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␣6話のおまけ:小桜家の末っ子、律くん!
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佐野が帰ってから、ひっそりと静寂が戻った家に、ガチャリと玄関の鍵が開く音が響いた。佐野の気配が消えたばかりの空間に、律の、いつもと変わらない、甘く優しい空気が満ちていく。
「兄さん、ただいま。帰るの遅くなってごめんね…。寂しくなかった?」
優しい響きの声が、樹の耳に心地よく響く。ソファーで寛いでいた樹は、律が心配そうに尋ねる声に、焦りを覚える。
「おかえり~、兄さんはもう高校生だよ!何の心配もいらないよ」
樹は精一杯、兄さんの顔をして薄っぺらい胸を張ってみせる。
「ええ~、本当かなあ?俺は不安だよ。高校で悪い人に絡まれてない?変な友達とか作ってない?」
律の問いかけは、いつもと変わらない、少しばかり過保護な弟のものだった。彼の口調には、兄を心から心配するような響きがあり、樹はただ微笑み、Vサインを作ってみせる。
「全然へーき!」
(絡まれはしてるけど佐野くん、悪い人じゃないし……)
樹の心の中で、佐野の笑顔がよぎる。
律の言葉の裏にある、彼自身の不安を、樹はまだ「いつもの律」としてしか捉えられなかった。
「じゃあ、クラスで孤立してない?」
律の言葉に、樹の表情が一瞬、硬直する。
「……へーきだよ!!孤立なんて兄さんがするわけないじゃないか」
樹は、少し早口になる。その様子に、律は吹き出して笑う。
「さすがに嘘!も~兄さんは嘘が下手だな~」
律は学ランを脱ぐと、迷うことなく樹の隣に腰を下ろし、慣れた様子でもたれかかってきた。
その瞬間、さっきまで微笑んでいた律の顔から、みるみるうちに表情が消えた。
普段は愛らしい笑顔で見る者を惹きつける彼の顔は、無表情になることで一層、彫刻のように端正な美しさが際立っていた。だが、その完璧な造形は、今はどこか冷たく、底知れない不穏さを感じさせた。彼の琥珀色の瞳が、周囲をゆっくりと見渡す。まるで、何かを探すように、そして見つけるように。
やがて、その視線が樹の首元に、そしてソファの座面に向けられた。律は、樹の腕にそっと顔を埋める。
「……ねえ、兄さん」
声のトーンが、数段低くなる。しかし、それは感情を押し殺したような冷たさではなく、どこか寂しげで、心配を募らせているような響きがあった。
「気の所為かも、とは思ったんだ。でも、やっぱり、誰か家にあげたよね?洗い場には食器が二人分出てたし……」
律の言葉が途切れるが彼は樹の腕に顔を埋めたままだ。
「それに……兄さんから、俺の知らない匂いがする」
律の声が、すこしだけ震える。感情を押し殺しているというよりは、何か得体の知れないものを警戒しているような、そんな不安が滲んでいた。
「誰なの?――また、俺に隠しごとするの?」
律は樹の腕から顔を上げ、眉をひそめて、まるで捨てられた子犬のような、哀れな表情をする。そんな律を早く安心させてやりたくて、僕は落ち着きのある声色で話しかける。その手は、律のふわふわとした柔らかい栗色の髪の毛を、そっと撫でた。
「兄さんね、新しい友達ができたんだ!佐野くんって言うの!律に隠しごとをしたかったわけじゃなくて、心配させたくなかっただけだよ?優しくていい人だから、どうかそんな顔しないで。不安にさせたね、ごめんね、律」
樹は、小さな手のひらで律の頭を撫でたまま、視線を合わせ、なだめるように、ゆっくりと言葉を選んだ。
律は、樹の言葉を最後まで聞くと、ゆっくりと首を横に振った。彼の顔には、微かな怒りよりも、深い不安と寂しさが刻まれているようだった。
「そう。新しい友達の、佐野くんか……」
感情の読めない、冷たい声だった。だが、その冷たさの奥には、繊細な心が傷ついているような響きがあった。
「……俺、その匂い、あんまり好きじゃないな 」
律は、樹の手のひらからスッと身体を離すと、感情のこもらない目で樹を見つめた。
その琥珀色の瞳の奥に、ほんの少しだけ、普段は見せないような戸惑いと、何かを訝しむような色が見えた。
「兄さん、先風呂入って早く匂い落として。俺、部屋戻るから」
そう言い放つと、迷うことなく自分の部屋へと戻ってしまった。ドアが閉まる音だけが、やけに大きく響く。
その音は、まるで、律が抱える漠然とした不安が、部屋の中に置き去りにされたかのようだった。
「…律、疲れてるのかな? 」
律のいなくなった部屋で、一人呟く。
心の中で、佐野の笑顔が再びよぎった。佐野の匂い、彼はとても安心できる匂いだったのに。律が嫌がった匂いは、不快な匂いでは決してなかった。
