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──夜の王城。
薄暗い廊下に、誰かの足音がこだまする。
「……レオン・ハイゼル殿、これ以上の立ち入りは──」
衛兵の制止を、彼は鋭い視線で黙らせた。
金の髪を乱し、まるで正気を失ったようなその瞳。
昼間まで冷静だった彼の姿は、もはやどこにもない。
「黙れ。彼女が、どこにいるか教えろ」
「そ、それは……!」
レオンは衛兵の胸倉を掴み上げた。
声は低く、だが焦燥と怒りが混ざり合っていた。
「アラン殿下の婚約者……そう聞いた。だが違う。あれは誤解だ。リリアは……俺のものだ」
──その言葉に、衛兵の顔が凍りつく。
数秒の沈黙の後、レオンは彼を突き飛ばし、ひとり廊下の奥へと進んだ。
一方その頃。
リリアは書斎で報告書をまとめていた。
王国とリューネ領の共同研究に関する資料だ。
アラン殿下の補佐官として、正式に任命されてからわずか数日。仕事量は膨大だったが、不思議と疲れは感じなかった。
──アランが、隣にいるから。
「もうこんな時間か。少し休め」
静かに入ってきたアランが、机の上の灯りを落とした。
その仕草が優しくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……すみません。どうしても、ここだけ仕上げたくて」
「君は真面目すぎる」
アランは苦笑しながら、湯気の立つカップを差し出した。
「少し甘いものでも飲むといい。蜂蜜入りのハーブティーだ」
「ありがとうございます」
カップを受け取り、一口飲む。
ほのかな花の香りと優しい甘みが、心を落ち着けてくれた。
そのとき──ドアが、荒々しく開かれた。
「リリア!!」
突然の怒声に、リリアはカップを落としそうになった。
振り向くと、そこに立っていたのは──レオン。
「……レオン様?」
思わず声が震える。
だがアランが素早くリリアの前に立ちふさがった。
「貴様、無断でここに入るとはどういうつもりだ」
冷ややかな声。
それでもレオンは怯まない。
焦燥に満ちた瞳でリリアを見つめ、手を伸ばした。
「リリア、話を聞いてくれ! 俺は──」
「おやめください!」
リリアは即座に身を引き、彼の言葉を遮った。
「あなたと話すことは、もう何もありません」
「違う! あの時は、家の圧力で……! 本当はずっと君を……!」
「“身分が違う”って言ったのはあなたです。今さら愛だなんて、都合が良すぎます」
リリアの言葉は冷たく、しかし震えていた。
アランがそっと彼女の手を取る。
その瞬間、レオンの顔が歪んだ。
「……その手を、離せ」
「何だと?」
「その男に、触れさせるなッ!」
叫びと同時に、彼の魔力が暴発した。
部屋の空気が一気に張りつめ、壁に飾られた燭台が一斉に震える。
アランの表情が鋭くなり、瞬時に防御結界を展開した。
光が弾け、レオンの放った衝撃波が壁にぶつかって砕け散る。
「狂ったか、ハイゼル!」
「黙れ!! お前に、リリアを奪われるくらいなら──!」
レオンの瞳には、もはや理性がなかった。
彼はかつて冷静沈着だった貴族の青年ではなく、愛を失った獣のように、ただ執着だけを糧に動いていた。
「リリアは俺の光だった。どんな地位も、名誉も、もう要らない。ただ……君がいれば、それでよかったんだ……!」
「……だったら、なぜあの時に言わなかったんですか」
リリアの声が、静かに響く。
「私はもう、あなたに怯えることも、縋ることもありません」
レオンの肩が震えた。
まるで、その言葉に刺されたように。
「リリア……どうして、そんな顔で俺を見る……?」
「もうあなたは、私の過去の人だからです」
その瞬間、レオンの中で何かが壊れた。
「……そうか。なら、過去ごと俺のものにすればいい……」
不穏な魔力が、空気を染める。
アランが即座に動いた。
「やめろ!!」
──激しい閃光が走り、衝撃波が部屋を包む。
床が割れ、机が吹き飛ぶ。
リリアの身体がふわりと浮きかけた瞬間、アランが彼女を抱き寄せ、結界で守った。
「アラン様!」
「大丈夫だ。離れるな!」
