27 / 39
臨書の人
5
しおりを挟む膝の悪い祖母が家に上がるのを手伝い、リビングの定位置に座らせたら、洗濯物を取り込み、それを片付け、夕飯の支度を始める。
そして病院勤務の母が帰って来たら三人で食卓を囲むのがいつもの流れだ。
「今日来た患者さん、耳が遠いのに家族の付き添いもなくて、相手するこっちのことも考えてほしいわ。……同僚の若い看護師が妊娠三ヶ月で、できちゃった婚するって言うんだけど、ゴールデンウィークで浮かれていたのかしら。ホントに計画性がなくてだらしない」
「ウチのデイサービスの職員、頑固ないっこく者で、人の話を聞きゃしない。ああいう人間は、誰とも仲よくなれずにすぐに辞めていくんだろうよ。ほんと、プロ意識がないよね」
母の愚痴に被せるように、祖母が職員の悪口を言う。
食事中の話題は基本、今日この二人の視界に入った人の悪口だ。
お互い、相手の話を聞いているのかいないのか、誰かの文句を言ってはニヤニヤしている。
そのニヤニヤ笑いを笑顔にカウントしなくていいなら、食事中の我が家に笑顔はない。
祖母はよく自分と意見合わない人のことを、この辺の方言で頑固者を意味する〝いっこく者〟と呼ぶ。その声に、強い拒絶を感じるから、私は祖母と違う意見を口にすることができなくなる。
「そうなんだ、大変だね」
私は、二人の会話に時々相槌を打ちながら箸を動かす。
もちろん本気で、祖母や母を大変だとは思っていない。
本当に大変なのは、こんな二人の相手をしなくちゃいけない職場の同僚や、デイサービスの職員だ。
チラリと視線を上げると、唇の隙間から覗く祖母の黒く変色した歯茎や、自分で染めて不自然なくらい黒々としている母の髪がやけに目につく。
視界に入るその黒は、ボクジュウの模様とは違うすごく汚い黒に思えた。
「明日香、この魚、焼きすぎなんじゃない?」
不意に母の矛先が私に向く。
ちょうど箸でほぐしていた魚の焼き具合を確認するけど、焼きすぎといった感じはない。
でも母がそう言うのであれば、これ失敗作なのだ。
「あ、ごめん」
咄嗟に謝る私に、二人が揃って深いため息をつく。
「なんでこれくらいのこともできないのかね。こんなんじゃ、嫁にも行けないよ」
祖母はそう言うが、アルバイト先のコンビニと家の往復しかしていない私が、嫁に行けるわけがない。
そもそも、この二人は、私が嫁に行くことを許したりはしないだろう。
「そんなだらしない性格だから、仕事も長続きしないのよ」
「――っ!」
自分の都合に合わせて記憶をねじ曲げる癖がある母の言葉に、私は心臓を握り潰されたような気がして顔を上げた。
商業高校を卒業した後、私は近所の工務店の事務員として働いていた。
だけど二年前、祖母が骨折で入院して、今後介護が必要になると言われた時に、『看護師の私が仕事辞めるより、明日香が仕事を辞めておばあちゃんの介護をしたほうがいいわ』と、私に退職を迫ったのは母ではないか。
その後も、回復した祖母の在宅介護が始まると、デイサービスの送り出しや迎え入れ、家事をする人が必要と言って、私の仕事の選択を狭めていったのは母なのに。
「住む家があって、頼れる家族がいて、明日香はもっと私達に感謝するべきだよ」
認知症の傾向はないはずなのに、私が仕事を辞めた経緯を忘れた様子で祖母はそう言ってお茶を飲む。
そして母と二人、冷めた目差しで私を射貫く。
「うん、そうだよね。……ごめんなさい。いつもありがとうございます」
感情を呑み込んでお礼の言葉を口にする私の心に、黒いシミがぽたりと落ちたような気がした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】
remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。
本宮 のい。新社会人1年目。
永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。
なんだけど。
青井 奏。
高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、
和泉 碧。
初恋の相手らしき人も現れた。
幸せの青い鳥は一体どこに。
【完結】 ありがとうございました‼︎
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる