佐野ペースに流されないで!頑張れ小桜くん!

猫乃毛温

文字の大きさ
7 / 8

␣6話のおまけ:小桜家の末っ子、律くん!

しおりを挟む
佐野が帰ってから、ひっそりと静寂が戻った家に、ガチャリと玄関の鍵が開く音が響いた。佐野の気配が消えたばかりの空間に、律の、いつもと変わらない、甘く優しい空気が満ちていく。

「兄さん、ただいま。帰るの遅くなってごめんね…。寂しくなかった?」


優しい響きの声が、樹の耳に心地よく響く。ソファーで寛いでいた樹は、律が心配そうに尋ねる声に、焦りを覚える。


「おかえり~、兄さんはもう高校生だよ!何の心配もいらないよ」


樹は精一杯、兄さんの顔をして薄っぺらい胸を張ってみせる。


「ええ~、本当かなあ?俺は不安だよ。高校で悪い人に絡まれてない?変な友達とか作ってない?」


律の問いかけは、いつもと変わらない、少しばかり過保護な弟のものだった。彼の口調には、兄を心から心配するような響きがあり、樹はただ微笑み、Vサインを作ってみせる。

「全然へーき!」

(絡まれはしてるけど佐野くん、悪い人じゃないし……)

樹の心の中で、佐野の笑顔がよぎる。

律の言葉の裏にある、彼自身の不安を、樹はまだ「いつもの律」としてしか捉えられなかった。


「じゃあ、クラスで孤立してない?」


律の言葉に、樹の表情が一瞬、硬直する。


「……へーきだよ!!孤立なんて兄さんがするわけないじゃないか」


樹は、少し早口になる。その様子に、律は吹き出して笑う。


「さすがに嘘!も~兄さんは嘘が下手だな~」


律は学ランを脱ぐと、迷うことなく樹の隣に腰を下ろし、慣れた様子でもたれかかってきた。

その瞬間、さっきまで微笑んでいた律の顔から、みるみるうちに表情が消えた。


普段は愛らしい笑顔で見る者を惹きつける彼の顔は、無表情になることで一層、彫刻のように端正な美しさが際立っていた。だが、その完璧な造形は、今はどこか冷たく、底知れない不穏さを感じさせた。彼の琥珀色の瞳が、周囲をゆっくりと見渡す。まるで、何かを探すように、そして見つけるように。


やがて、その視線が樹の首元に、そしてソファの座面に向けられた。律は、樹の腕にそっと顔を埋める。

「……ねえ、兄さん」

声のトーンが、数段低くなる。しかし、それは感情を押し殺したような冷たさではなく、どこか寂しげで、心配を募らせているような響きがあった。

「気の所為かも、とは思ったんだ。でも、やっぱり、誰か家にあげたよね?洗い場には食器が二人分出てたし……」

律の言葉が途切れるが彼は樹の腕に顔を埋めたままだ。

「それに……兄さんから、俺の知らない匂いがする」

律の声が、すこしだけ震える。感情を押し殺しているというよりは、何か得体の知れないものを警戒しているような、そんな不安が滲んでいた。


「誰なの?――また、俺に隠しごとするの?」


律は樹の腕から顔を上げ、眉をひそめて、まるで捨てられた子犬のような、哀れな表情をする。そんな律を早く安心させてやりたくて、僕は落ち着きのある声色で話しかける。その手は、律のふわふわとした柔らかい栗色の髪の毛を、そっと撫でた。


「兄さんね、新しい友達ができたんだ!佐野くんって言うの!律に隠しごとをしたかったわけじゃなくて、心配させたくなかっただけだよ?優しくていい人だから、どうかそんな顔しないで。不安にさせたね、ごめんね、律」


樹は、小さな手のひらで律の頭を撫でたまま、視線を合わせ、なだめるように、ゆっくりと言葉を選んだ。

律は、樹の言葉を最後まで聞くと、ゆっくりと首を横に振った。彼の顔には、微かな怒りよりも、深い不安と寂しさが刻まれているようだった。


「そう。新しい友達の、佐野くんか……」

感情の読めない、冷たい声だった。だが、その冷たさの奥には、繊細な心が傷ついているような響きがあった。



「……俺、その匂い、あんまり好きじゃないな 」

律は、樹の手のひらからスッと身体を離すと、感情のこもらない目で樹を見つめた。

その琥珀色の瞳の奥に、ほんの少しだけ、普段は見せないような戸惑いと、何かを訝しむような色が見えた。


「兄さん、先風呂入って早く匂い落として。俺、部屋戻るから」


そう言い放つと、迷うことなく自分の部屋へと戻ってしまった。ドアが閉まる音だけが、やけに大きく響く。

その音は、まるで、律が抱える漠然とした不安が、部屋の中に置き去りにされたかのようだった。

「…律、疲れてるのかな? 」

律のいなくなった部屋で、一人呟く。

心の中で、佐野の笑顔が再びよぎった。佐野の匂い、彼はとても安心できる匂いだったのに。律が嫌がった匂いは、不快な匂いでは決してなかった。

樹は、自分の体にまだ微かに残る佐野の匂いを、そっと確かめた。

律の閉じたドアの向こうで、何かが静かに、しかし確実に、その芽吹きを始めていた。それは、まだ誰も気づかない、小さな感情の歪み。樹は、そのことに気づくはずもなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

【「麗しの眠り姫」シリーズ】苦労性王子は今日も従兄に振り回される

黒木  鳴
BL
「麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る」でセレナードたちに振り回されるお世話係ことエリオット王子視点のお話。エリオットが親しい一部の友人たちに“王子(笑)”とあだなされることになった文化祭の「sleeping beauty」をめぐるお話や生徒会のわちゃわちゃなど。【「麗しの眠り姫」シリーズ】第三段!!義兄さまの出番が少ないのでBL要素は少なめです。

【8話完結】強制力に負けて死に戻ったら、幼馴染の様子がおかしいのですが、バグですか?

キノア9g
BL
目が覚めたら、大好きだったRPGの世界に転生していた。 知識チートでなんとか死亡フラグを回避した……はずだったのに、あっさり死んで、気づけば一年前に逆戻り。 今度こそ生き残ってみせる。そう思っていたんだけど—— 「お前、ちょっと俺に執着しすぎじゃない……?」 幼馴染が、なんかおかしい。妙に優しいし、距離が近いし、俺の行動にやたら詳しい。 しかも、その笑顔の奥に見える“何か”が、最近ちょっと怖い。 これは、運命を変えようと足掻く俺と、俺だけを見つめ続ける幼馴染の、ちょっと(だいぶ?)危険な異世界BL。 全8話。

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

処理中です...