光が収まったとき、レオンは床に膝をついていた。
その目は血走り、唇は震えていた。
「……どうして……どうして俺じゃ、駄目なんだ……?」
リリアは、静かに彼を見下ろした。
「あなたは私を愛していたんじゃなく、“所有したかった”だけです。違いますか?」
「そんなはず……!」
「じゃあ、今この瞬間にでも、私の幸せを願えますか?」
その問いに、レオンは何も答えられなかった。
彼の喉が、苦しげに鳴るだけ。
「……守衛を呼べ」
アランの冷たい声が響いた。
「ハイゼル侯爵家の嫡男でも、無断侵入と魔法暴走は罪に問われる」
レオンは立ち上がろうとしたが、力なく崩れ落ちる。
その姿を見て、リリアの胸に微かな痛みが走った。
だが、それでも──もう戻らない。
「レオン様。私、あなたのことを恨んではいません。でも、許すこともありません」
「……リリア……」
「さようなら」
彼女が背を向けると、アランがそっと彼女の肩を支えた。
そのまま、扉が閉じられる。
静寂が戻った部屋に、レオンのかすれた嗚咽だけが響いた。
──翌日。
王都では噂が駆け巡っていた。
“ハイゼル家の嫡男が、王弟殿下の婚約者に執着し、暴走した”と。
名門ハイゼル家は窮地に立たされ、レオンは謹慎処分を受けた。
それでも、彼の執着は終わらなかった。
彼の部屋の机の上には、リリアが描いた古いスケッチが一枚。
学園時代、何気なく落書きした自分の絵。
それを彼は、毎夜指でなぞるように眺めていた。
「リリア……俺は、君を取り戻す」
「何を失っても、君だけは──」
その言葉が、狂気にも似た執念へと変わるのに、そう時間はかからなかった。
一方、リューネ領に戻ったリリアは、アランの護衛のもとで新たな魔導研究に専念していた。
だが彼女の知らぬところで、黒い影が静かに動き始めていた。
夜霧の森を抜け、ひとりの男がゆっくりと歩く。
レオンの瞳には、もはや理性の光はなく──ただひとつの言葉だけが、彼の中で渦を巻いていた。
「“身分が違う”って言ったのは、俺じゃない。……もう、誰にも奪わせない」
その声は、夜の底で微かに笑った。
薄暗い廊下に、誰かの足音がこだまする。
「……レオン・ハイゼル殿、これ以上の立ち入りは──」
衛兵の制止を、彼は鋭い視線で黙らせた。
金の髪を乱し、まるで正気を失ったようなその瞳。
昼間まで冷静だった彼の姿は、もはやどこにもない。
「黙れ。彼女が、どこにいるか教えろ」
「そ、それは……!」
レオンは衛兵の胸倉を掴み上げた。
声は低く、だが焦燥と怒りが混ざり合っていた。
「アラン殿下の婚約者……そう聞いた。だが違う。あれは誤解だ。リリアは……俺のものだ」
──その言葉に、衛兵の顔が凍りつく。
数秒の沈黙の後、レオンは彼を突き飛ばし、ひとり廊下の奥へと進んだ。
一方その頃。
リリアは書斎で報告書をまとめていた。
王国とリューネ領の共同研究に関する資料だ。
アラン殿下の補佐官として、正式に任命されてからわずか数日。仕事量は膨大だったが、不思議と疲れは感じなかった。
──アランが、隣にいるから。
「もうこんな時間か。少し休め」
静かに入ってきたアランが、机の上の灯りを落とした。
その仕草が優しくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……すみません。どうしても、ここだけ仕上げたくて」
「君は真面目すぎる」
アランは苦笑しながら、湯気の立つカップを差し出した。
「少し甘いものでも飲むといい。蜂蜜入りのハーブティーだ」
「ありがとうございます」
カップを受け取り、一口飲む。
ほのかな花の香りと優しい甘みが、心を落ち着けてくれた。
そのとき──ドアが、荒々しく開かれた。
「リリア!!」
突然の怒声に、リリアはカップを落としそうになった。
振り向くと、そこに立っていたのは──レオン。
「……レオン様?」
思わず声が震える。
だがアランが素早くリリアの前に立ちふさがった。
「貴様、無断でここに入るとはどういうつもりだ」
冷ややかな声。
それでもレオンは怯まない。
焦燥に満ちた瞳でリリアを見つめ、手を伸ばした。
「リリア、話を聞いてくれ! 俺は──」
