後も猫たちの保護活動に力をいれなければと改めて決意するのだった。
◇おわり◇
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