「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです

ほーみ

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 夜の冷たい風が、ハイゼル家の屋敷を包み込む。
 謹慎を命じられてから数日。
 レオンは窓辺に立ち、闇の中を見つめていた。

 「……どうして、あいつばかりが幸せになるんだ」
 低く呟く声は、もはや嘆きではなく、呪詛に近かった。

 アラン・リューネ。王弟であり、冷静沈着なあの男。
 “身分など関係ない”と、リリアに寄り添った。
 それが彼には許せなかった。

 ──本当は自分だって、身分など気にしていなかった。
 けれど、家と名誉、そして「貴族」という鎖が、彼を縛りつけた。
 あの瞬間、彼は“愛よりも家”を選んだのだ。

 だが、彼女が他の男の隣で笑う姿を見た瞬間。
 その決断を、骨の髄まで悔いることになった。

 「……もう、取り戻せないなんて……言わせない」
 レオンは机の引き出しを開け、奥から一冊の古びた本を取り出した。
 黒い革表紙に、奇妙な刻印。
 封印指定──王立魔導院の禁書印。

 「“魂縛(ソウル・バインド)”……対象の魂を契約によって拘束する術。
  失敗すれば、術者の精神は崩壊──か」

 ページをめくる指が震える。
 彼は知っていた。この術がどれほど危険か。
 しかし、心のどこかで確信していた。
 ──これしかない、と。

 「リリア……君が俺を忘れても、俺は君を離さない」

 狂気にも似た決意と共に、レオンは儀式を始めた。
 窓の外の月が赤く滲み、魔法陣が静かに光を放ち始める。

 「……我が血と魂を代価に、永劫の契約を……」
 指先から流れ出る血が、魔法陣に滴り落ちる。
 空気が歪み、異様な熱が部屋を包んだ。

 しかしその瞬間、扉の向こうから叫び声が響いた。
 「レオン様! やめてください!」
 忠臣の執事、グレンだった。
 彼は部屋に飛び込み、レオンの腕を掴もうとする。

 「放せ!」
 「それは禁術です! そんなものに手を出せば──!」
 「俺はもう何も惜しくない!」

 その叫びと共に、魔法陣が眩い光を放った。
 爆風のような衝撃が部屋を襲い、グレンは吹き飛ばされる。
 光が収まった時、レオンの瞳は深紅に染まっていた。

 「……契約は、完了した」
 唇が不気味に笑みを刻む。
 ──だがその瞬間、遠く離れた場所で、リリアの胸に冷たい痛みが走った。

 

 リューネ領の朝。
 リリアはベッドの上で目を覚まし、胸を押さえた。
 心臓が、どくん、と不規則に脈を打っている。

 「……変な夢を見た気がする」
 鏡の前に立つと、首筋に淡い赤い痕が残っていた。
 指で触れると、微かに熱を帯びている。

 そこへ、扉をノックする音。
 「リリア、起きているか?」
 アランの穏やかな声だった。

 「はい……どうぞ」
 入ってきた彼は、すぐに彼女の異変に気づいた。
 「顔色が悪いな。何かあったのか?」

 「いえ……ただ、少し胸が苦しくて」
 「……昨夜、魔力の乱れを感じた。王都の方角だ」
 アランの表情が険しくなる。
 「ハイゼル家に関係があるかもしれない。彼は──」

 その名前を聞いた瞬間、リリアの体がびくりと震えた。
 頭の奥に、誰かの声が響いたのだ。

 ──リリア、聞こえるか?

 「……っ!」
 思わず後ずさる。アランが支えようとするが、彼女は首を振った。
 「い、今……声が……!」
 「声?」

 ──俺だ。レオンだ。君の中に……繋がったんだ。

 「やめて……!」
 リリアは耳を塞ぐ。だが、声は消えない。
 まるで、心の中に直接語りかけてくるように。

 ──怖がらなくていい。君を守るための契約だ。
 ──これで、君はもう誰にも奪われない。

 「そんなもの、いらない……!」
 その叫びに、アランが抱き寄せた。
 「大丈夫だ、リリア。私がいる」

 その温もりで、ようやく声が薄れていく。
 だがリリアは悟った。
 ──レオンは、本当に禁術を使ったのだ。

 