「おやめください!」
リリアは即座に身を引き、彼の言葉を遮った。
「あなたと話すことは、もう何もありません」
「違う! あの時は、家の圧力で……! 本当はずっと君を……!」
「“身分が違う”って言ったのはあなたです。今さら愛だなんて、都合が良すぎます」
リリアの言葉は冷たく、しかし震えていた。
アランがそっと彼女の手を取る。
その瞬間、レオンの顔が歪んだ。
「……その手を、離せ」
「何だと?」
「その男に、触れさせるなッ!」
叫びと同時に、彼の魔力が暴発した。
部屋の空気が一気に張りつめ、壁に飾られた燭台が一斉に震える。
アランの表情が鋭くなり、瞬時に防御結界を展開した。
光が弾け、レオンの放った衝撃波が壁にぶつかって砕け散る。
「狂ったか、ハイゼル!」
「黙れ!! お前に、リリアを奪われるくらいなら──!」
レオンの瞳には、もはや理性がなかった。
彼はかつて冷静沈着だった貴族の青年ではなく、愛を失った獣のように、ただ執着だけを糧に動いていた。
「リリアは俺の光だった。どんな地位も、名誉も、もう要らない。ただ……君がいれば、それでよかったんだ……!」
「……だったら、なぜあの時に言わなかったんですか」
リリアの声が、静かに響く。
「私はもう、あなたに怯えることも、縋ることもありません」
レオンの肩が震えた。
まるで、その言葉に刺されたように。
「リリア……どうして、そんな顔で俺を見る……?」
「もうあなたは、私の過去の人だからです」
その瞬間、レオンの中で何かが壊れた。
「……そうか。なら、過去ごと俺のものにすればいい……」
不穏な魔力が、空気を染める。
アランが即座に動いた。
「やめろ!!」
──激しい閃光が走り、衝撃波が部屋を包む。
床が割れ、机が吹き飛ぶ。
リリアの身体がふわりと浮きかけた瞬間、アランが彼女を抱き寄せ、結界で守った。
「アラン様!」
「大丈夫だ。離れるな!」
光が収まったとき、レオンは床に膝をついていた。
その目は血走り、唇は震えていた。
「……どうして……どうして俺じゃ、駄目なんだ……?」
リリアは、静かに彼を見下ろした。
「あなたは私を愛していたんじゃなく、“所有したかった”だけです。違いますか?」
「そんなはず……!」
「じゃあ、今この瞬間にでも、私の幸せを願えますか?」
その問いに、レオンは何も答えられなかった。
彼の喉が、苦しげに鳴るだけ。
「……守衛を呼べ」
アランの冷たい声が響いた。
「ハイゼル侯爵家の嫡男でも、無断侵入と魔法暴走は罪に問われる」
レオンは立ち上がろうとしたが、力なく崩れ落ちる。
その姿を見て、リリアの胸に微かな痛みが走った。
だが、それでも──もう戻らない。
「レオン様。私、あなたのことを恨んではいません。でも、許すこともありません」
「……リリア……」
「さようなら」
彼女が背を向けると、アランがそっと彼女の肩を支えた。
そのまま、扉が閉じられる。
静寂が戻った部屋に、レオンのかすれた嗚咽だけが響いた。
──翌日。
王都では噂が駆け巡っていた。
“ハイゼル家の嫡男が、王弟殿下の婚約者に執着し、暴走した”と。
名門ハイゼル家は窮地に立たされ、レオンは謹慎処分を受けた。
それでも、彼の執着は終わらなかった。
彼の部屋の机の上には、リリアが描いた古いスケッチが一枚。
学園時代、何気なく落書きした自分の絵。
それを彼は、毎夜指でなぞるように眺めていた。
「リリア……俺は、君を取り戻す」
「何を失っても、君だけは──」
その言葉が、狂気にも似た執念へと変わるのに、そう時間はかからなかった。
一方、リューネ領に戻ったリリアは、アランの護衛のもとで新たな魔導研究に専念していた。
だが彼女の知らぬところで、黒い影が静かに動き始めていた。
夜霧の森を抜け、ひとりの男がゆっくりと歩く。
レオンの瞳には、もはや理性の光はなく──ただひとつの言葉だけが、彼の中で渦を巻いていた。
「“身分が違う”って言ったのは、俺じゃない。……もう、誰にも奪わせない」
その声は、夜の底で微かに笑った。
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