樹は、自分の体にまだ微かに残る佐野の匂いを、そっと確かめた。
律の閉じたドアの向こうで、何かが静かに、しかし確実に、その芽吹きを始めていた。それは、まだ誰も気づかない、小さな感情の歪み。樹は、そのことに気づくはずもなかった。
「兄さん、ただいま。帰るの遅くなってごめんね…。寂しくなかった?」
優しい響きの声が、樹の耳に心地よく響く。ソファーで寛いでいた樹は、律が心配そうに尋ねる声に、焦りを覚える。
「おかえり~、兄さんはもう高校生だよ!何の心配もいらないよ」
樹は精一杯、兄さんの顔をして薄っぺらい胸を張ってみせる。
「ええ~、本当かなあ?俺は不安だよ。高校で悪い人に絡まれてない?変な友達とか作ってない?」
律の問いかけは、いつもと変わらない、少しばかり過保護な弟のものだった。彼の口調には、兄を心から心配するような響きがあり、樹はただ微笑み、Vサインを作ってみせる。
「全然へーき!」
(絡まれはしてるけど佐野くん、悪い人じゃないし……)
樹の心の中で、佐野の笑顔がよぎる。
律の言葉の裏にある、彼自身の不安を、樹はまだ「いつもの律」としてしか捉えられなかった。
「じゃあ、クラスで孤立してない?」
律の言葉に、樹の表情が一瞬、硬直する。
「……へーきだよ!!孤立なんて兄さんがするわけないじゃないか」
樹は、少し早口になる。その様子に、律は吹き出して笑う。
「さすがに嘘!も~兄さんは嘘が下手だな~」
律は学ランを脱ぐと、迷うことなく樹の隣に腰を下ろし、慣れた様子でもたれかかってきた。
その瞬間、さっきまで微笑んでいた律の顔から、みるみるうちに表情が消えた。
普段は愛らしい笑顔で見る者を惹きつける彼の顔は、無表情になることで一層、彫刻のように端正な美しさが際立っていた。だが、その完璧な造形は、今はどこか冷たく、底知れない不穏さを感じさせた。彼の琥珀色の瞳が、周囲をゆっくりと見渡す。まるで、何かを探すように、そして見つけるように。
やがて、その視線が樹の首元に、そしてソファの座面に向けられた。律は、樹の腕にそっと顔を埋める。
「……ねえ、兄さん」
声のトーンが、数段低くなる。しかし、それは感情を押し殺したような冷たさではなく、どこか寂しげで、心配を募らせているような響きがあった。
「気の所為かも、とは思ったんだ。でも、やっぱり、誰か家にあげたよね?洗い場には食器が二人分出てたし……」
律の言葉が途切れるが彼は樹の腕に顔を埋めたままだ。
「それに……兄さんから、俺の知らない匂いがする」
律の声が、すこしだけ震える。感情を押し殺しているというよりは、何か得体の知れないものを警戒しているような、そんな不安が滲んでいた。
「誰なの?――また、俺に隠しごとするの?」
律は樹の腕から顔を上げ、眉をひそめて、まるで捨てられた子犬のような、哀れな表情をする。そんな律を早く安心させてやりたくて、僕は落ち着きのある声色で話しかける。その手は、律のふわふわとした柔らかい栗色の髪の毛を、そっと撫でた。
「兄さんね、新しい友達ができたんだ!佐野くんって言うの!律に隠しごとをしたかったわけじゃなくて、心配させたくなかっただけだよ?優しくていい人だから、どうかそんな顔しないで。不安にさせたね、ごめんね、律」
樹は、小さな手のひらで律の頭を撫でたまま、視線を合わせ、なだめるように、ゆっくりと言葉を選んだ。
律は、樹の言葉を最後まで聞くと、ゆっくりと首を横に振った。彼の顔には、微かな怒りよりも、深い不安と寂しさが刻まれているようだった。
「そう。新しい友達の、佐野くんか……」
感情の読めない、冷たい声だった。だが、その冷たさの奥には、繊細な心が傷ついているような響きがあった。
「……俺、その匂い、あんまり好きじゃないな 」
律は、樹の手のひらからスッと身体を離すと、感情のこもらない目で樹を見つめた。
その琥珀色の瞳の奥に、ほんの少しだけ、普段は見せないような戸惑いと、何かを訝しむような色が見えた。
「兄さん、先風呂入って早く匂い落として。俺、部屋戻るから」
そう言い放つと、迷うことなく自分の部屋へと戻ってしまった。ドアが閉まる音だけが、やけに大きく響く。
その音は、まるで、律が抱える漠然とした不安が、部屋の中に置き去りにされたかのようだった。
「…律、疲れてるのかな? 」
律のいなくなった部屋で、一人呟く。
心の中で、佐野の笑顔が再びよぎった。佐野の匂い、彼はとても安心できる匂いだったのに。律が嫌がった匂いは、不快な匂いでは決してなかった。
樹は、自分の体にまだ微かに残る佐野の匂いを、そっと確かめた。
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