猫と珈琲〜喫茶いっこく・25gの後悔〜

相葉すずか

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逃亡者

19

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 代わりに、カウンターの向こうに立っていたのはスズさんだ。

「俊哉……?」

 彼の名前を呼びながら周囲を見渡すけど、店内には、私とスズさんの姿しかない。
 さっきは白い光につつまれていた窓の外は、緑溢れる元の景色に戻っている。

「後悔は、過去に届いたみたいですね」

 スズさんが言う。

 夢だったのかも――なんてことはありえない。

 あの温度や涙の重みが、夢だったなんてありえないのだから。
 カウンターを見下ろすと、そこに置いていた手紙は消えていて、代わりに、一枚の写真だけが残されていた。

「手紙は……?」
「届けたい人のもとへ」

 スズさんは胸の前に手を置き、誇らしげに言う。

「じゃあ、あれは本当に?」

「はい。あなたの二五グラム以下の後悔は、ちゃんと届きましたよ」

 時間を巻き戻すことも、事故をなかったことにすることもできない。
 でも、言えずに後悔していた言葉を届けることはできたのだ。
 そして同じように、彼の伝えたかった思いも、私のもとに届いた。
 それだけで、もう十分だった。

 私は静かにカップを持ち上げ、冷めたコーヒーを飲み干した。
 酸味が少し強くなっていて、現実の味がした。
 一刻の贅沢は、もう過ぎ去ったのだ。
 過ぎた時間を取り戻すことはできない。
 けれど、その時間の中で得たものは、確かに残っている。

「ありがとう」

 空になったカップをソーサーに戻しながら言うと、スズさんは照れくさそうに肩をすくめた。その動きに合わせて、彼女の鈴がチリンと鳴る。
 その音に、なにかの終焉を感じて私は立ち上がった。

「それでお代は?」

 手紙の代金は、今日支払う約束だ。
 私の問い掛けに、スズさんはカウンターに置かれた写真をそっと引き寄せる。

「お代はこれで」

「これでいいの?」

「これがいいんです」

 スズさんの目が、私の肩の辺りを通り越して遠くを見た。
 その視線を追いかけると、カウンターとは反対側の壁に貼られた写真へと目が行く。
 そこに貼られたまとまりのない写真たち。誰かの暮らしの一瞬を切り取った写真がここに貼られている理由が今ならわかる。

「そう……それなら、どうぞ」

 私は、スズさんに向かって軽く頭を下げ、椅子に置いてあったバッグを肩にかけて歩き出す。
 そのまま扉のノブに手をかけた私は、そこでふと思いとどまって振り返る。

「店名どおりの“一刻”の幸せをありがとう」

 再会できたのは、ほんの一瞬だったし、それで変わる過去はなにもない。
 でもその一刻の軌跡に、私は、これからの生きる道しるべをもらった。

「あの……」

 お礼を言って出ていこうとする私に、カウンターの外に出てきたスズさんが何か言いたげな顔をしていたけれど、もうこれ以上ここにいてはいけないような気がして私はそのまま店を出た。
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