猫と珈琲〜喫茶いっこく・25gの後悔〜

相葉すずか

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臨書の人

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 膝の悪い祖母が家に上がるのを手伝い、リビングの定位置に座らせたら、洗濯物を取り込み、それを片付け、夕飯の支度を始める。
 そして病院勤務の母が帰って来たら三人で食卓を囲むのがいつもの流れだ。

「今日来た患者さん、耳が遠いのに家族の付き添いもなくて、相手するこっちのことも考えてほしいわ。……同僚の若い看護師が妊娠三ヶ月で、できちゃった婚するって言うんだけど、ゴールデンウィークで浮かれていたのかしら。ホントに計画性がなくてだらしない」

「ウチのデイサービスの職員、頑固ないっこく者で、人の話を聞きゃしない。ああいう人間は、誰とも仲よくなれずにすぐに辞めていくんだろうよ。ほんと、プロ意識がないよね」

 母の愚痴に被せるように、祖母が職員の悪口を言う。
 食事中の話題は基本、今日この二人の視界に入った人の悪口だ。
 お互い、相手の話を聞いているのかいないのか、誰かの文句を言ってはニヤニヤしている。
 そのニヤニヤ笑いを笑顔にカウントしなくていいなら、食事中の我が家に笑顔はない。
 祖母はよく自分と意見合わない人のことを、この辺の方言で頑固者を意味する〝いっこく者〟と呼ぶ。その声に、強い拒絶を感じるから、私は祖母と違う意見を口にすることができなくなる。

「そうなんだ、大変だね」

 私は、二人の会話に時々相槌を打ちながら箸を動かす。
 もちろん本気で、祖母や母を大変だとは思っていない。
 本当に大変なのは、こんな二人の相手をしなくちゃいけない職場の同僚や、デイサービスの職員だ。
 チラリと視線を上げると、唇の隙間から覗く祖母の黒く変色した歯茎や、自分で染めて不自然なくらい黒々としている母の髪がやけに目につく。
 視界に入るその黒は、ボクジュウの模様とは違うすごく汚い黒に思えた。

「明日香、この魚、焼きすぎなんじゃない?」

 不意に母の矛先が私に向く。
 ちょうど箸でほぐしていた魚の焼き具合を確認するけど、焼きすぎといった感じはない。
 でも母がそう言うのであれば、これ失敗作なのだ。

「あ、ごめん」

 咄嗟に謝る私に、二人が揃って深いため息をつく。

「なんでこれくらいのこともできないのかね。こんなんじゃ、嫁にも行けないよ」

 祖母はそう言うが、アルバイト先のコンビニと家の往復しかしていない私が、嫁に行けるわけがない。
 そもそも、この二人は、私が嫁に行くことを許したりはしないだろう。

「そんなだらしない性格だから、仕事も長続きしないのよ」

「――っ!」

 自分の都合に合わせて記憶をねじ曲げる癖がある母の言葉に、私は心臓を握り潰されたような気がして顔を上げた。
 商業高校を卒業した後、私は近所の工務店の事務員として働いていた。
 だけど二年前、祖母が骨折で入院して、今後介護が必要になると言われた時に、『看護師の私が仕事辞めるより、明日香が仕事を辞めておばあちゃんの介護をしたほうがいいわ』と、私に退職を迫ったのは母ではないか。
 その後も、回復した祖母の在宅介護が始まると、デイサービスの送り出しや迎え入れ、家事をする人が必要と言って、私の仕事の選択を狭めていったのは母なのに。

「住む家があって、頼れる家族がいて、明日香はもっと私達に感謝するべきだよ」

 認知症の傾向はないはずなのに、私が仕事を辞めた経緯を忘れた様子で祖母はそう言ってお茶を飲む。
 そして母と二人、冷めた目差しで私を射貫く。

「うん、そうだよね。……ごめんなさい。いつもありがとうございます」

 感情を呑み込んでお礼の言葉を口にする私の心に、黒いシミがぽたりと落ちたような気がした。
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