「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ

文字の大きさ
3 / 6

3

しおりを挟む
 リリアの部屋に残された、たった一輪の薔薇。
 ──それは、彼が狂気に堕ちた証だった。

 アランが兵を呼び寄せ、屋敷全体に結界を張る。
 「外からの侵入は防げるはずだ。君は今夜から、私の部屋で休め」
 「でも、殿下……」
 「アランでいい」
 その声に、リリアの胸がわずかに熱くなる。
 「……アラン」
 彼の名を呼んだ瞬間、アランの瞳が柔らかく細められた。

 「怖い思いをさせてすまない。必ず守る」
 その言葉に、リリアは小さく頷いた。

 けれど──
 窓の外で、誰かが笑ったような気がした。
 風に乗って、どこか懐かしい低い声が響く。

 「守る? 君を守れるのは、俺だけだろう」

 リリアは無意識に身を震わせた。

 

 その頃、王都の地下街。
 湿った石壁の奥、ひとつの燭台の炎が揺れる。

 レオン・ハイゼルは、闇商人と呼ばれる男と向かい合っていた。
 「……これが、殿下の屋敷の結界図だ。王城から流出した正規の写しだぞ。金貨百枚で譲ろう」
 「百枚だと?」
 レオンは冷笑を浮かべる。
 「そんなもの、いくらでも払える。必要なのは“彼女”だけだ」

 懐から取り出した袋が机に落ちる。
 じゃらりと音を立て、黄金がこぼれた。
 「……王国一の貴族も、墜ちたものだな」
 商人の目がぎらりと光る。

 レオンは微笑んだ。
 「愛のためなら、地獄でも構わない」

 

 その夜。
 リリアはアランの部屋の隣室に用意された簡素な寝台にいた。
 外は雨。窓を叩く音が、やけに胸をざわつかせる。

 ──昔もこんな夜があった。
 学園の図書室で、外が嵐になった日。
 怖くて帰れなかった私に、レオンが小さく笑って「大丈夫だ、俺がいる」と囁いた。
 その優しい声が、頭の奥で蘇る。

 (……どうして、あんなにも変わってしまったの)

 きっと、誰よりも優しかった。
 誰よりも、真っ直ぐに人を想っていたのに。
 だからこそ、彼の壊れ方は残酷だった。

 リリアは静かに目を閉じる。
 でも、眠りは浅い。
 心の奥で、何かが近づいてくる気配を感じていた。

 


 深夜。
 ふと、窓辺に影が差す。
 次の瞬間、ガラスがわずかに軋み──音もなく開いた。

 「……リリア」
 かすかな囁き。
 眠りの浅いリリアは目を開け、その声に凍りついた。

 そこにいたのは、レオン。
 雨に濡れた金の髪。狂気を孕んだ瞳。
 かつて愛したその顔が、まるで別人のように歪んでいた。

 「どうして……ここに……!?」
 リリアが叫ぶより早く、彼は彼女の口を手で塞ぐ。
 「静かに。誰にも気づかせたくない」
 「レオン、離して……っ」
 「違うんだ、リリア……俺は、君を取り戻しに来ただけだ」

 彼の指先が震えている。
怒りでも、欲でもない。
 ──哀しみと、執着。

 「君はあの男に囚われてる。違うか?」
 「アラン様は……私を助けてくれたのよ」
 「違う! あいつは君を利用してるんだ! 君の魔力が欲しいだけだ!」
 レオンの声が荒れる。
 「君がどれだけ優しくても、あいつは王族だ。身分が違うんだ! そんなの、間違ってる!」

 その言葉に、リリアの瞳が鋭く光る。
 「“身分が違う”って言ったのは、あなたじゃない」

 一瞬、沈黙。
 そして、レオンの顔が苦悶に歪んだ。
 「俺は……間違っていた。だが、あの時の俺はどうしようもなかったんだ。父も母も、婚約者を決めて……!」
 「それでも、あなたが選んだのは“私を捨てること”だった」

 リリアの声は静かで、しかし強かった。
 「だから今さら、私を“取り戻す”なんて言わないで」
 「……俺は君を失って、生きる意味をなくしたんだ」
 レオンの手が震え、頬に触れようと伸びる。

 「もう一度、やり直そう。君のために、全部捨てる。地位も、名も、王国さえも」
 「……それは、あなたのためよ。私のためじゃない」

 その瞬間、外の扉が激しく開いた。
 「リリア!」
 アランが駆け込んでくる。
 次の瞬間、剣の切っ先がレオンの喉元に突きつけられた。

 「その手を離せ、ハイゼル」
 「殿下……!」
 リリアの腕を掴んだまま、レオンはゆっくりと顔を上げた。

 「……やはり来たな。君はいつも、俺の邪魔をする」
 「邪魔ではない。彼女は俺の婚約者だ」
 「違う! 彼女は俺の……!」

 刹那、レオンが短剣を抜く。
 アランの剣が火花を散らし、鋼の音が室内に響いた。
 リリアはとっさに魔力障壁を展開し、壁際に退く。

 「リリア、下がれ!」
 「やめて、二人とも──!」
 叫ぶ声は届かない。
 レオンの瞳には、理性の光がもう残っていなかった。

 「君さえいれば、他はどうでもいい……!」
 「狂ってる……レオン、もうやめて!」
 「狂わせたのは君だよ、リリア!」

 怒号とともに剣が交錯する。
 アランの一撃がレオンの短剣を弾き、彼の頬をかすめた。血が飛び散る。
 それでもレオンは笑った。
 「痛くないさ。君に会えたんだから」