 同じ頃、王都。
 レオンは鏡の前に立ち、赤い瞳を見つめていた。
 その瞳の奥に、確かにリリアの魔力の欠片が感じられる。

 「これで、君は俺の中にいる。
  どこにいようと、俺には分かる」

 鏡に映る自分の姿が歪む。
 だが彼は笑った。

 「リリア、君はあの男のもとにいるのか?
  ……いいだろう。なら、奪い返すだけだ」

 その声に呼応するように、鏡の奥の影が蠢く。
 暗闇の中から、女のような声が囁いた。

 ──魂を結ぶ契約には代償が必要だ。愛を選ぶなら、光を失う覚悟を。

 「構わない。愛こそ、俺の光だ」
 そう言って笑うレオンの背に、黒い羽のような影が広がった。

 

 リューネ領では、リリアが倒れたと知らせが入った。
 アランはすぐに医師を呼び、彼女の手を握る。
 「魔力の乱れが酷い。まるで、外から干渉されているようだ……」
 「……レオン様、ですね」
 リリアが微かに呟いた。

 「彼が……何をした?」
 「魂の契約。禁忌の魔術です。私の中に……彼の魔力が混ざっているのが分かります」
 アランの目が怒りで光る。
 「ハイゼルの名を冠する者が、そんな愚行を──!」

 その夜、アランは王へ書状を送った。
 “ハイゼル家嫡男、禁術行使の疑いあり。即刻拘束を。”

 だが、その翌日。
 王都の監視塔が、黒煙と共に消えた。
 報告書には、こう記されていた。

 > 『拘束部隊全滅。レオン・ハイゼル、行方不明。』





 ──三日後。

 リューネ領の夜は静かだった。
 リリアは寝室の窓辺に立ち、外の月を見上げていた。
 胸の奥の痛みは、少しずつ強まっている。
 まるで、誰かが近づいてくるように。

 「リリア?」
 背後から声がして振り向くと、そこにはアラン。
 だが、彼の瞳が一瞬、赤く光った。

 「……アラン、様?」
 次の瞬間、その口から漏れた声は──アランのものではなかった。

 「やっと……会えたな、リリア」

 血の気が引く。
 その声は、紛れもなく──レオン。

 「アラン様を……どうしたの!?」
 「借りただけだ。君の前に立つために、少しだけ体を借りている」
 「そんなこと、やめて!」
 「嫌だ。君を奪ったこの男の目で、君を見たかった」

 彼の手が、リリアの頬に触れる。
 冷たく、それでも懐かしい感触。
 だがリリアは、その手を振り払った。

 「……あなたはもう、愛を名乗る資格なんてない」
 「それでも俺は君を求める。魂が、君を呼ぶんだ」

 レオンの声が震える。
 「君の心の奥にある“あの日のリリア”だけでも、返してほしい」

 その瞬間、アランの身体が痙攣し、膝をついた。
 「……ぁ……!」
 「アラン様!」
 リリアが駆け寄ると、彼の瞳が一瞬だけ戻り、息を荒く吐いた。

 「……大丈夫だ……俺は、君を……守る……」
 「もう喋らないで!」

 リリアは両手を組み、魔力を集中させた。
 胸の奥に絡みつく赤い糸──レオンの魂の欠片。
 それを断ち切るように、全力の光を放つ。

 「――“断魂の祈り”!」

 部屋が眩しい光に包まれる。
 赤い糸が悲鳴を上げるように弾け飛び、リリアの身体が揺れた。

 遠く離れた場所で、レオンが苦しげに胸を押さえる。
 「……リリア……!」
 彼の瞳から、一滴の涙がこぼれた。

 「それでも……俺は、君を取り戻す」

 血に濡れた手で、彼は再び禁書を開く。
 今度は、完全な“魂の融合”──自分の存在を彼女に溶かしこむ、最も危険な術。

 「次に会う時、俺は“レオン”としてではなく──君の中に生きる」

 黒い風が吹き、世界が軋む。

 その夜、リリアは悪寒で目を覚ました。
 胸の奥に、再びあの声が響く。

 ──ねぇ、リリア。
 ──今度は、ずっと一緒だよ。

 「……いや……っ!」
 彼女の叫びが、闇の中に吸い込まれていった。


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