 ──その笑みが、哀しいほどに壊れていた。

 アランが剣を突きつけ、低く言い放つ。
 「これ以上彼女を苦しめるなら、容赦はしない」
 「苦しめる? 違う、俺は救おうとしてるんだ……あいつの呪縛から」
 「その“呪縛”とやらが、君の妄想だ」

 沈黙が落ちる。
 次の瞬間、レオンは窓へと跳び出した。
 ガラスが砕け、夜風が吹き込む。
 外には、闇に紛れた黒衣の男たちが待っていた。
 ──裏商人の傭兵。

 「追え!」
 アランの声が響く。
 だが、リリアはその場で立ち尽くしていた。

 雨の中、遠ざかるレオンの姿。
 その背中が、どこか悲しげに見えた。

 

 翌日。
 レオンは地下教会に身を潜めていた。
 手に持つのは、血で汚れた懐中時計。
 かつてリリアが贈ったものだ。

 「リリア……」
 狂気の中にも、かすかな人間の痛みがある。
 「君が望むなら、俺は罪人でも構わない。だが……君をあの男から取り返す」

 その背後で、黒衣の影が微笑んだ。
 「殿下の婚約式の日程が決まりました」
 「……婚約式、だと?」
 「はい。三日後、王宮にて。……その時こそ、奪い返す時ですよ」

 レオンの目に、炎が灯った。
 「そうだな。誰にも邪魔はさせない……あの夜のように、もう一度君を抱きしめてみせる」

 ──その言葉が、運命を大きく狂わせる引き金となる。

 

 一方、リリアの元にも婚約式の準備の報せが届いていた。
 王族との婚約。
 本来なら夢のような話なのに、心はなぜか重かった。

 「……アラン様」
 「どうした?」
 「レオンのこと、捕まったんでしょうか」
 「捜索は続けている。心配するな」

 けれど、その目の奥にかすかな影が宿っていた。
 アランは知っている。
 ──レオンが、ただの男ではないことを。
 彼はかつて、王国最強の魔導士の一人だった。
 そして今、狂気の中でその力を取り戻しつつある。

 (婚約式の日……必ず、奴は来る)

 アランの拳が静かに握られた。
 リリアを守るために。
 彼女を、再び過去に囚わせないために。

 ──だがその時、遠く離れた教会の鐘が鳴った。
 音は風に乗り、王都全体に響き渡る。
 まるで、何かの始まりを告げるように。

 「リリア……今度こそ、君を手に入れる」
 その声が、どこかで確かに響いた気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

短編 跡継ぎを産めない原因は私だと決めつけられていましたが、子ができないのは夫の方でした

ヨルノソラ
恋愛
侯爵家に嫁いで三年。 子を授からないのは私のせいだと、夫や周囲から責められてきた。 だがある日、夫は使用人が子を身籠ったと告げ、「その子を跡継ぎとして育てろ」と言い出す。 ――私は静かに調べた。 夫が知らないまま目を背けてきた“事実”を、ひとつずつ確かめて。 嘘も責任も押しつけられる人生に別れを告げて、私は自分の足で、新たな道を歩き出す。

短編 政略結婚して十年、夫と妹に裏切られたので離縁します

ヨルノソラ
恋愛
政略結婚して十年。夫との愛はなく、妹の訪問が増えるたびに胸がざわついていた。ある日、夫と妹の不倫を示す手紙を見つけたセレナは、静かに離縁を決意する。すべてを手放してでも、自分の人生を取り戻すために――これは、裏切りから始まる“再生”の物語。

わたしに冗談なんて通じません。だから二度と婚約者面なんてしないでくださいね

うさこ
恋愛
特殊な騎士の家で育った私には婚約者がいた。 今思えば、彼は私に好きになれと強要していた。 そんな私は婚約破棄を言い渡されーー ※ざまぁです

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

「お前とは結婚できない」って言ったのはそっちでしょ?なのに今さら嫉妬しないで

ほーみ
恋愛
王都ベルセリオ、冬の終わり。 辺境領主の娘であるリリアーナ・クロフォードは、煌びやかな社交界の片隅で、ひとり静かにグラスを傾けていた。 この社交界に参加するのは久しぶり。3年前に婚約破棄された時、彼女は王都から姿を消したのだ。今日こうして戻ってきたのは、王女の誕生祝賀パーティに招かれたからに過ぎない。 「リリアーナ……本当に、君なのか」 ――来た。 その声を聞いた瞬間、胸の奥が冷たく凍るようだった。 振り向けば、金髪碧眼の男――エリオット・レインハルト。かつての婚約者であり、王家の血を引く名家レインハルト公爵家の嫡男。 「……お久しぶりですね、エリオット様」

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

婚約を破棄して妹と結婚?実は私もう結婚してるんです。

京月
恋愛
グレーテルは平凡だ。しかし妹は本当に同じ血が流れているのかと疑いが出るほど美人で有名だった。ある日婚約者から一言「俺はお前との婚約を破棄してお前の妹と結婚する」→「ごめんなさい、実は私もう結婚しているんです」

処理中です...